専業主婦の昔話その2

タカラのカンチューハイを一つあけないうちからほろ酔いである。
そういえば、あの人も、いや、あの人の世代は酒豪ぞろいだった。

あの人は周囲から苗字に先生をつけて呼ばれていた。だからここでも先生と呼ぼう。先生は昼間は全く姿を見せず夜になると研究室に現れて、担当教諭とほとんど顔を合わせずに修士をとったという伝説のあるかなりのツワモノだった。でも実家は農家だとか、パソコンを作るのが好きだとか、トムとジェリーが好きだとか、口癖が「非常に興味深い」だとか、素朴でマニアックでどこか萌える、そんな親しみも込めての”先生”だったように感じる。

私が研究室に所属した時、先生は博士課程の学生だった。ご実家の農家を継いでいたが再び研究室に戻ってきたということだった。同郷同期の彼にWindowsじゃないOSの入ったパソコンを見せられに行った時、先生は研究室にいた。さすがに色々思うところあったのか、博士課程の先生は大体昼間に顔を見せるようになっていた。調子の悪くなった私のノートパソコンを見て「みーかぁ、みーはきびしいなぁ、みーはぁ」と嬉しそうだった。「みー」がWindowsMeの事だと気付いたのは先生が10回くらい「みー」と言ったときだった。先生はそれほど背が高くなく、二重の可愛らしい顔をしていて、色が白くてぽっちゃりしており、柔らかいストレートの髪をしていて「みーみー」いってると猫のように見えた。
夜しか研究室に現れなかった先生は、実はとても気さくで説明が上手でまず声がいい。この例えが的確かどうか分からないが、フリーザ様のような少し高めのやさしい語り口だった。研究室の院生を対象とした先生による統計の特別授業が度々行われおり、「もののほんによると」を連発しながら先生は頭の中の膨大な出典を引き出しながら楽しそうに説明をする。先生の発声と説明が上手なので、言葉自体はするすると耳に入ってくるのに内容は難しいので理解できない、でも心地よい、という不思議な感覚だった。いつも同じ服を着て少し香ばしいかおりの先生が輝いて見えた。

ある日、先生に大きな変化が訪れた。同じように授業をしているように見える先生がいつもと違うのだ。いい香りがする。茶色のロンTの上に暖色系のチェックのシャツを着ている。ふっくらしていた体型も日に日に細くなり、先生がいつもより色気を増して輝いている。

先生に彼女ができたのだ。

初めて気づいたのだが、この時、何とも言えない切なさがあった。
私だけか?いや違う。
みんなが自分の気持ちは深堀りしないように先生の幸せを喜んだと思う。

みんなが先生の事を大好きだった。

先生はその後、順調に博士号をとり、婚約し、本当に大学の先生になって結婚して、あっという間にアメリカに行ってしまった。

先生、元気ですか。
私の事は忘れてしまったかもしれませんが、ずっと尊敬しています。


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