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生きるということ


何を実像とし、何を架空と定義するかは人それぞれだが
私は触れられるもの、見えるもの つまりこちら側を実像と定義する

自分で実像を定義しているのに定義したことで
見えないのに感じられるもの 触れられて見えているのに感じられないものに直面した時に面食らう

そういうものに出会ってしまった時の最善解も対処法を私は知らない

見えない上に触れられないのに感じるものに出会ったとき、
今まで通りの体の感覚は無くなっていく
自分の意思で自分の思うままに動かせる体が解れた糸みたいに
蒸発していく水みたいに 感じていく

その糸が解けないように取り繕えば取り繕っていくほど崩れてしまう
破れた紙片をテープでくっつけて仮留めするように
私たちは体を言葉と行為で一時的にこの次元に留めておく
その模索という行為が生を実感できる唯一の方法

それの繰り返しを人は生きていると定義付けていくのだろう
そして、その繰り返しができなくなった時、人はぼくらに還元される

現実と架空の境界が曖昧なまま夢を忘れていく
たったの一つ、たったの一言で自分の全てを否定できてしまう

それを人々は世界とよぶ

わたしもまだ この世界に成れていない

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