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むかしばなし〈◇豪楽〉

※注意されたし※
流血描写あり、嘔吐描写あり、多分微妙〜〜〜〜にグロでござる


 お前は鬼の子じゃ。
 幼き頃、そう母が罵倒していた姿は今でも覚えている。周りの娘達よりも体が大きく、村の男達より剛力で、短気なのも災いしてか癇癪一つで大の大人も投げ飛ばす。そんな娘が人の子の筈がないと。哀れな母よ。鬼の子を孕んだと村人に指さされ続けた母は心を病み、恨みの込もった目をこちらへ向け、行き場の無い感情を呪詛へと変えて、ぶつぶつ、ぶつぶつと娘へ吐きつける。誰もが疎ましく思っていた当の本人はけろりとしていたが。
 家は村一番の長者故に裕福だったと思う。癇癪を起こすと手がつけられないのもあって飯は毎日食えて、そこそこ柔らかい布団で眠り、好きな時に遊んで好きなように生きられた。ただ、それが酷く退屈でつまらぬ日々だったことは覚えている。普通のおなごであれば芸事に縫物に料理に良き嫁としての修行があっただろうに。どうして普通のおなごではないのかと、あれは私の子ではない。私の子であるものか。最低限機嫌を損ねぬよう飢えぬ暮らしをさせつつも、母は死ぬまで惨めったらしく恨み言しか零さなかった。

 十を迎えてしばらくの頃、ほんの些細な癇癪で父親を殺した。何を言われたのかは覚えていない。母同様に娘の顔を見れば文句ばかり垂れていたからだ。それが煩くて煩くて。夏の最中にけたたましく喚く蝉のように耳障りだった。何も考えず手近に立て掛けられた鉈が視界に入った時には既に父の頭を二つに割っていて、傷口から潮のように血が噴き出す様子をじっと眺めた。父の頭から血と一緒に気色悪い汁と脳味噌がでろりとはみ出ている。傍で見た母が真っ先に夕餉の中身を父の頭にぶっ掛けたのを見て、思わず吹き出した。情けねェザマだと。
 吐瀉と血塗れの父の骸を掻き抱くように母が化け物め、と泣き叫ぶ。物心ついた時から言われ慣れていた言葉に何も揺さぶられることはない。この親にとっての我が子は、病弱で今も床に臥せる兄だけだ。自分ではない。
 手を上げたり何処かへ捨てに行こうとしなかったのは返り打ちに遭うのが分かりきっていたからだ。母は弱かった。父もそうだった。こんな図体のでかい娘を好く男などいない、短気で粗暴で癇癪を起こして暴れる娘に嫁の貰い手どころか味方をしてくれる者もいない、お前は一生村の衆に後ろ指をさされ続けると。己の身だけを可愛がり、憂いるだけの弱い親。
 弱者の言葉などうんざりだ。いてもいなくても変わらぬ雑草や石ころと同じだ。それ故、雑草や石ころに指図されるのはどうにも気に食わない。何も言わず、鉈を振り上げる。恐怖に引き攣った顔で手を突き出す母。それごと切り落とすように躊躇なく振り下ろせば、耳障りな金切り声はぷっつりと途切れた。

「呆気ねェ、もう死んじまいやがった」


 よかったよかった、これでようやく静かになった。ごろりと転がる腕と頭を蹴り退け、真っ赤に染まった鉈と手を眺めている内に自然と口角が吊り上がる。臭い、臭い、血の臭い。その臭いで胸を満たす前に噎せ返っても、その臭いが堪らなく芳しい。怖くはない、恐ろしくもない、罪悪感も、悲しさも、嬉しさも。ただ、肉と骨に刃を突き立てる、あの瞬間だけがとても心地よかったことだけは鮮明に覚えていた。自分より大きい存在だと思っていた人間がこうも容易く事切れるのかと、なんと愉快なことか。
 愉快──。それでいて、弱き者を殺すことのなんとつまらぬことか。

