戦翼のシグルドリーヴァ創作『コーヒー・エール』

【キャプション】
戦翼のシグルドリーヴァRusalka(上)を読んでから書きました。
シチュエーションとしてはアニメ1話でルサルカがクラウディアへ日本行きを命令するシーンの掘り下げ妄想になります。

◆本文

「日本に行く前に話とは」
 曇天に囲まれた基地は日差しが入らないのに、さらに日当たりの悪いこの執務室はいつもより重い空気が流れている。
 そんな部屋の中央奥。執務机には最小限の書類とコーヒーの入ったグラス。調度品のような椅子に腰をかけているルサルカ・エヴァレスタは、しかしなかなか口を開かかず、言葉を選んでいるように見えた。
 冗談も通用しなさそうな、良く言えば軍人らしく、悪く言えば融通の利かない、一言で言ってしまえば堅物というのがルサルカの評価で、それは誰に聞いてもその答えは一緒だろう。
 だから日本への派遣前に呼ばれたクラウディアにしてみれば、良くても「気を抜くな」という不器用な激励にとどまるものだと疑ってなかった。

「営倉に入ったことはありますか?」
 突飛すぎる質問にクラウディアは一瞬、目を見開いたがルサルカの表情は真剣そのもので、質問に答えることに徹しようと「いえ」と短く答える。
「私は以前、酒場で酔っぱらい、乱闘を起こしたことがあり、入ったことがあります。お世辞にも良い環境とはいえませんでした。さらに隣人が軽口を叩く軽薄な男だったのでなおさらです」
 冗談には疎い方だが、異国の地へ出立する自分を気遣っての振る舞いだとクラウディアは汲み取り、しかしどうにも上手い返しが思いつかず、
「それは……災難でしたね」
 と返すの精一杯だった。
「生まれる国と営倉の隣人は選べない。教訓になりました。ですが」
 そう言うと、ルサルカはクラウディアを見る。
 直立不動で姿勢を崩さないクラウディアを見上げ、その瞳の奥を見据えた。
「飛ぶ空ぐらいは選んでもいいと思いました」
「しかしこれは命令では」
「そうですね。我々は軍人ですから。命令には背けません」
 机の上に置いてあるグラスのコーヒーを一口啜ると、ルサルカは再び口を開く。先ほどまでとは違い、温かみのある、しかしどこか自責の念が感じられる声音で。
「あなたは死神などではありません」
「……」
 クラウディアは押し黙る。
 心のどこかでは反論したかったのかもしれない。英霊機などというものを駆り、たいそうにもS級などと呼ばれ崇められている事実さえなければ、損耗率99%を起こす彼女は死神すら生ぬるい。
 それでも彼女の翼が必要とされている。それが戦乙女でありワルキューレの使命である。
 神でも天使でも、死神だろうが悪魔だろうが、なんと呼ばれようとも加護を受け飛べる。ただそれだけで人類の希望であり、ゆえに欧州の小隊は損耗率99%に目をつむる。
 ただそれはクラウディアの心情を一切慮らない、人類の希望を包み込んだ一方的な配慮。

 だれだって死にたくない。

 それでも思う。
 ワルキューレと共に飛び、死を遂げるのは誉であり、美徳とし称賛される。それは彼らの望みで願いだ。いや、だがだれもがそう思い込んでいるのだ。それもまた拠り所であり、人間には必要なものだ。
 ワルキューレ。
 その旗印は戦禍の人々の希望であるとともに、彼らの心を醜くしかし美しく捻じ曲げている。
 人はいつだって何かに酔っている。
 愛、家族、親、子供、希望、仲間、宗教、絶望……
 戦禍という状況とワルキューレという存在が人をその旗印に酔わせている。
 成すべき(飛べる)者の役割と、生きたいと泥臭く願う希望。その感情に行き着くまでの心情は簡単に推し量りることも、言い切ることも出来きずに、役割を演じ続ける。
 ただそう難しい話でもなく、たんに彼女たちは少しばかり損な役回りだった。神がいるとしたらそう評すかもしれない。あるのは状況だけなのだ。

