国宝「鳥獣戯画」を江戸時代の人はどう見ていたのか?

12世紀から13世紀にかけて成立したといわれる国宝「鳥獣戯画」。今京都で展覧会がやっており、大変にぎわっているようです(木俣冬さんのエキレビ!のレビューがオススメです)。

動物や謎の生物がわんさか書かれている鳥獣戯画。現代人の目から見るとプリティでキュートで素敵です。作者は以前は鳥羽僧正と称されていましたが、今は作者は複数であるとされています。

この「鳥獣戯画」。江戸時代の人から見るとどうだったのか? 江戸時代後期~明治の人、薄井小蓮によって書かれた画家に対する論考「小蓮論畫」に、鳥羽僧正に対する論考が載せられています。

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梵餘筆墨、遊戯を事とす。怪態狂姿、手にまかせて成る。意匠奇なりといえども極めて奇怪。外道をもって僧正と呼ぶに擬える。
鳥羽僧正

僧正、名は覚猷。源隆國の子。わかくして大僧正覚圓の弟子と為る。学、行、ともに高し。天台座主兼法務、及び三井長吏に補ぜらる。大僧正に任ぜられ、鳥羽に住す。因て鳥羽僧正と称す。性、絵事を好みて、毎に奇逸の筆を以て、人物・鳥獣を写す。意匠怪奇にして、人の心目を驚かす。惜しむらくは、奇を求め過ぎ、遂には狂怪の一途に入りしことを。雅玩に非ざるなり。古人、張平山・鍾欽禮の輩を評して、「邪魔外道」と称す。余、僧正に於いてもまた云う。

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※原文は漢文。書き下しは漢字を現在のものに直したりひらがなに開いたりしています。

後半部分をざっくり現代語にしましょう(逐語訳じゃないのでちょっとニュアンス変わったらすみません)。

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(作者の鳥羽)僧正は、名前は覚猷という。源隆國の子で、若くして大僧正覚圓の弟子になった。学も仏道修行もともに優秀で、天台座主兼法務と三井長吏に任命される。その後、大僧正に任ぜられて鳥羽に住んだので、「鳥羽」僧正と称する。

生来絵を描くことが好きで、いつも奇怪なタッチで人物や鳥獣を描いた。その意匠は怪奇で、人の心や目を驚かせる。奇を求め過ぎて、ついに「狂怪」の域にまで入ってしまったのが惜しいことだ。僧正の絵は、雅人が楽しむ風雅なものではない。

昔の人が、張平山・鍾欽禮といった画家を「邪魔外道」と称した。私も僧正について同様に「外道」と言おう。

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「小蓮論畫」は、褒めてるときはベタ褒めしているのですが、けなすときはけっこうガッツリけなします。この鳥羽僧正に対する考え方は明らかに批判的。今の目から見ると「カワイイ!」となるところも、小蓮にとっては「卑俗的なもの」に映っていたのでしょう。

もちろん、江戸の人たちみんなが鳥獣戯画に対してそう思っていたわわけではなく、小蓮の考えはむしろマイナーなものだったのかもしれません。でも、昔も今も同じものを見て、あーだこーだと意見の違いを楽しむことができるのって、なんだかめちゃくちゃ面白いです。


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