「お沙夜さよ……何をしている……」
 咎めるような震え声が後ろから聞こえてくる。奥の座敷で臥せていた兄の伊助いすけが起きてきて、震える指で親だった骸を指さしていた。
「殺した。おとうもおかあも喧しくてかなわん」
「なんて、ことを……ッ」
 ぴたり、と鉈が兄の鼻先で止まると息を呑む音がはっきりと聞こえた。
「なら、にいも死ぬか? 寂しいんだろ?」
「俺は……」
 兄は震えながらも目を逸らさない。妹と同じ紅色の眼、黒い髪をしているのにおなごと見間違う程の綺麗な面に枯れ木のような細い身体。自分とは正反対に至極真っ当で"まとも"な頭故、親同様に妹が異質なものに見えているのだろう。
「お沙夜や、もう止めてくれ……お願いだ……」
 震える手で兄が鉈を握る手を包み込む。か細く、力を込めて握り返せば容易く折れてしまいそうな貧相な手。肉も薄く、血管すら浮き出ない弱々しい病人の手。弱い男の手だ。
「兄……」
「おさ──」
「煩ェなァ」
 お沙夜、と呼ぶ声が鉈を振る音に掻き消える。ぎゃっと兄が短い悲鳴を上げて口元を押さえた。
「俺に触るから悪いんだ。触らなかったら兄は綺麗なツラでいられたのによォ。おなごみてぇな綺麗なツラにさ」
「ぶッ」
 けらけらと嗤い、振り上げた脚で兄の頭を踏みつけると畳が紅に染まる。どす黒い親の色よりずっと綺麗だった。
「兄は血の色まで綺麗だなァ……綺麗過ぎて気持ち悪ィよ」
 脚を下ろし、鉈を持ったまま草履を履いて家を出る。もうここにいる意味がないからだ。
「じゃあな、兄」
 生きていたら、また──などと言う程、家族に愛着はなく。むしろ身一つになれた身軽さに晴れ晴れとした気分で雪の降りしきる外を歩き始めていた。
「お……さ、よ……」
 家の中から呻く兄の声は歩を進める度に遠のいていった。

 村を出てどうやって忍者村へやって来たのかはよく覚えていない。ふらふらとあてもなく歩いていたら偶然辿り着いた、としか言いようがないからだ。覚えがあるのは霧深い山道へ来たら匂いがしたからだ。好ましい匂い、血の匂い。求めるものがそこにあると直感的に感じた。それが今こうして戦場で矛を振るう理由だ。
 村へ来て、忍となって、腕を磨き、望んだ地へと赴く。忍としての本来の技量は世辞にも卓越しているとは言い難かったが、生まれ持った力を存分に振るえる場所があることはこの上なく幸福だったであろう。
 元いた村を出る時、お小夜という餓鬼は死んだ名は捨てた。ここに立つのは一匹の鬼。強者を求め、果てぬ欲の為に命を喰らい合う悦びを欲す鬼がいるだけだ。

「其方、名を名乗れッ」
 戦場で相対した強者から同じ台詞を何度も聞かされる。侍というのは面倒だ。いちいち名乗り合わねば戦いに応じてくれぬのだから、せっかく昂りかけた気分が台無しになる。これから死ぬ奴に名など聞かせて何になると言うのだ。
「俺の名は豪楽だ」
 名を聞き、刀を向けた侍を見据える。何人斬ったか分からぬ程血と脂で鈍と化した矛は刃が折れて使い物にならなくなったので、近くにあった死体から適当に槍を引き抜いて構える。
「俺の名なんて覚えてもらわなくて結構だけどよォ、今からお前の首を撥ね飛ばす鬼のツラだけは地獄へ逝っても忘れられねェようにしてやるよ」
 一瞬だけ険しい表情になった侍を見て、面の下で緩く上がっていた口元はますます吊り上がった。

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