平成「最後」の思い出

 明日から新元号、とテレビから声が聞こえた。今日で平成も終わりだと思った時に、ふと気が付く。
 平成31年の5月から12月はどうなるのだろうか。
 俺はその瞬間猛烈な睡魔に襲われ、眠りに落ちていった。


1

「新(あらた)、起きて!」
 母さんの声に起こされ、俺はもぞもぞと布団から出た。
 今日は休みだったような気がするのだが、と思いながらリビングのドアを開けると、食卓にはもう弟の元(はじめ)が座っていた。
「おはよ、兄ちゃん」
「おう。……なあ、今日って休みじゃなかったっけ?」
「何言ってんの?まだ寝ぼけてる?確かにゴールデンウィークは近いけど、今日も明日もまだ平日だよ」
 元に怪訝な顔をされて、俺は、そうか、と小さく呟いた。
 なんだか今年の大型連休は長かったような気がするんだけどな、と考えようとすると、ズキッと頭に痛みが走った。
「うっ」
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
 頭痛は一瞬で収まった。なんだったんだ、今のは。
 俺は不思議に思いながらも食パンを頬張り、準備をして家を出た。


 キーンコーンカーンコーン。
 チャイムが鳴って号令がかかり、挨拶をして担任が出席を取る。
 それはいつも通りの日常のはず、だった。
「新井(あらい)」
「はーい」
「居成(いなり)」
「はい」
 担任が聞き慣れない名前を呼び、女の子の返事が聞こえた時、俺は思わずそちらをバッと見てしまった。
「おい新、なーに居成のこと見てんだよ。もしかして好きなのか?」
 それを目ざとく見つけた隣の席の昭(あきら)がひそひそと声をかけてきた。
「いや、えっと……。あの子って前からいたっけ?」
「はぁ? ごまかし方、下手かよ。いくら居成さんが転校生だからって、4月からいるんだぜ?まったく、照れちゃって~」
「え、そ、そうだっけ」
「平(たいら)」
「は、はいっ!」
 俺が戸惑っている間に担任が俺の名字を呼んだので、慌てて返事をした俺の声はうわずってしまった。くすくす、と笑い声が起きる。俺は恥ずかしくて黙って俯いたが、頭の中は初めて見る居成さんのことでいっぱいだった。



2


 居成さんのことを考えているうちに授業は終わっていた。授業中は昭や他のクラスメートに気づかれないようにちらちらと居成さんのことを観察していたが、クラスにもなじんでいて、おかしいのは俺の方なんじゃないかと思えてきた。
 もやもやした気持ちを抱えたまま下駄箱に行くと、帰っていく生徒たちが色とりどりの傘をさしているのに気づいた。
「雨かよ……」
 灰色の雲が立ち込める空模様は、まるで俺の頭の中を表しているようだった。


 家に着き鞄を置いて、スマホでも見ようかと制服のポケットを探ると、いつも入っているはずのそれがなかった。おかしいと思い鞄も探すが見つからない。
 学校に置いてきたか、と思い、取りに戻ろうと玄関のドアを開けると、空はすっかり晴れ上がっていた。さっきのは通り雨だったようだ。
 学校に戻り昇降口に着くと、ちょうど、あの居成さんが帰るところだった。
「あっ……」
 思わず漏れた声に気づいた居成さんは、顔を上げると俺に尋ねた。
「どうしたの?」
「あ、いや、スマホ忘れちゃってさ……」
「あ、じゃあ私、平くんのスマホに電話かけようか?」
「え、いや」
「いいっていいって。電話番号教えて?」
居成さんの強引さに押され、俺が電話番号を教えると、すぐ近くから俺のスマホの着信音が聞こえた。
 俺たちは顔を見合わせ、音の鳴る方へ近づくと、スマホは俺の下駄箱に入っていた。きっと雨に気を取られて、傘を出そうとした時に、手に持っていたスマホを置いたままにしてしまったのだろう。
「あったね!」
「あ、ああ……」
 居成さんは自分のことのようにはしゃいでにっこりと笑った。そして
「平くん、初めて喋るよね?」
「うん、えっと、居成さん、だよね?」
「そうそう。留(るい)でいいよ!」
「るい、さん……。」
「呼び捨てでいいのに。平くんのことも新って呼んでいい?」
「いいけど……。」
「やったぁ!私、早くクラスになじみたいんだけど、まだ全員とは喋れてないんだよね。だから今日、新と喋れてよかった!これからよろしくね!」
 居成留はとても強引だった。俺はその勢いに押されて、うん、と頷いていた。



3

 次の朝。俺が教室に着くなり
「おっはよーう、新!」
 居成留が元気よく声をかけてきた。
「お、おう……」
 俺は戸惑いながらも軽く手を挙げて応えた。
 すると、昭が不思議そうに聞いてくる。
「え?お前らってそんなに仲良かったっけ?」
「いや、実は……」
 俺が昨日のことを説明すると、
「なーんだ。両思いってやつね」
と昭がにやにやしながら言ってきた。
「やめろよ……」
 俺がため息をつきながら居成留を横目で見ると、彼女はもう他の友達と楽しそうに喋っていた。
「そんなんじゃないっての……」
 俺の呟きは誰に聞かれるともなく消えた。

