呪は毒にて〈◇朱楽〉

朱楽の恨み言話。
※嘔吐描写があります

▼お借りした方
江ヅさん
(お名前だけ)ちどめさん


 子は親を選んで生まれてくる。と誰かが言っていたような気がするが、俺はそう思わない。生まれて此の方、ただの一度も。親を選べるのならば誰もが幸福な家を選ぶに決まっている。温かくて美味い飯、そこそこ柔こい布団、優しい親、気の置けぬ友。全てを持った奴はそりゃめでたいだろう。俺には関係ない話だが。
 そう、関係ないのだ。この村に、あの女の腹の中から産み落とされてしまったからには。

「遅ェ」
 冷たい声色と共に腹に重い一撃を食らう。加減をされていても上手い具合に"入った"みたいで、二、三歩後ろに下がった途端にげぇとえずいた。胃が搾り上げられるような痛みと喉が焼けるような熱さが口と鼻から噴き出し、面から零れ落ちてぼたぼたと汚らしく地面を濡らす。臭い。苦しい。何故俺は殴られているんだ。
「はは、汚ねェ」
 涙で滲んだ視界で捉えた目の前の女は、今し方俺を殴った棒を肩に乗せてせせら嗤っている。
「お前が中忍に上がったって聞いたから久々にツラ見るついでに稽古しに来てやったんだが、とんだ期待外れだったぜ。膂力がまるで足りてねェ。そんなんじゃ誰も殺れねェだろうが」
「は……る、せェ……っ。お前、みたいに……頭まで、筋肉で……できちゃいねェ、よッ……」
「ほォ、口答えだけは一丁前だな」
 なら、と女は片手でくるりと棒を回すと、ぴたりと俺の眼前で止めて笑った。
「ならもう三回ぐらいは遊んでやるよ、暇だからなァ」

 豪楽。それが俺を産んだ女の名であり、戦闘部隊で戦に明け暮れる偏屈な上忍の名。傲慢不遜で協調性がまるでなく、無神経な物言いは他者の意など全くもって気にせず。しかしそれすら許させ、他の忍達に認められる圧倒的な武を誇っているからああして上忍を名乗れる立場へ成り上がれた訳で。けれども、あれを上忍へと推薦した忍はとんでもなく目が節穴だと思っている。
 豪楽は普段、村へは戻って来ない。村長へ直接用がある時か、酒や馳走がタダで飲み食いできる祭りぐらいしか戻ってくる時ぐらいだろうか。とにかくあれは無類の戦狂い故に、我が子すらほったらかしにして戦場へ出かけていく人間だ。帰ってこない方が平和でいい。

「──呆気ねェ、もう伸びちまいやがった」
 つまんねェと豪楽は吐き捨てるように言うと、地面に倒れ伏した俺の襟首を無造作に掴み上げる。
「おーい、朱楽。死んだか?」
 豪楽は俺に顔を近づけて浅い呼吸の音を聞くと「生きてるなら返事しろよ」と溜息を吐きながら体ごと持ち上げた。誰が返事するかよ。
「──期待してたんだがなァ。俺とあの野郎の子ならさぞ強ェんだろうなって」
 のしのしと歩きながら豪楽は話す。心底、つまらなさそうな落胆の声だった。
「けど、全然違ったな。んなほっせェ体にキレーなツラしやがってよォ……どっちかっていうとにぃの子っつった方がしっくりくるなァ、お前は」
 兄……苛楽のことだ。血の繋がりのある兄妹ならば俺はきっとそちらの方に似てしまったのだろう。けれどもこの顔だけはこの女と瓜二つだ。だから俺はこの顔が大嫌いだ。
「子ってのは親のいいとこ取りじゃねェんだな。お前みてェな滓が生まれることだってある。なァ、お前もそう思ってたんだろ、修羅狗しゅらく修羅から産まれたたァ、なかなかいい名前だろ?」
「……」
 最早その問いに答える気力無し。侮蔑と嘲笑を含んだ豪楽の声を聞きながら、俺の意識は一時の闇へと落ちていった。


