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高校入試と再登校 【不登校の価値】

冬休み明けから再度の不登校におちいってしまった息子。
正確に言うと、「意図的な不登校」を選びました。
中学3年間、まともな勉強もせず朝から晩まで部活動に縛られてきたので、部活以外の学生生活というものは何一つ送ってきませんでした。
友達と出かける、彼女を作る、家族で旅行する、クラスで運動会の打ち上げ参加する、自転車で本屋さんや映画、ゲームセンターに行く・・・
こういったことは3年間でほぼありませんでした。
家と学校、家と体育館、体育館から体育館・・・本当にこれだけです。

「普通の高校生になって普通に友達と遊んだり、部活をしたり、彼女を作ったりしたい」

これが息子の願い。
2学期の内申書にかかわる大切な時期を不登校で過ごし、出席日数も足りず、定期テストでは一桁の点数の教科も。授業に出ていないため通知表はオール1でした。
不登校に手厚い単位制の高校を勧められていましたが、息子は違う高校へ志願しました。
県内で一番のマンモス私立高です。一流の大学へ進学する子もいれば就職をする子もいる、いわばピンキリな感じです。不登校支援はあるわけではなく、内申+当日の試験成績で合否が決まります。
担任からは、この高校はあくまでも目標で、先に提案してある単位制の高校を保険にして、入試に落ちてもなんとか高校生になれるという最低ラインを確保するようにと言われていました。
入試まであと3週間。
たった3週間で何ができるか?
学校はもう授業は3年分終わっている。
生徒たちはそれぞれに授業中は自習となっていることが多い。
息子は、学校に行かずに家で受験勉強をするという選択をしました。
不登校は、学校に「行かない」のではなく「行けない」
「行けないのなら行けるように力をつけてあげるよ」
こう言って数カ月過ごしてきました。
でも、今回は「行けない」のではなく「行かない」なのです。
数カ月言い続けてきたことをひっくり返すようなことなのです。
でも何度話をしても「高校生になるために、行かない」と言い張ります。
みんなと同じ高校生になるために行かないんだ。と意図的な不登校を選びました。
初めの頃は、スマホも触らずに時間をみつけながら勉強していたのに、
日を追うごとに少しずつスマホの時間が増えてきます。
外出は禁止していましたが、放課後になる時間に合わせてテキストを持って外出していきました。先に進路が決まっている友人に勉強を教えてもらうためです。
日中はスマホをみて、夕方から出かけて夜まで友人宅へ行くというふうにリズムが変わっていきました。
こんなことで大丈夫だろうか?
日中スマホをみているのなら学校へ行けばいいのに。
何度となくそう思いました。
幸いな事に、そのおうちは親同士も知った仲であり、お母さんから勉強の様子を教えてもらうことができていたのが私の救いでした。
ものすごくがんばっているよ。○○くんは記憶力がいいね。集中力もあるね。あきらめずに取り組むことができるね。
と私に伝えてくれていました。
不安でいっぱいな私に、たくさんの自信の水を注いでくれていたんですよね。
入試直前は、私の中学時代の友人(元中学教師)が自宅に来てくれて勉強を教えてくれました。
その数日間は息子にスイッチが入り、1日12時間程度勉強していました。
直前で慌てないように、数カ月かけてコツコツ取り組めばいいのに。今更慌てても変わらないよ。こうなる前にやるべきでしょ!
以前の私ならこう言っていたでしょう。
数カ月前の息子はペンを持つことすらできませんでした。
文字を書くなんてもってのほか。
ご飯も食べたくない。話すのも嫌。起きてくるのも面倒くさい。
そのような状態だった息子が必死で勉強し、大きな壁を乗り越えようとしている。
そう思ったら、息子がかわいくて愛おしくてたまらなく感じました。
親としてできることは「意図的な不登校」を「承認」し、息子に「自信の水を注ぎ続けること」。これしかないのだと思いました。
直接話す時間がないときは、付箋にコンプリメントしてノートに貼ったり、ラインで送ったりしました。

信じて見守る。見守ろう。信じよう。欲を捨てよう。

何度も何度も自分に言い聞かせました。

そして見事、息子自身の力で合格を勝ち取る事ができました。
合格通知を開封するときは、震えが止まらなかったのを思い出します。
ダメでもいい。この子は大丈夫。今ある場所できっとがんばれるはず。
落ちていたらなんて声をかけよう。ダメだったら今度こそ学校には行かないかもしれない・・・でもこの封筒の中にはもう答えが出てる。
私が泣いても、笑っても、叫んでも、この封筒の中の答えは変わらない。

「ここに、合格したことを通知いたします。」

全力疾走した後の心拍数で飛び上がってしまいました(笑)
そして合格の翌日は1日学校を休み、親子で話し合いをしました。
今までできていなかった電子機器の制限について取り決めをしました。
その次の日から再度の再登校をはじめました。
学校で勉強することは大切な事。
子供の居場所は学校にある。
ずっとそう言い聞かせてきましたが、不登校になったことも息子にとっては価値のある貴重な時間だったのだと思います。
そして何より、不登校になってくれたおかげで私は少しずつ「お母さん」にならせてもらっているのです。
自分の偏見、歪んだものの見方。
お母さんは間違っているんだよって息子が体を張って命をかけて教えてくれたんです。
息子は本当に親孝行なんだと思うことができました。

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