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人の成長に立ち合う喜びを思い出す

みなさん、こんにちは〜

私は大学卒業後に、少しの間教師をしていたことがあります。
今日はそれについて書こうと思います。


教員免許取得まで

大学生のとき、友人と講義を合わせるために、教職課程をとることにしました。当時は教師になりたいとは思っていなくて、単位を揃えるなら、何か資格として残るものをと思いました。

講義の一つに確か「社会科教育の研究」(うろ覚え💦)という名前の講義があり、そのときに先生にBUMP OF CHICKENの『ギルド』を初めて聴かせてもらいました。
先生が「この人(藤原さん)は、人間が生きるってどういうことか知ってる人だよ。」と言っていたのを今でも覚えています。人形劇ギルドも見て、講義中にも関わらずワンワン泣きました。「汚れたって受け止めろ 世界は自分のモンだ」という歌詞に全てを見透かされた気持ちになり、人形劇で「人の営み」への愛を感じました。

その後、一緒に教職課程をとっていた友人は諦めて、私だけ残ることになりました。
勉強は好きで、単位はスムーズにとれましたが、教育実習のときがとても辛かったですね。
授業もうまくできない、子どもたちとも距離を縮められない。

塾講師や家庭教師のアルバイトはしていましたが、あまりに実力が無さすぎて、実習中は毎日泣いてました。
でも「せっかくここまでやってきたんだから」と最後までやり遂げて、無事免許状(中学社会、高校地歴・公民)を取得しました。

常勤講師になる

大学卒業後、私立の中高一貫校で常勤講師として働きました。講師とはいえ、担任を持たないだけで、基本的にフルタイムの仕事です。部活の顧問もしますし、学校行事にも参加します。

とにかく激務で、大変だったと記憶しています。
平日は子どもたちを帰してからやっとデスクワークができて「仕事を始められるなあ」と思っていました。土曜日は部活、日曜日は事務と授業準備に追われます。

それでも、私は担任を持っていなかったので、ラクな方だと思っていました。
個人懇談の時期は「家までたどり着けず車で眠ってしまった。」という話も聞きましたし、資料室に布団を敷いて寝ている先生もいました。

続ける選択肢もありましたが、体力的にも精神的にもハードで辞めざるをえませんでした。

教師を辞めたとき

教師を続けられなかったこと。
これは私にとって大きな挫折体験でした。今思うと、過酷な労働環境や実力不足の他にも、対人関係が苦手で、学校という場に馴染むことが難しかったこともありますね。
それでも、私のことを慕ってくれる子たちはいて、もっとしてあげられることがあったのではないかなと思い出したりもします。
(書いている途中で、断片的にですが、たくさんのことを思い出しました。)

頼りにしてくれる子どもたちがいるから、頑張らないといけないと自分を奮い立たせること。それが私自身の成長にも大きく寄与したことは間違いありません。
もしまた何らかの形で教育に携わるとしたら、子どもたち一人ひとりとじっくり向き合いたいという気持ちが大きいですね。

私の喜び

私は子どもの頃学校に行くのがあまり好きではなかったです。学校に対し、もっとこうだったらよかったと思うこともたくさんあります。
でも、実際その裏側を覗いてみると、見えてなかったことがたくさんあったのだなあと気付かされます。それでも、見えたのはほんの一部でしょうね。

私が喜びを感じるとき。
人が何らかの気付きを得て、一回り成長する。そんな瞬間に立ち合えたとき。胸がいっぱいになります。
それは年齢も形式も問いません。大人であっても成長を感じる、新しい自分に出会えることがありますよね。
今こうしてnoteに文章を書いたり、みなさんと交流を持てていること。何か、以前にも感じた喜びだなあと思って記憶を掘り下げてみました。

当時のことを消化不良に感じている自分もいましたが、この記事を書いて、少し前を向くことができた気がしています。
そして、現在が、過去の生き方と離れているわけじゃないんだなと嬉しく思います。

読んでくださってありがとうございました。

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