「ジジィ、いるか?」
 医療部隊が常駐する屋敷へ断りなく入ってきた豪楽が、奥で書き物をしていた初老の上忍へ向かってずんずん歩いていく。無法者の来訪でも相手はまたか、という表情で戦化粧の紅を引いた目だけをこちらへ向け、「豪楽」と名前を口にする。
「また断りなく勝手に入ってきたんか」
「手続きが面倒くせェんだよ」
 それよりほら、と投げて寄越された子供に彼の視線が移った。全身が泥まみれ、服も所々破れ、手足にはうっすらと血が滲んでいる。
「朱楽……!」
「稽古つけてやったんだが伸びちまった。治しといてくれや」
「お前さんはまた……自分の子殺す気か?」
「死んじまったら困る。だから治せって言いに来たんだろうが」
「人はお人形様やない、一回壊れたら二度と戻らんとこもあるんやで」
「知らねェよ、ンなこと」
 初老の上忍が眉間に皺を寄せると、豪楽は面倒くさそうに耳をほじりながら言った。
「じゃあ、俺ァ行くわ。次の戦に呼ばれちまったからよ」
「早よ行け」
「言われなくても行くっての」
 じゃあなと手を振り、豪楽がのしのしと部屋を出て行った。
「……江ヅ……せん、せい……」
 豪楽が出て行ったことを確認したのか、床に転がされていた朱楽がゆっくりと体を起こす。
「朱楽、急に起きたらあかん。そこに横になって診せなさい」
「……いい、先生、お忙しい……でしょう……」
「そんなこと言って、お前さん誰にでも診せるような人間やないやろ。いいから診せなさい。骨が折れてたら後々しんどいで」
 ふらふらと立ち上がって部屋を出ようとした朱楽を江ヅの言葉が引き止めれば、修羅の面はゆっくりと振り返る。
「……すみません」
「謝らんでええから、こっちに来なさい」
 ちょいちょいと江ヅの手招きに応じるようにまたふらふらと彼の前まで歩いてきて静かに座ると、朱楽は江ヅの手がなるべく汚れないよう触れられる前に胃液と唾液まみれの面を外して素顔を晒した。普段は決して人前で面を外さないが、赤子の時から世話になってきた江ヅには素直に素顔を見せることができる数少ない人間の一人である。
「ふむ……骨は……折れとらんな……打身が酷いわ……あちこち青痣だらけや……」
「でしょうね……」
「まったく、ほんに加減しとらんな豪楽は」
「アレに加減なんて器用な真似ができますか」
「無理やな」
「でしょう」
 顔、手、腕を触診で診る江ヅの前で着込んだ着物や包帯も脱いで肌を晒す。どこを見てもあの女の面影をちらつかせる身体や顔が酷く醜く見えて吐気を催したが、治療の為なので自身の感情は堪えなければならない。そんな朱楽の気持ちを江ヅは昔から知っているので、手早く診察を済ませて「もう着てええで」と机の上に乗っていた紙にさっと筆を走らせた。
「数日は安静や。薬を塗って大人しくしていなさい」
「はい」
「薬は持っとるか?」
「在庫が無いので後でちどめさん達に貰いに行きます」
「行く前に顔洗っていき、汚れが酷いからな。あぁ、処方箋は書かんで。お前さんなら分かるだろう?」
「はい」
 痛みを堪えながらなるべく手早く服を着直し、江ヅの言葉に頷く。
「ありがとうございました、先生」
「おお、気ぃつけて帰り」
 ぽん、と軽く頭を撫でられてこそばゆい気持ちになったが、朱楽はそれを顔に出さずに恩師に会釈だけ済ませた。


 俺は自分の顔が大嫌いだ。あの女に似ているから。初めは親に似ていると言われて嬉しい気持ちがあった。上忍を親に持っていたことは誇らしいのだと誰かが言っていたからだ。誰だったのかは思い出せないが。物心がつく前から言われていたその言葉に誇らしい気持ちがあった。常に戦場勤めで村の為に戦っている上忍という印象に、幼少の頃は期待と誇りに想像力を膨らませていた。一体どれ程格好良くて強い母なのだろうと。
 親代わりだった苛楽や江ヅ先生に親に会ってみるかと聞かれた時は本当に嬉しかったが、当時の二人の表情は無邪気に喜んでいた俺とは正反対で険しいものであったのは今でも覚えている。実際に豪楽と対面してからそれは嫌と言う程知ることになったし、こんな気持ちになるぐらいなら一生会わない方がマシだったかもしれない。
 だから俺は自分の顔が大嫌いだ。あの女と瓜二つと言われただけで顔の皮膚を剥ぎ取りたくなる。嫌で嫌で堪らなくて、鏡を見る度に吐き気を催して。それからだ、この面をつけるようになったのは。この面はずっと俺の心を表している。
 怒っている。そう、俺は怒っているのだ。この怒りが風化することは一生ないというぐらい、俺はあの女に対して憎悪と差し支えない怒りを抱いている。鍛錬と称して散々痛めつけられたことや、俺につけた名で嘲られることなんて比べものにもならない、それ以上に許せない仕打ちをされた。それが今の俺を形作っていると言っても過言ではない。
 親は子を選べぬが、子も親を選べない。それが時にどうしようもなく恨めしく、悔しく、悲しくなる。ぶつけようのない怒りだけが蓄積されていって、腹の奥底に溜まり続けて行く。この先どれだけ怒りを溜め込み続けるのだろう、そう考えるのも馬鹿らしく思えるくらい、俺はこの怒りと付き合って行くのだろう。
「…………豪楽、お前だけは俺がこの手で……」
 自室まで戻り、誰もいない薄暗い室内で呟いてから替えの面を取って洗い場まで歩いて行く。その声はおよそ自分のものとは思えない程低く、まるで地獄の底を這うような声色であった。

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