 それからというもの、居成留は事あるごとに俺に話しかけてきた。
 俺もそれに応えていくうちに、だんだんと彼女のことが気になるようになっていった。
 そうして少しずつ仲良くなっていった俺たちは、主に留の誘いで、2人で出かけることも増えていった。
俺たちは付き合ってこそいないものの、俺と彼女の名字から「平成カップル」なんてよくからかわれた。
やめろよ、なんて言いながらも、俺はからかわれるたびにこっそり彼女の顔を窺っていた。留はいつも通り笑っていて、それがどういう笑みなのかは読み取れなかった。


クリスマスはなんだか気恥ずかしくて、俺が先にバイトを詰め込んだ。
俺が何も言わなければきっと留が誘うと思ったから、クリスマスの話題が出る前に、俺から
「いやー、街中はすっかりクリスマスムードだけど、俺はイブも当日もバイトだよ。人が足りてなくてさー」
なんて自嘲気味に言った。留は
「そっか、大変なんだね」
と、またいつもの笑みを浮かべていた。俺は留が残念がらなかったことを少しだけ寂しく思っていた。もうこの頃には、すっかり留に惹かれていた。


4

 そして、大晦日がやってきた。
 大掃除も終えた夕方に、スマホに届いていた留からのメッセージに気がついた。
『今年最後の夕焼けを見に行かない?』
 俺は留からの誘いが嬉しくて、すぐに行くと返事をした。
 この街で一番夕焼けが綺麗に見える丘に急いで行くと、そこには夕日を見つめる留の背中があった。
「おまたせ」
声をかけると、留が振り向いた。俺はすかさずその瞬間を写真に撮る。
「ちょっと、やめてよ~」
 朗らかに笑う留の笑顔が眩しくて、俺は照れ隠しに笑いながら夕日の写真を撮った。
「新は写真が好きだね」
「うん。あとで見返すと、思い出も鮮やかに蘇るだろ」
「そうだけど……」
「留は好きじゃないのか?」
「うーん、嫌いじゃないんだけど、記録よりも記憶に残したほうがいいと思うんだ」
「そっか……」
 留はいつも自分の意見をしっかりと持っていた。
「それに、再生する機械が必要なデータよりも紙の方が長持ちするんだよ」
「そうなの?」
俺が振り向くと、
「ねぇ、新」
と留がカメラを構えた。
「えっ?」
「はい、チーズ」
 パシャッと音がして、留の持っていたカメラからゆっくりと写真が出てきた。
「え、これって」
「インスタントカメラだよ。世界に1枚のチェキが撮れるやつ」
 そう言って留は俺たちの姿がそこに浮かび上がるのをじっと見つめた。そして、
「これ、新にあげる」
と俺にチェキを手渡した。
「失くさないでよね、ほら、ちゃんとスマホケースにでも入れて!」
 俺は留に促されるままにチェキを挟んだ。
 それから俺も夕日を見つめる留の隣でその視線の先に目をやり、思い切って口を開く。
「あのさ、来年も……留と一緒にここで夕日が見たいんだ。だから……」
「あの!」
と、留が俺の言葉を遮った。
「今年って、何年だっけ?」
「え?2019年?」
「そうじゃなくて」
「あ、平成31年ってこと?」
 その瞬間、俺の頭にズキリと痛みが走った。
「そう。平成最後の年……」
 留が静かに言ったその時、俺の心臓の拍動はどんどん早くなっていった。知ってはいけない真実に近づいている気がしていた。
「平成天皇が退位する日……新も知ってたよね?」
「……」
「平成31年4月30日。それが本当の平成最後の日だった」
「でも、今は」
「そう、私たちが今いるのは平成31年12月31日。天皇が退位しなければ、あるはずだった時間」
「……」
 留は、夕日の方を見ながら、夕日よりもさらに遠くを見つめるような目をして言った。
「平成31年の5月から12月は、どこに行っちゃうんだろうって……新は前に思ってくれたよね?」
 俺は黙って頷いた。緊張で口の中が乾いて言葉が出てこなかった。
「気づいてくれて、ありがとう。私と過ごした平成の8ヶ月間……忘れないでいてくれたら、嬉しいな」
 いつも元気な留が、俺に静かに微笑みかけた。その目には光るものが見えた。
「忘れない……俺は、絶対……」
 乾いた口から絞り出すように言うと、留がにっこりと笑った。
「ありがとう……じゃあね」
 その言葉とともに、目の前の景色、留の姿が薄れていき……。


 シャーッ。
 カーテンを開ける音とともに、眩しい光が俺を照らした。
「うーん」
「兄ちゃん、もう昼だよ?新元号一発目から寝坊?」
元の声に目を開け、もぞもぞと動いて枕元のデジタル時計を見ると、確かに今日は5月1日の12時だった。
 なんだか長い夢を見ていたような気がする。
起きるか、と思い、伸びをしてから時計の隣のスマホを開こうとすると、手帳型ケースの間からはらりと何かが落ちた。
 それを拾った瞬間――。
 その女の子の姿が、ともに過ごした時間が、脳内を一瞬で駆け巡った。
「留……!」
 思わずスマホを開き、連絡先、メッセージの履歴、5月1日の着信履歴、そしてアルバム、すべてを遡ったが、そこに留の痕跡は一つもなかった。
 慌てて拾ったものを見ると、そのチェキの端には『H31.12.31』とくっきり印字されていた。その時俺の脳内に『紙の方が長持ちするんだよ』という声が響いた。
 俺たちが映るそれに、ぽたりと一滴の雫が落ちた。

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