親不知沿いを歩いた話


昔、影響を強く受けた小説のヒロインが「海野藻屑」という名前だった。読んだ時代はいつだろう。確か中古の本屋の片隅で妙にタイトルに惹かれて購入したことを覚えている。その小説はジャンルでいえば、ライトノベルと呼ばれる区分に分類されるのだろうが、内容の後味の悪さも相まってか、映像化はされていない。兎角、その頃の僕はと言えば強い心中願望に頭の中を支配されており、こと色恋をすれば必ず共に停止をしたがる様な、そういう厄介な人種だった。それでもその頃、育ちの町の影響もあり、憧憬の対象は雪の中での停滞であった。時を止める様に凍りつき、そうして春と共に微生物の分解の中で自然に還ることこそ、この世の真理である様な、そんな思いに囚われていた。小説を読んでから、「うみのもくず」と云う言葉の響きの残酷な甘美さ、不穏であるが故の背徳的な耽美さに惹きつけられていた。荒れた天候の中で、天気以上に雄弁にその日の気性の粗さを物語る日本海の波の白さを見下ろしながら、海の藻屑などと物騒な単語を頭に思い浮かべていた。などと物々しい前置きをしながら、この記事を書き始めるのだが、別に今の私にそういったことを実行するつもりはない。願望と上手く付き合えるようになれたから。ただ、そこに対しての聊かの美化と、誇大妄想の限りをご容赦願いたい。嗚呼、だってその断崖から海に揉まれ、そうして途絶えることに対する暗い衝動は決して否定することのできない感覚なのだ。そこを否定してしまえば、寧ろ歯止めは効かなくなってしまうだろう。なので、親不知を歩こうと決めた時、自分の中で安全第一というのもしっかり念頭に刻み込んで臨む様にした。

冬の親不知は容赦がない、そんな話を聞いたのは仙台は銀座通りの焼肉屋でのことだった。既に日本酒でほろ酔いの中で、ふと寒さに打ちのめされたいと感じた次第だ。それまで2022年の冬は南下して尾道あたりを歩こうと考えていたのだが、思い直して行先をぼんやりと決めた瞬間だった。2021年の年末は、青森は蟹田まで北上した。なんてことはない、故郷の北海道にまで近づく時間的猶予はないが、少しだけでも故郷に近づきたいという気持ちだったのだ。それは故郷の雪の景色を彷彿とする様な幼少の原風景をなぞらえるような旅だった。
北国で育った自分にとって「寒さ」に大しての感覚は「暖かさ」の感覚よりは細分化された感覚だ。氷点下を超えた寒さは、とても親しみ深く、さりとて決して好きにはなれない居心地の悪い原風景の一つであり、その不快感は大切な根源的な懐かしさなのである。

東京の冬は沁みる様な寒さだよね。これは同郷出身の友人との共通認識だった。氷点下を軽々しく下回る気温の中では身体は麻痺してしまい、なんというか寒さが心に来ないのだ。何処か熱さすらも感じてしまう程の寒さ。雪玉を作れば、雪は悴み、赤く腫れあがり、指は動かなくなる。それが私達の育った冬であり、寒さの中での極点であった。一方、内地の冬はどうだろうか。明確に寒く、さりとて感覚を飛ばしてしまうことを許容しない、まるで真綿で首を絞める様な寒さ、それが東京に越してきて最初の冬に抱いた感想だった。2021年と2022年、比べると同じ「寒さ」に軸を据えた旅であろうとも実に対比的なものを感じた。

氷点下数度程度では感覚は飛ばない。そこに境界値が1つある様だ。なればこそ親不知の気候は、より残酷な真綿ではないか。叶うならば震えよう、歯を鳴らそう、身も心を凍て付かせよう。そうして捩じ伏せられた心の断末魔を聞こう。昏い衝動に胸の内が染め上げられていくのを感じた。

市振駅に降り立つと、線路には雪が積もっていた。年末の時期柄もあるだろうが、降りたのは私一人。天気予報の通り既にパラパラと雨が降り出している。今日はきっと一日中雨だろう。雨に溶け、ぐずついた雪を踏みながら駅を後にする。シャリシャリと、濡れた雪の音が耳に残った。せっかく冬に来たので雪が降る中を歩きたかった気もしたが、寒さを求めるという観点からは、雨で寧ろ良かったのかも知れない。

