鉄格子の向こう側に

炊飯器の電光が、蛍の様にぼんやりと浮かんでいる。闇の中で鉄格子の向こう側から漏れ出る僅かな光の点。時折、ブーンと冷蔵庫から響く駆動音と、それから私の背には眠っている彼女の鼻息。呼吸に併せる様に、私の背中の後ろ側で膨らんでは萎んでいく。その息遣いはどこか生暖かい。目の前の鉄柵に触れてみる。金属の質感が指の腹に伝わって、ひんやりとした。闇の中では自分の指先さえも碌に見えはしなかった。私の輪郭はすっかり闇に溶け込んでしまった。闇の中、自分は果たして人間の形をしているのか不安になる。それとも、彼女と同じ姿をしているのだろうか。私は人間だと言い聞かせる。闇の向こう側、洗面台の方で時々灯りが点いた。それからトイレの流れる音が聞こえてきて、また闇に落ちていく。その束の間、自分の指は確かに輪郭が浮かび、人間であることを証明する。人間であることを確認して、それから闇の中で呻く様に泣いた。息を潜め、声は殺し、呼吸は沈めて、早くなる鼓動と震えは隠して。静かな電化製品の音と、背中の体温を感じながら、音を出さない様に、気付かれない様に闇の中で音も無く叫んだ。

 彼女の名前はブランドの名前から取ったのだと、酒に酔った彼は自慢げに恥ずかしげもなく語っていた。私が彼女について知っていたことは映画の世界では知的に扱われながらも、少し粗暴で臆病だということ。彼女の本質とブランドのイメージがかけ離れていた。実に権威主義でつまらなく、虚栄心に満ちた命名方法だと幼い心ながら軽蔑の目で彼をみていたことを覚えている。ブランド品はボロボロになれば捨てるだろう。そこに思い出や愛着があったとしても、使えなくなったブランド品は捨ててしまうのだろう。初めて彼女の檻の中で一緒に眠ったのは冬の日だった。その日は彼の機嫌がすこぶる悪かった。小学生の自分のちょっとした粗相。彼が買った高級品の絨毯を汚してしまったことがきっかけだった様に思う。それから定期的に檻の中で過ごす日が来る様になった。トングで鼻をつかむのが彼は好きだった。そのせいで彼女はトングを向けると歯をむき出しにして、酷く怯えていた。

私の家は大きめのキッチンがあり、妹と父と母の三人分の座椅子があった。キッチンの傍らには彼女の鉄で出来たケージがあった。閉じ込められない日は部屋で一人で食事をする様にしていたが閉じ込められた日は団欒を鉄格子の内側から眺めていた。犬用のエサ皿に注がれた食事を、わしづかみにして食べながら、眺める視界の先には3人家族の姿があった。悔しくなかったかと言えば嘘になる。憎んでいないかと言えば嘘になる。それでも、その団欒が酷く美しいものに思え、恋焦がれていた。その光景は、殴られるよりも蹴られるよりも、確かに痛かった。

高学年にあがる頃、檻の中に入れられることはなくなった。それから間もなくして彼女は冷たくなった。彼女の遺骸をどうしたのか、怖くて聞けなかった。

鉄格子の向こう側の団欒。眩く、決して触れない、尊い光。
きっと私にとって触れない物が美しく尊いものに映るのは、その光景のせいなのだろう。それは手に入らない光なのだ。手に入らなくていい。手に入って、それに失望してしまったらきっともう生きてはいけない。

あの生暖かいで闇を背に私は犬小屋の中に居た。
あの日、潰して、殺して、隠して、漏れた音の無い叫び。
闇の向こう側、あの日の叫びが虚無へと連れ去られてしまった様な気がしている。きっと彼女と共に置き去りにしてしまった叫びについて。

人間は明るく生き続けることは出来やしない。
人間は暗く生き続けることも出来やしない。

傷は時間の中で癒えていく。けれども暗い場所に居続けたいと思う心は傲慢なんだろう。もしも暗がりを忘れてしまえば、あの暖かい闇が遠くに行ってしまう気がするのだ。ずっと鉄格子の内側に居たい。
暗い部屋で、手を伸ばしてみる。遮るもののない虚空が其処にはあった。
私は今、どちら側にいるのだろう。

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