マンダラの言語化 中心にあるもの
みなさま、こんにちは〜😄
今回は以前のマンダラ記事の続きです。マンダラを構築するときに参考にしたもの、解釈することを助けたもの、それらをもう一度調べましたが、混乱してきました😂
できるだけ、簡潔に、自分の言葉でマンダラについて書いていこうと思います。
「発見」と「発明」の違い
昨年の6月、私を引き寄せる謎の渦巻きの先にあるものを探していました。
その後、世界との一体感を取り戻すことで、渦巻きの中心に到達し、その全貌が見えました。
渦巻きに「ゼロポイントフィールド(仮)」と名前を付けました。先人が到達しているもののなかで最も近そうでした。
私が直観でわかるものは「発明」ではなく「発見」です。新しく生み出したのではなく、もとからそこにあるものを「発見した」ということです。
発見の前には「予感」があります。今回は中心からの引力がそれにあたります。
「発見」は記録されれば後世に残りますが、そうではない場合もたくさんあったはずです。今書いている「マンダラ」はそういうものです。
なんとなく、全貌はわかったけれど
その渦巻きの中心や、構成する要素はよくわかっていません。でも、先人はきっとそれに到達しているはずだと考えて、情報収集を始めました。
抽象度が上がるとは
中心に近付くときの感覚から、渦巻きの外縁から中心に向かう原理は「抽象度が上がること」だと思いつきました。
抽象度が上がるとはどういうことでしょうか。
ある概念とある概念その二つの関係を考えます。
例えば、犬、猫。犬と猫はその階層のままでは相容れない状態。つまりその関係は「矛盾」です。
犬であり、猫でもある動物はいないからです。
それらの抽象度を上げるとどうなるでしょうか。ほ乳類、さらに上げると動物、生命となります。
ほ乳類というところまで抽象度を上げると、犬と猫の区別はなくなります。
逆にそれらの抽象度を下げると、犬は特定の1匹の犬のポチ、たろう…となり、猫は特定の1匹の猫タマ、ミケ…となります。
抽象度が上がると、具体レベルでは差異があるものを、同じものとみなし
抽象度が下がるとひとまとめにしていたものが、個別事象として分解されます。
トーナメント表のような構造をしているのですね。
最も抽象度が高い概念
抽象度が高い概念は、内部に多くの矛盾(互いに相容れない要素を持ちながら、共通点があるということで同一とみなされている状態)を含んでいます。
抽象度が極限まで上がると何にいきつくんだろうか?
それは無限の矛盾を含みながら、でも、そこに何かしらまとまりがあることを表す概念のはず…
そこで、苫米地英人博士の「包摂半順序」というものから
最も抽象度が高い概念は「空」であるというアイディアをいただくことにしました。
そうして、私の渦巻きの中心は「空」だとわかりました。
格言がふんわりしている理由
概念の抽象度を上げていく契機になるものは矛盾であり、最終的に到達するものは「空」である。
これを、アナロジーを使って「人生」に応用します。
つまり、経験(具体)が増えていくことで、その解釈や解決策のもとになる思考はどんどん抽象度を上げていくということです。
だから、世の中の格言ってふんわりしてるんだな〜と理解しました。
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