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関心、無関心

ギフテッドと天才の違いについて
私の中ではけっこう明確に使い分けている。
ギフテッドは生まれ持った特性。
天才は創造性によって人類の発展に寄与した存在。

逆にギフテッド的な特徴がなくても、人類の発展に貢献しているなら、敬意を込めて天才と呼びたい。

ギフテッドは100人に2〜3人。
天才がそんなにたくさんいてたまるか!って思っちゃう。

でも、関心のない人からしたら、そんなのどうでもいいわけで「天才を自称するイタイ人」みたいに思われるかな〜。


さて、話題は少し変わって。


私について。
興味がある人にはぐいぐい接近していく。今まで興味を持ってきた人は自分と似た人たち。
そして距離を縮めすぎて他の人が入ってこられない二人の世界にしてしまう。
似たもの同士に起こる「共鳴」を恋愛感情の一種と思っていた。


逆に興味を持てなかったのは、自分と似ていない人たち。
常識を重んじる。抽象的なことに関心がない。本当であるかより、場の空気を優先する。

私はこの人たちと折り合うときに、脳の構造の違いなのだと理解した。
こちらはあちらがわかるけど、あちらはこちらのことはわからないから、こちらが譲るべきだみたいに。

もっと大局的な視点で考えると、少数派は多数派にたびたび介入する形でしか影響を与えられない。影響を与えることができても、主流にはなれない。
これは摂理みたいなもの。

そういう仕方で納得しようとした。


最近思う。この納得の仕方って適切なのだろうか?って。
互いを理解し合って、歩み寄ることは不可能なのだろうか。
ギフテッドでない人たちが我々のことを理解不能であることは仕方ないとして、理解不能な存在を排除せずいてくれるんだろうか。

こんなにしんどい思いをして、社会とやっとのことで折り合いつけて、割に合わない。

我々のような存在に多くの人は無関心だ。
肩身狭く生きることは変わらないのだろうか。

未来に何をどう期待していいのか?
そもそも期待していいのだろうか。

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