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「時間」や「愛」の構造を考える

みなさま、こんにちは〜

わたしはとある抽象的な概念を把握するとき
立体で考えている。

例えば「時間(人生)は螺旋階段である」と私は考える。

螺旋階段を登っていくと、同じ景色を繰り返しているから、同じところに戻ってきたようにみえるけど、本当は同じところではない。高さはズレている。

例えば、四季。
春に同じ桜の風景を眺めても、幼いときと大人になってからでは見え方が違う。

部活。
1年生として大会に出るのか、3年生として大会に出るのかで取り組み方も違う。後輩の立場、先輩の立場両方を短期間で経験する。

親子関係。
子どもとしてあるイベントに参加するのか、子どもの親としてそれに参加するのか。同じことを繰り返しているようで、全く違う。

立場が違うから。
(同じことを立場を変えて経験するということが「ものごとの多様な見方」を養う土台になるのではないだろうか。)

それらの体験を考慮して、時間という抽象概念を立体化すると螺旋階段となる。

そのように、体験を通して概念を立体として認識して記憶に保存する。



では「愛」はどんな構造だろうか?
エーリッヒ・フロムは言う。

成熟した愛は、自分の全体性と個性を保ったままでの結合である。〔中略〕愛においては、二人が一人になり、しかも二人でありつづけるという、パラドックスが起きる。

フロム『愛するということ』p40〜41

なるほど、愛の構造は「矛盾」ではないか?
ということですね。

互いに一人の人間として独立性を保ちつつ、二人でいられるということ…

控えめに言って奇跡ですよね〜

なので、私の考える愛は
球体(個人)と球体(個人)が重なっている状態と、重なっていない状態
同時に成立しているというイメージですよ。

ここまできてまたひらめいた。
これ「空」じゃない?って。
「有」であり「無」であることが同時に成り立つことが「空」なら「愛」もなんとなく似てるな〜って思った。構造的に。

高度な抽象概念というのは「矛盾」に宿るのではないかしら?と思った。


(専門知識はないので、私の思いつきとして読んでください🙏)

わたしはこういうものごとの理解の仕方をしているよというお話でした!


読んでくださってありがとうございます!

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