「それでもあなたは死神ではありません。ワルキューレであり軍人である前に、一人の人間です。ですが」
 ルサルカはコーヒーをもう一口。
 その苦味はまるで、次に口にする言葉が舌の上で溶けたようだ。
 それでも彼女は言わなければならないと思った。
「それを理解してくれるのはここだけかもしれません。損耗率のことにしろ、欧州の軍はあなたの強さと信念を理解してくれてるし、見てくれていました。――言葉を選ばなければ死神と呼ばれるデメリットを被ってでもなお、あなたを飛ばせているのはワルキューレの資質以上に、あなたがこの国のために戦ってくれているからだと。ですが――」
「日本にはそれがない、ということですね」
「そのとおりです」
「父は日本が好きでした。おそれながら他のワルキューレよりは日本に造形が深いと自負しています」
「知識だけではなんの役にもたたないことはあなたも分かっているはずです」
「ですが、命令である以上、私は日本へ行かなければなりません」
 ルサルカは執務机の上にある書類を一枚取り出し、クラウディアの前へと滑らせる。
「――これは」
 日本行きの辞令の文書だ。
 クラウディアのサインがされ、あとは上層部へ提出すれば命令として成立する状態にある。
 その書面にルサルカは手にしていたグラスのコーヒーをこぼした。
 手が滑った……というわけではなさそうだ。
「何をしてるんですか」
 驚いたクラウディアは琥珀色に汚れる書類とルサルカの手元を交互に見る。
「私も少し疲れているみたいです。手が滑ってしまいました」
「あなたは一体何を考えているのですか。ここは軍です。あなたは上官で私に命令を伝える立場。なのにこんなことをしたら……」
「そうですね、クラウディア。あなたのいうとおりです。ですが勘違いしないでください。あなたの日本行きに反対する気もなければ、万に一つ、あなたがここを離れて異国の地へ行くことを不安に思い、それを助けるためにやったことでもありません。もう一度書類は取り直します」
「じゃあどうして!」
「クラウディア」
 冷静な諭すような声。
「日本に行きたいですか」
「行きたいとか行きたくないとかではなく、命令なんですよね。だったら私は飛ぶだけです」
「私も昔はそうでした。だからおせっかいかも知れませんし、そうなれとも言いません。ただ、一つだけ聞いてほしいことがあります」
 真剣な声音に、クラウディアは激高していた感情をなんとか収める。
 こぼれたコーヒーを拭きながら、ルサルカは話を続ける。
「私も飛ぶことを選んでいたと思っていた時期がありました。いえ、広い意味ではその夢は叶いました。でも何も考えていなかったんです。軍人だから命令に従うのが当たり前、ワルキューレだから飛ぶのが当たり前。自分はその道を”選んだ”そう思っていました。誇りにすら感じていました」
 彼女は棚からグラスをもう一つ取り出すと、クラウディアへもコーヒーを淹れる。部屋の横にある椅子へ視線を向けると、クラウディアはそれを持ってきて、机を挟んでルサルカの正面へと腰を下ろす。
「ある人が私に言いました。『たまに選ばないことを選んだってやつがいる。でもそれは進まない・考えていないことと同じだ』って。私たちは軍人です。どうしても選べないことも出てきます。だから状況や立場が変われば選ぶことは出来ると思いませんか」
「何が言いたいんですか」
「新しく書類を取り寄せるまで、2週間はかかります。ワルキューレの手続きの中では一番長い部類に入るでしょう。他に色々と選択する時間はあると私は思います」
「それは飛ぶことをやめろ、と」
「あなたがそうしたいのなら。軍人でなくなれば軍規に従う必要はありませんし」
「私は――」
「すみません、少し意地悪をしすぎてしまいましたね。私はあなたに自分の意思で飛んで欲しかったのです。あなたのことです。このまま日本へ行っても飛べるでしょう。もっともあちらの方々と仲良くなれるかは別として」
