置いてけぼりの、赤い籠。


昔から、自分の部屋の片づけは何一つ円滑に進まないのに公共の施設は綺麗に使用することができている。
この文章を書いている今も、キーボードのすぐ横に晩御飯のカレーが入っていた皿が残っているし、この皿を運ぶために使用したミトンも机の上に載っている。
今日買った水あめはまだ食べたくなるかもしれないからまだ片付けられないし、家に帰った時手に持っていた鍵とマスクも置きっぱなしだ。
読みかけの本は、机の隅の方に追いやられている。

そんな人間でも、公共の施設は綺麗にするものだ。
むしろ、知らぬうちにに家よりずっと気を遣っていることがある。

乗り込んだ新幹線の前ポケットにゴミが残っていれば、降車の際自分のものと一緒に持って外へ出るし、お手洗いの個室の床にトイレットペーパーが散らばっているのが気になって仕方がない。
触りたくないけれど、自分でやったわけではないしそのままでもいいのだろうけれど、何とか直接触れないようにしてある程度は綺麗にして出る。

以前どこかで、「部屋が汚い人は公共施設を綺麗に使える。そのまま放置しているとどうなってしまうかよく理解しているから」といった内容の話を聞いた時、一瞬そうかもしれないと思った。
しかし私の場合は、そうでもない。例えば上記の個室トイレの場合、「あいつが使った後のトイレ汚かったな」などとあらぬ濡れ衣を着せられるのが嫌だという、凝り固まった自意識からくる行動であることが大半だ。

あいつは、こういう状況を平気で放っておけるような人間なんだ、と誰かにレッテル貼りされることに怯えている。
誰に。
わからん。
怯えすぎている。
もしくはモニタリングの見過ぎ。

近所のスーパーで、今日を凌げるだけの買い物をしてきた。
パックのコーヒーと、レトルトのカレー、デザートに少し贅沢なコーヒーゼリーも確か買った。
書きながら、うっかり冷蔵庫に入れずまだ足元にあることを思い出した。
早く入れてこないと。あぁお尻が重い。
買い物を終え、持参したエコバックを片手に近場のカウンターへ移動する。会計が終了していることを判別するため色が変わった赤い籠をカウンターに置くと、すぐ近くにもう一つ無人の籠があった。
無人の籠も、赤い。

これは、どういう状況だろうか。
籠の中の商品を袋詰めして、籠を戻さずにそのまま帰った?
重たくなった袋だけ引っ提げて?
異様な存在感を放つその赤い籠は、そのまま?

……理解できん。
その、籠を回収する場所が変に遠いとか、自身の帰る導線にないということであればまだ理解はできる。納得はできないけれど。
だがしかし、ここのスーパーはカウンターの足元にわざわざ赤籠回収スペースが用意されている。
レジごと、4つの島に分かれた袋詰め用のカウンターそれぞれに近いところへ回収場所を用意してある親切仕様だ。

一歩も動かずに済むのに。
なぜ。
よっぽど疲れてたんかな。

ちょっとした不満がむくむくと上がったが、仕方ないので自分のさほど重くない籠をその籠に重ねようと少し持ち上げたとき。


その時、気付いた。


放置されていた籠の底に、十円玉が落ちている。
あー、どうしようこれ。

気付かなかった体で自分の籠を重ねるのは、さすがに無理がある。
袋詰めが終わって、籠を持ち上げたときに盛大な音が鳴っても恥ずかしい。
だが、自分のお金でもないのに頂戴するのは気分が悪い。
わざわざ財布を開けるのも面倒だ。もう仕舞い込んでしまった。
じゃあ、レジの高校生くらいのお嬢さんに渡す?
「これ、落ちてました」って?
「あの、籠を片付けようと思ったら中に入ってて、あ、でもそのこれは私の籠ではなくて、さっきまでそこに置いてあって、ついでに片付けようと思ったらたまたま見つけてしまったので」って?
いや、ごめん無理や。私は文字面でないと流暢に話せない。

結局、袋詰めして自分の分の籠だけ戻して立ち去る。
他の誰かがしたのと同じように。
カウンターを離れたタイミングでお姉さんが横を通り、こちらを一瞥してカウンターの上に残されたままの赤い籠を回収する。

違うねん。それ、私ちゃうねん。
私ちゃんと直してん。誤解や。
お姉さんそれ十円玉乗ってんねん。
どうにかしといてなぁーーーー

そんなことばかり頭の中でずっと考えてしまう。持て余しているこの自意識はどこかで買取とかしてもらえないんでしょうか。
下取りとかでもありがたいんですけど。

読んでくださってありがとうございます。
毎週水曜日呟けたらいいなと思っています。
また遊びに来てほしいです。
それでは、おやすみなさい。




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