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親になっていく

学生時代の友人3人組で度々ラインをして楽しんでいる。
全員が乳幼児の母親となり、もっぱら子育ての話題で盛り上がっている。

その中で、一人の友人が「夫に子どもを任せて30分だけ自由時間をもらい、コンビニの駐車場でコーヒーをゆっくり飲めたのが幸せだった」と言ったことがあった。
私ともう一人は「わ~か~る~」と返事。続けてコーヒーの友人は「子育てしてると幸せのハードルダダ下がりするよね。」と言った。

心底わ~か~る~である。
小さい子どもがいると、自分のタイミングで自分の好きなことを一人で行うことが困難になる。乳児のうちは目も離せないし、肉体的、精神的拘束時間は多くなる。夜だって一晩通して眠れない。幼児になったら少しは楽になるが、世話を焼いてほしい他に見てほしい要求が増えておしなべて5分に1回は「かぁか」と呼ばれる。これは愚痴になるが、父親が側にいて、父親でも対応できることでも「かぁか」なのである。

話を元に戻して。
子育ては幸せ。とはこの事か!とツッコミを入れてしまいたくなる。
毎日子どもと暮らすことに精一杯に動き続けていると、自分のことをする時間がない。夜だって寝かしつけるつもりが一緒になって寝てしまう。子どもが眠りから覚めれば次から次へと要求を応酬しあい時間が過ぎていく。子どもとともに生活を回していくことで100%になる。そして奇跡的ともいえるふとした瞬間に「あ、いまイスに座ってお茶飲めてる~」=「幸せ~」となる。

幸せのハードルが下がるというか、座ってコーヒーをゆっくり飲める時間が非日常となる。かつての日常が非日常となり、非日常が日常となる。人はいつも、日常に満足できず非日常に幸せを求めているのかもしれない。
今思えば独身時代はなんと自由で幸せだったことか、と思ってしまったりもするが、その時はその時で、周囲の結婚がうらやましかったり、先に母親になっていく友人が遠くへ行ってしまうように感じたものだ。

かつての日常であった仕事が今は楽しくてたまらない。家に帰れば子どものお世話。一日の中でも非日常と日常を行ったり来たり…そのうち日常が非日常になり、非日常だったものが日常となり…そのたびに退屈になったり、懐かしんだりするのだろう。貴重な境目を経験させてくれている子どもたちには感謝である。

これまでの日常が非日常になること。それをどう受け入れていくかが、親になる覚悟である。ただし、新たな日常はなんだかんだ言って楽しく、ものすごいスピードで終わってしまうんだろう。先人がみんな言ってる。子育ては幸せだと。

たまに夜更かしするとこんなもの書いて…さあ寝よう。
子どもと寝ると、肩は凝るけど温かい。


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