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ギブアンドテイク



「Burning(以下、バーニングマンと表記)」というイベントをご存じだろうか。

Guided by the values expressed by the 10 Principles, Burning Man is a global ecosystem of artists, makers, and community organizers who co-create art, events, and local initiatives around the world. Most recognizably, tens of thousands of Burners gather annually to build Black Rock City, a participative temporary metropolis in the Nevada desert.

What Is Burning Man? - BURNING MAN PROJECT

簡単にいえば、夏に1週間ほどネバダ州はブラックロック砂漠で行われる大規模なイベントである(実際にはそのイベントを指すだけでなく、10の原則を共有する世界中すべてのイベントも同様にいうようだ)。なお、バーニングマン、というのは、イベントの最後日に街の象徴として全てを見守っていた人型の造形物”The Man”を燃やすことに由来している。

このイベントでは、貨幣経済や商行為は忌むべきものであり、明確に禁止される。見返りを求めない贈与が共同体を成立させているのだ(物品の交換や、物品とサービスの交換も推奨されない)。 その広大な会場の各所には、参加者(バーナーと呼ぶ)たちが昼夜問わず大小さまざまな自己表現をする。絵画や彫刻、ミュージカル、楽器演奏、デコトラ、DJが盛り上げるダンスフロア、カクテルや料理、ボディペインティング、瞑想、ヨガ、座禅、マッサージ、カウンセリング、パン教室、鉄パイプ溶接教室、セスナ機の遊覧飛行、人力メリーゴーランド、などなどなど。 バーニングマンはすべてが贈与で満たされる空間で、参加者は贈与を礎とした自己表現をする。

ここでの価値観では、こういった活動に参加し、積極的に人の輪に加わっていくことや、自ら独創的な活動を企画し、実践を試みるという姿勢を高く評価する。 反対に、ただ「バーニング・マンをみにきた」観客であろうという態度は非常に恥ずべきことだ、とされている。

10の原則や、バーニングマンについてのより詳しい情報は以下のURL先を参照してほしい。



さて、このイベントのなんと魅力的なことか。資本主義・貨幣経済に塗れた世の中を生きているわたしからすると、土台がひっくり返ったようなこのイベントの強い引力に身を委ねてみたいと強く感じている。

しかしながら、このイベントに参加するためには実は参加費(これが結構高額なのだ)が必要である。この善意による贈与が満たされた空間に参加するのは、このイベントに参加できるのみ人。それはもちろん、富める者である。なかには、このイベントのために1年間働いたその稼ぎの全てをここでの贈与に充てるような、ある面で「余裕のない」人もいるようだが、その実践は容易いことではないし、そもそもその高額な費用が稼げるような手段がある人だ。言ってみれば、バーニングマンは強者同士が贈与し合う空間かもしれない。弱者への贈与(いわば分配)がどれだけあるのだろうか。

もちろん、だから意味がないというわけではない。バーニングマンがもつこの贈与の精神はやはり必要なものだろう。ここでまた別の問題が浮上するのだが、それは、このバーニングマンをどのように祭り・フェスのような非日常のイベントのひとつとして、「楽しかった〜また来年!」とSNSに投稿するようなものではなくできるか、ということ。「ユートピアを消費せず、日常を侵食するためにはどうしたらいいか。」という問いが出てくる(バーニングマンがどれだけ実社会への批判を意図しているかはわたしの存ずるところではないのですが)。

これらの問題(閉鎖性や消費のしやすさ/されやすさ)を考えれば考えるほど、共同体への絶望にあふれてしまうのはわたしだけでしょうか。開き直ってしまえば、閉鎖してしまうならそういうユートピアがたくさんあればいい。一瞬で消費されるならそういうユートピアを間断なくやればいい。でも開き直っていいの?って、よくわからないんですよね。とりあえずやってみろ、というお告げが聞こえてきたりもするんですが。

とりあえず「バーニングマン」について紹介したかったので、このあたりにします。願わくば、みなさんの日常に「(あらゆる社会問題に対して)観客でいることを批判する」価値観が少しでも侵食できればいい。

ちょっといい醤油を買います。