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私にとっての成人の日

成人式の日を迎えた。太陽が降り注ぐ気持ちの良い朝だった。

みんなはきっと振袖を着て成人式に出席している頃なのかな。

私はと言うと、朝から頭をフル回転させて短時間集中で課題を済ませ、食器洗い、部屋掃除、靴磨きと身の回りの整理整頓をするというごく普通の日常を過ごしていた。最近趣味はと聞かれた時に料理と並んで部屋掃除が思い浮かぶくらい、身の回りの整理整頓がマイブームとなっている。身の回りを整えると自然と心も浄化される、そんな感覚が単純に好きだから。

振袖着ないの?成人式でないの?と周囲の友人から口を揃えて言われる度、前撮りが出来たから私はそれで充分なんだと答える。自分に似合う素敵なお着物に袖を通せただけでも満足だし、私はそれで幸せだった。

スタジオアリスの店員さんに、黒の着物、ましてや古典的なデザインが似合う子は最近じゃなかなかいないよと褒めてもらえた。「着付けのやり甲斐があるわ〜特別にもっと可愛くしてあげる」と、とっても可愛いリボン状に帯を締めてくれた。

母型のおばあちゃん譲りの私は、幸運なことによく着物が似合う輪郭や骨格、表情をしていると昔から言われて来た。自分でも言うのも何だが、着物がよく似合っていた。20歳という人生の大きな節目に、素敵な振袖を着れてよかったと心から思えた。

人によってそれぞれ成人の日の過ごし方は自由だと思う。成人式に義務として行かなければ行けないわけでもないし、振袖を必ず着なければいけないわけでもない。私の個人的な心情としては、成人式当日に朝から重たい振袖を身に纏って、慣れない草履で、自分を失うような人混みに長時間いることを想像するだけで疲れてしまう。自分には何だか向いていないのだと思う。だから、当日はいつも通りの朝を過ごし、それから夜の同窓会で久々にみんなに会えるだけで大満足。みんなおしゃれして大人っぽくなったな〜と思うけれど、お喋りしてみると案外卒業の時と変わっていないなと思う所もあったりして。人って中身はそんな簡単に変わったりしないものなんだなと改めて思った。

周りに向けていた目を自分自身に向けてみた。自分は高校の頃から今に至るまでどこか変わった所があるのだろうか。外見は多少なりとも変わったかもしれない。内面も少しずつ良い方向に変わって来ているような気がする。必要以上に見栄を張ったり強がったりせず、自然体、等身大の自分で新しい環境に飛び込んでいけるようになったのかなと思う。色々着飾っても結局は窮屈になって、自分で自分の首を絞めることになってしまうのは既に痛感したから。

自分を隠さずさらけ出すのは勇気がいることで、時には怖さもあったりする。けれど、常に隙をつくらないようにずーっと肩の力を入れ続けるのは苦しい。ふっと脱力して、これからも自然体な自分、等身大の自分でいよう、そう心に決めた日となった。

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