専業主婦の昔話その1

10年以上前、私はとある研究室のゼミ生だった。
先生がとても学生思いで温厚だったため、今思えば研究ごっこをさせてもらってたような気もするが、研究って面白いなぁと取り組んでいた。

研究室はいろんな都合で私が入る少し前に本家から分家していた。元は同じ研究室だったので先生同士も仲が良く、ゼミもコンパも一緒にやった。本家というだけあって(私が勝手に名付けただけだが)、分家よりもデータの扱いや研究に対する姿勢が丁寧で厳格だったように思う。分家が見えてないことを本家は見えている、もっと深く考えている、そんな感じがした。
先生と私でうーんと困ったときは本家の学生に聞きに行った。すると「先生はいつも甘いんだから」と笑いながらも「こんな論文があるよ」とさらっと助けてくれた。合同ゼミのときも対等に真摯に議論をしてくれた。

そんな本家のふたりについて書こうと思う。

一人目は同期の彼。
彼とは出身地が同じという共通点があった。学部生のころから授業が始まる前にぽつぽつと話すことがあった。授業とは全く関係ない本を持っており「今こんな勉強してんだよね」と見せてくれた。スペイン語講座と書かれた本を彼はしばらく読んでいた。そしてある日「少し話せるようになったから通じるか試してくる」といってペルーへ出かけて行った。そんな彼だ。

研究室に入ってからも「(本家に)遊びに来てよ、面白いもの見せてあげる」と言うので行くと、自分で組み立てたウインドウズじゃないOSの入ったパソコンの説明をしてくれた。「真っ黒な画面とかじゃなくて意外と普通なんだね」と言うとうれしそうに「うん」と返事をした。
彼は私よりも遥かに頭が良く、近年まれにみる優秀な学生と本家の先生からお墨付きを頂いていた。研究もじっくり熟考型。対して私はとにかくデータを解析ソフトにぶっこんで、足りない頭で理屈をこねくり回し、レフリーに「日記のような論文だ」と言われながらも役に立つか分からないような論文を数うちゃあたるで書いているだけの学生だった。それでも彼は私を馬鹿にせず「また論文書いてるの、すごいね。僕も負けないよ。」と言ってくれた。本当は馬鹿にしてた?いや、私のことが好きだったに違いない。おめでたい解釈にしておこう。
本当は私がもっと同等に渡り合える研究者なら彼はもっと楽しかっただろうなと思った。学部のころからいつも彼はひとりでいた。
彼はアメリカで修士号と博士号を取って大学の先生になった。
日本語をぽつぽつと話す彼が、どんなふうに英語を話すのか見てみたい。
ましてやスペイン語なんて、どんなテンションで話していたんだろう。

次女が起きてきたのでふたりめはまた今度にしよう。

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