『どうする家康』1年間ありがとう!
『どうする家康』最終回までのネタバレを含みます。ご注意ください。
最終回の予告を観た時、「絶対最終回は号泣するな」と思った。
予告は、簡単にまとめると、本田正信が亡くなっているように見える家康の手を握っており、その後シーンが切り替わって、若き家康が三河家臣団に囲まれて泣いている、といった内容だった。
私は予告を観て、家康は孤独に死んだあと、家臣団がいる天国のようなところに行き、温かい言葉をかけられて、やっと報われたような気持ちになって、このドラマは終わるのだろうなぁ…という予想をした。
そんなの、悲しすぎるじゃないか、と予想した私は思った。あまりにも、家康が生きている間に報われていなさすぎるじゃないか、と。
そんな思いを抱きながら、私はこの1週間、「私の予想は全て外れて、家康が報われる展開になりますように」と願っていた。
そして迎えた最終回本番。
前半の茶々や秀頼の覚悟、2人の助命を願う千姫に、胸が苦しくなった。特に千姫が家康の前で土下座をするシーンでは、千姫の悲痛な思いが伝わってきて、家康の気持ちを想像すると胸が痛んだ。
大坂城が燃えていくのを見ながら、家康は手を合わせて念仏を唱えていた。家康はどんな気持ちで唱えていたのだろうか。何か1つでも状況が違えば、茶々と家康が心を交わすこともあっただろうと思うと、やるせなかった。
そして、最後の約20分。きっと家康がいちばん会いたくて堪らなかったであろう瀬名と信康が姿を表す。家康が亡くなった人に会うという、着実に死に向かう様子に視聴者としては悲しかったが、やっと会えてよかった、という気持ちにもなった。
瀬名の声は優しくて、信康も朗らかに笑っている。
この2人は、見えないだけでずっと家康のそばに居たのだろうなと感じて、嬉しかった。
そして、きっと家康の走馬灯である、人生でいちばん幸せを感じた日の回想が流れる。最終回に、視聴者も初めて知る回想を入れてくるのに、良い意味で度肝を抜かれた。
そこには、もういない家臣団や家族の笑顔があった。人に慕われていた、家康がいた。
視聴者としても、大好きな家臣団のみんなと会えたような気持ちになってとてもとても嬉しく、また懐かしかった。悲しさは無かった。
白兎の家康が望んでいた幸せを目一杯感じていた日もあったのだと知って、本当に嬉しかった。
その分、途中で差し込まれる1人ぼっちの老いた家康には胸が締め付けられる。幸せなときがあったという事実があるのと同じで、死にゆくそのときが孤独なのもまた事実だ。
家康が死にゆくその時に心の底から報われたと感じることができたのかは分からない。私自身の感想としては、心の底からは思えなかったと思う。
それでも、瀬名の「あなたは立派に成し遂げた」というような言葉や、幸せな記憶を思い出す中で、少しでも報われた、自分はよくやったと思っていて欲しいと切に願う。
観終わった私の心は、本当に穏やかだった。もう『どうする家康』を観れない寂しさや、幸せな記憶で終わらせてくれた感謝、いろんな感情が織り混ざっていたけれど、ただ穏やかな気持ちだった。
最初の頃の家康はびっくりするほど泣き虫で弱くて頼りなかった。ずっと観ていてハラハラしていた。殿としてこんなんでいいのか、とも思った。
でも、築山事件を経て、白兎と称されていた弱い部分を表に出さなくなっていくにつれて、私はものすごく寂しい気持ちを覚えるようになった。弱い家康が、人としてはものすごく好きだったから。
終盤になるにつれて、周りの人は家康を狸と称していく。本当の家康を知っている人達はどんどん亡くなっていく。観ている視聴者として切なかった。
そんな話数を経て、この、白兎でいれた家康のいちばん幸せな記憶を存分に私たちに観せてくれた最終回。切なさもあったが、本当に最高の最終回だった。
1年間、日曜日のいちばんの楽しみであった『どうする家康』。この作品は私にとって本当に大切な作品となった。この作品を作ってくれた全ての人に感謝の気持ちでいっぱいだ。『どうする家康』を作ってくれて本当にありがとう!!
1人の視聴者として、もっともっと多くの人にこの作品がこれからも届いてほしいと思う。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
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