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ここまで倒れちゃったらもう倒した方がいいケーキ

ある日①
カフェで作業をする。となりのテーブル席に座っている5人グループの話が大いに盛り上がりはじめた。5人以外のこのフロアにいる全員の居心地が悪くなっている。現実のこういう「ままならなさ」がたまらなく嫌いだ。「もう少し静かにしてもらえますか?」と直接言えない自分を瑞々しく嫌いになる。

ある日②
ケーキを食べる。フルーツがあまり得意ではないので、もっぱらチョコ・チーズの2択になりがち。ケーキを食べるとき、一応倒さないように食べる。でも、もうここまで傾いちゃったら、むしろ倒しちゃったほうが食べやすいし、お皿も汚れないんじゃ?となってそっと倒すタイミングがある。ケーキならすんなり決断できるのにな、と思う。

ある日③
免許の更新をする。混みすぎ、並びすぎ、待ちすぎ。施設内が疲弊のため息で満ちている。気が滅入るが、ここにいる人たちが1ヶ月以内に誕生日を迎えるor迎えていることを考えて、とてもハッピーな空間に変換することに成功する。
ペアルックのカップルを見つける。いや。ここに一緒に来てるってことは、たまたま誕生日が近くて、免許更新の周期が一緒で?え、免許合宿で付き合ってるってこと? 変換の必要なくハッピーな人たちをみて、少しだけ世界に希望を持ち直す。

ある日④
健康診断を受ける。午前中の受診だが、朝から何も食べていないのでヘロヘロしている。ここにいる人たちって全員腹ペコなんだな、と思ったら気難しそうな成人男性の集団がほのかに可愛くみえてくる。積極的に人の可愛さに気づいていきたい。

ある日⑤
友だちの結婚式に出席する。

人が歌を歌うことの始まりには、いくつかの説があって、風や雷の音を模倣する今でいうオノマトペのようなものだったとか、落語や演劇のようにストーリーテリングの側面が強かったとか言われている。あるいは、「祈り」であるとか。
音楽サークルの友だちなので、式のなかで奉唱をさせてもらう(本人の希望であって、決して無茶な余興ではないことが重要)。学生時代にたくさん歌った思い出の曲が、単にそれだけでは無くなった。結婚する2人の眩い前途への祈りの歌にもなった。そういう意味の重なりに震えている。

めちゃくちゃ素敵な式だった。人生にビンゴがあるなら、「生まれること」が真ん中で、「結婚」は4つ角のどこかなのかもしれないと思った。それくらい良い式だった。わたしのビンゴはなんだかまだ空いている穴が少ない気がする。けれど、自分の不完全さがどうでもよくなるくらい素晴らしい式だった。落ち込んだときは、人のハッピーを浴びるといいのかもしれない、と、忘れないようにメモをする。


ちょっといい醤油を買います。