波音と車に気をつけながら、国道8号を進んでいく。下の険しい方の道を歩きたい気もするが恐らくは立ち入り禁止だろう。そうでなくても、この天候では一瞬で攫われてしまうだろう。下の素晴らしく豪胆な景色を見たい欲望と、同時に安全についての自己誓約との間で揺れる。

不揃いな洞門が一つの巨大な生物の様に犇めきあう様を見た時、此処に来てよかったと心の奥から思った。この景色は忘れたくないと思った。海が鳴れば、その悲鳴を忘れないでいられるだろうか。体温として、刻み込むことが出来れば想い出をケロイドの様に留めることが出来るだろうか。この震えが、霊魂なる領域にまで侵食して、一生消えない傷跡として克明に残り続けて欲しい。言葉にして、吐いた声は白い粒子になり、虚空の中に溶けて、それから消えた。

などと感傷につかるのも束の間。この看板を見た時、ふとトビウオについての空想が去来した。トビウオ、海の中で天敵から逃げるために飛行能力獲得したのに、海の中から飛び出すものだから鳥に狙い撃ちされてしまう、そんなどこかもの悲しい生き物。もうこの看板からして、カモメがいるではないか。きっとこのトビウオは食べられる。生まれ育った海ではなく、最後に見つめる景色は見知らぬ空。看板の色褪せがまた妙に悲しくて、僕の騒擾はトビウオが連れて行ってしまった。ここからしばらくの区間は自分がトビウオになったつもりで歩いた。時々、洞門を抜け開けた場所に出たら両手を広げてみたのだけれど、エラ呼吸も出来なかったし、飛べもしなかった。

こちらは多分、親不知で一番有名な如砥如矢。本来、この先には遊歩道が続いている様だが、残念ながら冬季は封鎖されていた。夏にまた来る理由が奇しくも出来てしまった瞬間であった。

トンネル。有名な煉瓦トンネルは同じく冬季で行けず、諦めていたので他にも見ることができて良かった。車を停めて撮影している方がちらほらといた。自分もこのトンネルを見た時はすっかり観光気分だった。

それから、しばしまたあゆみを進める。雪の中に去っていく、猪の親子を見かけた。子供が二匹にそれなりに大きなサイズの親が一頭。白い雪に足跡を刻みつける様を見て、不意に観光モードから感傷モードに切り替わったのを覚えて居る。自分でもこの感情のスイッチは良く分からない。

親不知海岸では、翡翠を拾うことが出来る。浜辺に降りて、しばし波音を聞きながら、石ころを探してみる。疎らに同じように石を探している家族連れや恋人がいた。拾った石が翡翠かどうかは知らない。キツネ石やロディンかも知れない。別に私は熱心な鉱物収集家ではないので、曖昧なままでよい。
翡翠っぽい、さりとて翡翠なのか分からない石ころを一つポケットに詰め込む。鑑定しなければ、これは翡翠だ。きっと翡翠だ。

投げ岩をしばし見つめる。大国主命がぶん投げて、真っ二つに割れたから投げ岩というらしい。投げ岩、なんて名前で勝手に悲恋の話を想像してしまったのだが、随分と力の世界だ。鬼と力比べで岩を投げ合ったらしい。
岩を投げて、勝敗を決める世界。なんだか優しい世界の様な気がした。

それから、親不知駅付近にある、歌集落をしばし散策した。
白状すると、本集落から先に子知不の区間があるのだが、集落散策に夢中になり過ぎてこちらを進む時間がなかった。これもまた、再訪の理由。
集落風景はまた、そのうち。

思い返せば、踏破とは言い難く、またとても一日で見きれる量ではなかった。しかし、これで良い。終わってしまったのなら、また次を始めればよい。夏の姿をいつか必ず見に行こう。
暗い気持ちで始めた旅は、すっかり楽しい気分で終えていた。海の藻屑になれはしない。そうしたら、もう一度来ることは出来なくなってしまうから。

雨で身体は確かに震えていた。靴の底まで水は染み込んでいる。
ホームにて電車を待つ。車内に乗り込む。室温と冷えた体温の違いで震えはより激しくなる。座席に腰を落ち着かせる。リュックを下す。それからポケットの中に手を入れる。
詰め込んだ翡翠の石を握りしめる。トビウオには出来ないことだ。
ひんやりと冷たい無機質の温度が指先に伝わる。それは、海を閉じ込めている様な気がした。感覚が麻痺していたら、きっとこの冷たさは知れない。
手のひらに伝う、この一粒の冷たい海はきっと永遠なのだと、そんな風に思った。


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