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マックスビルのポスターをつくろう。

2008年1月17日

マックス・ビルの息子、ヤコブさんの別邸はスイスの山の上にあります。「かつて」と「今」が一緒です。「かつて」はアトリエとして使用され、「今」は生活空間です。2007年3月、ここに僕たちは訪ねました。僕たちって、メトロクス社長の下坪さんと僕です。

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ヤコブさんは考古学者ですが、お父さんのアーティストの血をひき、考古学者+アーティストです。赤いセーターに赤いデッキシューズが良く似合い、そして、もちろん時計はマックス・ビル。ベルトも赤です。しかし、セーターの下はグリーンで、ジーンズは黒。この日、僕たちは2回目の試作品をもっていったのですが、「う~ん、まだだね」という評価でした。父親亡き後、彼がマックス・ビルの著作権者なのです。彼から「OK」の返事がもらえるまでには、その後、何回かの試作を重ねなければいけませんでした。

以下がその時の作業風景。ご存知の図柄がテーブルの上に見えるでしょう。そう、ここのテーブルを挟んで、ヤコブ・ビルさんと、「このカラーはいいけど、こっちは駄目」とやりあったのです。

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じゃあ、どうしてマックス・ビルのポスターを作ろうと思ったのか・・・・。

2008年1月18日

毎年、ミラノのサローネが開催される時期、二つの大事な場所があります。一つはトリエンナーレ。もう一つが大聖堂の横にある王宮です。これらの場所で企画されたイベントは、その時の文化トレンドをとてもよく伝えてくれます。

2006年春は、マックス・ビルの展覧会でした。5月のある日、入場者も少ないだろう時を狙っていってみました。アート作品、建築、工業デザイン、グラフィックデザインがすべて一堂に会したもので、入り口にはバウハウス時代のクレーばりのビルの絵画が並んでいました。その次は三次元。僕はこれらの作品をみながら、これらの彫刻のどれかを縮小版にして商品化できないかなと思いました。

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それで、このアイデアを早速、東京にいる下坪さんに伝えたところ、「じゃあ、次回、ミラノに行くときに展覧会をみながら話し合いましょう」との答え。展覧会は6月中旬まで続いていたのですが、実は彼はヨーロッパへの航空券がなかなかとれなかった・・・・2006年といえばサッカーのW杯がドイツで開催されていたのです。どこの都市へのフライトも全部満席。さあ、困った・・・・。

2008年1月19日

2006年6月、ワールドカップでヨーロッパのどこも町中が燃えているなか、すべての飛行機が満席・・・他のアポも調整しながら席がとれ、下坪さんがミラノにやっと到着できたのは、なんとマックス・ビル展覧会の最終日前日でした。確か、日本がオーストラリアに大敗した直後だったでしょうか。

到着翌日の朝、早速会場に向かい、かなり長い時間滞在しました。すべてを見終わった後、下坪さんが「三次元は色々と難しいことが多いので、まずは二次元でやってみたいですね。マックス・ビルのグラフィックデザインもいいけど、僕は彼の二次元アートが良いと思います」と言いながら、もう一度、二次元アートの場所に足を運びました。

いや、バウハウス時代のタイプじゃないです。その後のもっと幾何学的作品です。「これなら、日本だけなく、海外にも売れやすい。海外からも結構オンラインで問い合わせが多いので、そうしたお客様にもマッチするカテゴリーになります。ポスター化するにあたり、日本に戻ったら、印刷会社にあたってみましょう」というのが、彼の意向でした。そこで、僕は誰が著作権を所有しているのかを調べることにしました。

2008年1月21日

マックス・ビルの著作権者をどう探したか?ですが、これは企業秘密!(笑)。下坪さんは、マックス・ビルに詳しい方たちの協力も得て資料を集め、ポスター化をするのは、下記の製品が良いのではないかと提案してきました。(以下はhttps://metrocs.jp/item/477/掲載のものです)

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いい趣味していますねぇ。これらは1935年から38年にかけて発表された「一つのテーマに対する15のヴァリエーション」から選びました。一方、僕はマックス・ビルが欧州ではどういう文脈で知られている人なのかを調べてみました。 日本では「バウハウス最後の巨匠」「ウルム造形大学学長」という形容のされた方をしており、必ずしも一般にはアーティストとしての知名度が高くない印象をうけていました。

アーティスト、建築家、工業デザイナー、グラフィックデザイナー、教育者・・・・マックス・ビルは色々な顔をもっています。欧州では、これらがかなり実態として伝わっているとの感をもちました。彼の作品をどのあたりの美術館が保有しているのかもチェックしてみました。いやはや、たいしたものです。あっと言う間に世界一周旅行ができます。スイスポスターという歴史のなかでも、マックス・ビルの名前は出てきます。

当然ながら、ドイツでの評価も高いです。まあ、これらをもとにして、メトロクスのサイトでのマックス・ビルのプロフィールを作っていきながら、海外と日本の両方で売るコンセプトをより固めていったのです。

2008年1月21日

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今回はのっけから画像。最初がマックス・ビルの息子のヤコブ・ビルさんの作品。次が彼のアトリエです。初回(1)で紹介した石でできた「かつて」の家のなかです。これらが、スイスの山の中にあるのを想像してください。 スイスってどんな国か少し分かる気がします。あなたもチューリッヒの街中を歩くと「なるほどねぇ」とうなづくはずです。ファッションブティックの壁は白く、そこには明るい抽象画が掛かっている・・・これなんですね。さぁ、今すぐ、スイスへ行こう!

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左の 「今」と「かつて」の家の間に立っている赤い人、彼が噂のヤコブ・ビルさんです。右はヤコブさんが自分の作品集にサインしてくれているところ。

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奥さんは声楽家で、魅力的センスに溢れる女性です。二人の間にいるのが、本邦初公開(!)、下坪さん。 この日は、ここで昼食をご馳走になったのです。因みに、写真では見えませんが、椅子はウルムです(下)。いやあ、この椅子がこんなに食事の席に合うとは思わなかった・・・・不覚でした。

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<以上は、メトロクスのブログに書いてあったものをnoteに移行したのですが、その際、画像のサイズにトラブルがあり、小さいものになっています>

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