陶器

映画のようなワンシーンの後も後日談は続く。
ハッピーエンドで終わらず現実は続いていく。

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わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまう
( Ora Ora de shitori egumo )ほんとうにけふおまへはわかれてしまふ
『宮沢賢治 / 永訣の朝』

愛着を以て、それを愛用するということ。
そこには確かに想いのようなものが宿ると信じたい。

人と人との関わりにも似て、
別離を迎えてしまった人にもいつか関われたことに意味が残ると願いたい。
それが価値観や境遇の違いでの別れであっても、
或いは失恋に伴うような別れであっても
例え永訣であっても。

例えば記憶の彼方に追いやって残骸すら消え忘れてしまったとしても
其処には何かしらの偶然以上の必然性があったと信じたい。
文字を書きたい衝動に駆られたので森に残る陶器について手前勝手に抱いた感傷を書いてみようと思う。
椀に係る想いとして、所々影響を受けた、宮沢賢治の詩を引用する。また昼間からの深酒と感傷病のため、言葉が乱雑になると思いますが、ご容赦を。

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人の手入れを離れた森は変容する。数十年もすればもうそこはただの森。
物質の腐敗や浸食の過程で最後に残るのは陶磁器や硝子といった無機質なものばかり。全て自然に還った先で、分解されることもなく残留する陶器に憐憫に似た感情を抱く。そこにあった愛着に、憧れのようなもを感じている。

もしも、単純に私が陶器だけが好きな人間であればこれらの断片を割れないように何かしらの保護活動をしていたかも知れない。
しかし、私は「誰か」の想い出が、「場」と共に緩やかに風化を進めていく彼らがどうしようもなく好きなのだ。

命には終わりがある。関係性にも終わりがある。
始まるということは終わり始めるということで、
悉皆永劫などは存在しない。
誰もが誰もにいつか取り残される。
それは必定の世の決まりであるからこそ
「さよなら」に人は意味を求めるのかも知れない。

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おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが兜率(とそつ)の天の食に変って
やがておまへとみんなとに
聖い資糧をもたらすことを
わたくしのすべてのさいわひをかけてねがふ

去る人に最後に手向けられるものがあるのなら、それは「さよなら」の言葉だけ。だからこそ、その言葉を飾り立て、僅かばかりにでも美しい想い出として大切にしたくなる。残される側に続く後日談の日常で、無聊を慰めるが如く、その別れを何度も頭の中で繰り返すのだろう。

渡す手紙の内容など、「その人に渡された」という事実に比べたら取るに足らないものであるのかも知れない。
それでも少しでも上手に手紙を書こうとするように、
さよならにすら意味を求め飾り立てる。
拙い手紙を書いた時、頭の中の見えない誰かに指差しで笑われているように強迫的に潔癖に。

綺麗に飾らずとも大切な人と一時でも共に在れた、
その事実だけで救われているのに、私はそこに意味を探す不毛を繰り返す。
写実的であった想い出が、少しずつ抽象的な姿に変容していくように。
そうすることで想い出の形を歪めている事実を自覚しながら、
そうしたところで、何一つ変わるものはないと知りながら、
感傷で、想い出を汚していく。
何年経っても鮮やかに色彩を残す陶磁器のように私は在れない。

悲しみは武器にならなかった。

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この雪はどこをえらぼうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ

想い出は、切り取ればどれもこれもが美しく見えるものだ。
実際は色々と泥臭い部分があっても、
遠くから想い出の景色を偲ぶとき時間に磨かれた想い出は綺麗に美化されている。

汚れた硝子を磨くことで美しく透き通って見えなくなっていくように
「忘却」とはある種、時間に磨かれた竟の姿なのかも知れない。

忘れてしまうことに罪の意識を憶えながらも、
本当は忘れてしまうことこそ、想い出の一つの昇華の形なのだとも思う。

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ああとし子
死ぬといういまごろになって
わたくしをいっしょうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを・・・・・・

生きろと言われてもどうしてよいか分からなかった。
けれども生きると約束したから生きてきた。

今になって思うと遺されるという事実に私は怯えてきたけれど、
託すということに重荷としての意図はなかったのだろう。

これからも「さよなら」を飾り続けるのであろう。
割れた椀では何も掬えないと知りながらも
取りこぼしながら、失いながら、
すり抜け消えていく想いと感傷の断片に心を痛めては、
身勝手に悲しくなったり、身勝手に泣きそうになってみたりして
いつか「忘れてしまう日」まで、何度だって自虐のように
美しさの断片を集めていくのだろう。

愛着ある想いに、遺る意味について重ねながら
失ったことを認められないまま、無様に泥臭く
「さよなら」がいつか昇華される日まで。

割れてしまった湯飲みは使えない。
破片が指を切り裂いてしまうこともあるのだろう。
その破片に切り裂かれた痛みさえ慈しみたい。
全て消え去るその日まで。


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後日談は続いていく。
どうせいつかは終わる世界。
もうどうせ諦めた世界。
なのに途方もなく美しい世界。
例え貴方に来る朝がなかったとしても。



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