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No.15 物に魂が宿る

どうも。れいぽんです。

こどものころから、自分なりに考えていることがあります。
それがその、物に魂が宿るというもの。

幼児教育では、たびたびそういう手法を取るんです。
例えば、水筒を引きずって歩いている子ども。いますね。
「水筒が痛いって言ってるんじゃないかなぁ?」
だから、引きずるのやめようね。
とか。
自分ごととして捉えやすいので、こどももなるほどなと感じ取れることが多いんだと思います。

最近、職場の近くで自転車を購入しました。
中古でもよかったんですが、どうせ買うなら僕のこだわりを反映させようと思ったら、新品しかなかったんです。
自転車屋さんに行くと、僕の思いを聞いてカタログを何冊か出してくれました。
あれでもない、これでもない。ここが、青だったらなぁ。とかいろいろ思案した結果…
黒と青のトンボハンドル。
めちゃくちゃこだわりました。
今はシティバイクなんて、かっこいい名前が付いてるんですね。
毎朝最寄り駅から職場まで漕いでます。
駐輪場に停めると、サドルを撫でて必ず心の中で言います。
「じゃあまた後で」
逆も然りで、自転車に「じゃあまた明日」と言って別れます。

ボールペンのインクが無くなり、替え芯と交換する時。
空になった芯を捨てる時に「ありがとう」と心の中で。

物持ちはとてもいい方だと思います。
iPhone5cは7、8年使ってました。
お財布は中学生の頃から最近まで。
小学生の頃、中古で買ってもらったDELLのノートパソコンは、大学一回生まで。
小学生高学年の頃から履いていた、履き心地のいい暖かズボンもついこの間まで履いてました。勿論、つんつるてんでした。(これに関しては、ライナス的な感覚はあったかもしれません)
無意識に物に対して、感謝しながら使ってたんだと思います。
ありがとうなぁ〜って。

その一方で、無茶に物を使うことだってありました。
ワンピースの下敷きに亀裂が入り、パリッと捲れたらベリベリと剥がしていったり。
ボールペンのフック型のカチャカチャするところを無理に曲げようとして、本当に折れちゃったり。
衝動に駆られると、物に対して乱暴になってしまうのが僕の悪いところ。
捲りたい。曲げてみたい。
変な欲求です。
でも捨てる時は、ほぼ割と必ず言ってます。「ごめんね」と。

物と会話をするということは、それ即ち、物だって魂が宿っているかもしれないと思うからでしょう。
トイストーリーみたいに、夜になったら動き出しているかもしれませんね。
そういうファンタジーに、生きてたっていいじゃない。

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