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歴史を学んでいく際の視点

これまで7回に渡ってブローデル『地中海世界』の読書会を開催してきた。これを踏まえ、次回は歴史研究の専門家を迎え、こちらの質問やネタに議論させていただく予定だ。質問やネタは1人3問(ネタ)、1問250字を基準とする。内容は知識や情報を尋ねるのではなく、自らの見方や解釈を提示することで、自分の考え方の幅が広がる可能性を探ることだ。

1、これから読んでいく本

当初、欧州各地の歴史や文化の本を読んでいくつもりだった。時代では近代、地域ではスカンジナビア諸国やケルト文化も2冊目の対象と考えていた。しかし、本書を読んで地中海世界、特に古代ギリシャ以前のことをもっと知りたいとの欲求がでてきた。ただ、現在、手元に適当な本がないため、欧州の言語や宗教の簡単な通史を読むことで欧州文化の基礎を知ろうと考えている。つまり政治史や経済史あるいは技術史をあえて外すことで、欧州の歴史に対する柔軟な態度ができないかと思っている。→以下、過去のリンクでは「感想」とした一番下の文章に関連する。

2、イスラム圏やギリシャ正教圏への見方

前近代とは何なのか? イスラム圏とギリシャ正教も含めたキリスト教圏の「共通の里」として地中海を捉えると、何が前近代で近代かの基準は脆くも崩れる気がする。西洋とは違った路線を辿った文化圏の考え方を「遺物的や前近代」とみなしやすい傾向を、文化相対主義とでも呼ぶべき観点だけで回避できるかどうか問われていると考える。その際、上記1で述べた政治、経済、技術だけで歴史をみない観点が大切だと思う。とすると民俗的社会史はどうなのだろう?もしくは、このように何々史という分野別の歴史の見方そのものが歪みを生むのだろうか?

3、美術史や文芸史の位置

これまで述べてきた論点からすると、美術史や文芸史はより「本当の姿」に攻め入ることができるのか、あるいは逆に為政者の論理に近づくのか。それがイスラム文化圏、ギリシャ正教圏、西洋キリスト教圏によって差異があると考えるのが妥当なのか?少なくても政教分離を表看板にする社会とそうではない社会では違いがあると考えるのが適当ではないかと思う。要は、歴史を書くにあたり「構える必要のない人」の視線が、時代や社会によって変化するであろうから、それぞれをどういう角度で切り分けるかが腕の見せ所なのか?という目を磨くのが、歴史の面白さではないだろうか。

これまでの各章のまとめと、その時々に分かったことは以下に記している。


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