「ずいぶんはっきりと言うんですね」
「そこは似ていると思ったので」
「誰にですか」
「想像におまかせします。ですが、戦況はひっ迫しています。見知らぬ地で不安に襲われ孤独になった時、人はゆらぎます。その時にこの現状を選んだのは自分だとしっかり認識していれば、折れることは無いでしょう。逆にその現状が誰かのせいだと思ってしまえば、心は簡単に折れ、腐ってしまう。人間とはそういうものだと私は思います。すみません、短い人生で説教をしてしまいました」
 クラウディアはこんなに喋るルサルカを見たことがない。
 もちろん冗談を言う人物でもないし、これほどまでに心配する姿もみたことがない。
 だから、わからないけれど、クラウディアは彼女の気持ちを今までにないほど感じ取った。
 グラスに注がれたコーヒーの苦味からは想像もできない、優しい言葉が彼女の心に沁みた。
「私は――」
 琥珀色の液体を飲み干し、クラウディアは決意を発する。
「日本へ行きたいです。日本へ言ってオルトリンデの穴埋めを……いえ、日本の方々の平和を取り戻したいです」
「わかりました。それとあなたを試す真似をしてしまってすみません」
 そう言うとルサルカは引き出しから書類を一枚取り出して、クラウディアの前へと差し出した。
「これは……!」
「命令書です」
「じゃあさっきのは?」
「あれも命令書です。2通用意していました」
「……なんの理由もなく2通くれるものなのですか?」
「私がコーヒーをこぼしてしまった、と言ったら渋い顔をしてまた作り直してくれました。今が比較的平和で助かりました」
「そんな嘘をついてまで」
「実際一枚はコーヒーで汚れてしまいました。しかもあなたのサイン入り。完璧です」
「……」
「なんですか?」
「軍人じゃなく詐欺師になられたらどうですか?」
「口下手なのでどうにも向いていないかと。この説得のために、昔話とコーヒー2杯、書類を1枚と上層部の手間。詐欺師にしては効率が悪すぎます」
 そう言ってルサルカはもう1杯、彼女へコーヒーを注ぐ。
 そんなルサルカを訝しげに見つめるクラウディアに、
「どうしたんですか?」
「あの、昔話……とは?」
「先程話したじゃありませんか。酒に酔って乱闘をしたと」
 真顔で言う彼女に、クラウディアの思考が追いつく頃にはコーヒーの準備ができていた。
「飲まないのですか?」
「いえ、そうではなく、その……」
「酒に酔って乱闘、あげく営巣入り。こんなワルキューレは後にも先にもいませんよ。想像できないですよね」
「……はい」
「そこは”それこそS級ですね”と返すのがジョークだそうですよ。あなたも日本に行くならコミュニケーションの一環として勉強した方がよいかと」
「そういうものでしょうか」
「わかりません。それも見てきたらどうですか? ついでに飛ぶぐらいの気持ちで」
「そんな不良のワルキューレ、前代未聞でしょうか」
「生きて帰ってこれたら、おそらくは」
「もし落ちたら?」
「また1人そちらへ行くだけです。なので落ちないでくださいね。人員には限りがあるのですから。転属書類の準備は大変なんです」
 その不器用な応援はいつものルサルカらしかった。
「ところで」
「なんですか?」
「以前からお聞きしたかったのですが」
 クラウディアの視線がコーヒーの入ったグラスへ移る。
「なんですか。差し上げませんよ」
「いえ、なぜいつもパイント・グラスで飲んでいるのかと。それはお酒を飲むためのグラスでは」
「そうですね」
「酒乱に対する戒め、でしょうか?」
 ルサルカはグラスを覗き込んでから隣へ視線をそらす。
 まるで誰かがいるかのように。
「それもあるかもしれませんが……」
「あるかもしれませんが?」
「器が大きいと、安心しますから」

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