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三浦春馬さんの出来事から学んだこと。

「初めてのNoteがこんな内容でいいのか」

そうったけど、彼の死から10日が立っても自分の頭の中から離れない。

三浦春馬さんファンには怒られるかもしれないけれども、正直なところ、私は三浦春馬さんにこれまで全くと言っていいほど興味がなかった。にもかかわらず、7月18日、彼が亡くなったことを知ってから、なぜかずっと気になっている。
これまで一番身近な祖母がなくなったとき、同世代の知人がなくなった時ですら、ここまで引きづったことはない。不思議なぐらい気になっている。だからこうやって書いてみることにしました。

1.三浦春馬さんの死が気になることへの違和感

改めて、なぜこんなことを書くのか。

これまで全く興味がなかった方のことが、びっくりするぐらい気になってしょうがないからだ。その理由をここに書いてみる。

三浦春馬さんの話をする前に、なぜ私がびっくりしているのか、その理由を「芸能」「テレビ業界」に視点を広げて語ってみる。

私は、2015年に上京してから、ほぼ全くテレビを見なくなった。

小学校高学年から高校生ぐらいまではテレビドラマにはまり、流行のバラエティは友達との話題にするために見るという普通の女子中高生。
ただ、受験勉強が本格化した高校3年生ぐらいからテレビを見る頻度が減った。
どこにも属せず社会からはみ出た空白の時期である予備校生時代、そしてバイトにサークルに忙しかった大学生時代には、さらにテレビが遠ざかった。特に大学3年生の時に経験した1年間の留学期間中は空白。当時流行した芸人は存在すら知らず、周りの友人にはびっくりされたほど。
そして、社会人になるとさらに加速していった。ただ、特定のテレビ番組は見なくても、家に帰ればテレビをつけ、受動的ではあるもののテレビのある生活を送っていた。

テレビを見なくなる決定打となったのは、転職して東京に来てからのことだ。テレビは嗜好品と捉えていた私は、テレビが家にない時期もあった。知人に譲ってもらったテレビを見ていた時もあったが、地元関西とテレビのチャンネルも違えば、番組も違う。何気なしに見続けて好きだった「ちちんぷいぷい」「せやねん」「マルコポーロ」「よ~いどん」これらはすべて関西ローカル番組だったことに気づいたのは、東京に来てからのことだ。

長年親しんだ関西で見つけた行きつけのお店や馴染みの景色もなければ、気軽に会える友人もいない、そんな孤独を感じるなかでテレビに救いを求めたけれども、それも叶わなかった。ちゃんと調べれば、何かの番組にはたどり着けたのかもしれない。ただ、関西と東京のチャンネルを比べたり、いつどこで何が見れるのか調べる気力もなく、結局チャンネルが同じ「8フジテレビ系」以外の番組をほとんど見ることはなかった。いまだに、東京でどのチャンネルがどのTV局か知らない。そのうち、テレビを含む芸能の世界への興味が薄れ、好きな芸能人を聞かれても「昔はKinKiKidsが好きだったけど、今はいない」と答える始末。

なお、現在はシェアハウス生活なので、リビングにテレビはあるが、テレビをつけること自体、月に1回あるかないか。テレビをつけるのは、選挙の日の夜と何か重大な事件、地震や台風といった天災があったときぐらいだ。

テレビを見なくなった私は、最近流行しているアーティストや曲、タレント、俳優はまったくわからない。恥ずかしながら、ONE OK ROCKは彼氏に教えてもらって知ったというレベルの低さ。笑

芸能人に関するニュースも「へ~そーなんだ」と思うぐらい。芸能人による不倫や事務所退所報道なども、スマホでニュースをチェックした流れで知るぐらい。不倫騒動など各番組がこぞって取り上げているのを見ると「日本って平和だな~」と思っている。

2、なぜか反応した三浦春馬さんのニュース

だけれども、7月18日、たまたま彼氏の家でテレビを見ていた時に速報で流れた「三浦春馬さんが亡くなった」というニュースには、自分でもびっくりするぐらい反応した。

それ以降、洗いざらいニュースを読み漁るようになった。一言で表すならば「なぜ?」もちろん、本人がいなくなった今、真実を知ることはかなわない。真実を知ったところで彼が生き返るわけでもない。それは分かっていたけれども、なぜだか「その真相を知りたい」そう思ってとにかく関連する記事を読み続けた。

各種メディアによる過剰報道への批判に関する記事も出て、これ以上詮索するべきではないこともわかっていたが、やめられなかった。普段は健康的な生活を心がけていた私が、深夜まで起きてネットでニュースを探し続け、過去のインスタライブやYoutube動画なども見まくった。

3.彼の選択に対する私なりの考察

私は、本人に会ったことはおろか、ファンでもなかったので、彼の人柄や性格などのパーソナリティに関することは何も知らない。なので、記事を読んで彼の人柄を知った程度に過ぎない。けれどもその中で分かったことは

・彼のことを悪く言う人はいない、誰からも評判が良い
・一部、SNS上で誹謗中傷を受けたこともあったが、直接的な理由にはならなさそう
・根っからの真面目、何にでも一生懸命取り組む誠実な人柄
・こだわりが強く、際限なく常に上を目指し続ける究極の完璧主義

ということだ。

そして、とある心理学関連の専門家へのインタビューをもとにした記事と、心友がSNSで投稿した記事を見て、自分なりの一つの結論が出た。

きっと三浦春馬さんは、究極の完璧主義であるがゆえに、自分で自分の存在を認めることができなかった。叶うはずも達成するはずもない「完璧」な状態を目指し、自分で自分を奮い立たせ、時には自分の体に鞭を打って努力し、究極までいろんなことを突き詰め続けたのだろう。だから、誰からも評価の高いある種完璧な「三浦春馬」が出来上がった。

一方でそのことで、危険性や脆さも同時に内包している。自分で自分を認められないがゆえに、他人から評価されたり認められることで、自分自身を満たそうとしてきた。ただし、根本的に自分で自分を認めることができない人は、本質的に自分が満たされることはない。

けれども、他人の評価を得ることで自分を満たそうと頑張り続ける。このループには終わりがない。どれだけ他人から認められたとしても、自分で自分を満たせないから、本質的に満たすことは永遠にかなわない。

けれども、そのループにはまり、極限まで自分を追い込み上を目指し続けてきたんじゃないか。その積み重ねで、その糸がぷつんと切れた。それが7月18日だったのではないかと思う。報道でも触れられていたが、彼は今回だけでなく、過去にも何度も死について考えたことがあったんだと思う。

その気持ち、私は痛いほどよくわかる。死について考えているときって、自分以外の他の人のことは一切どうでもよくなり、自暴自棄な状態になっている。昔の私もそうだった。

死が頭によぎったとしても、なぜ死なないのか。それは、何よりも死ぬ勇気もないからだ。生きていくことが辛くなるけれども、死ぬことも怖い。そうして、死なずに生き続ける。

彼もきっと、そういうことを心の奥底で感じていたけれども、本音やダークな素の自分自身を、ありのままの自分を、心を許して見せられる人がいなかったんじゃないかな。そんな自分を拒否されることが怖すぎて見せられない気持ちもよくわかる。

きっとこれまでの彼は、そんな葛藤を抱えながら、友人との他愛もない会話や趣味に没頭することで紛らわしてきたんだと思う。

じゃあなぜ彼は死んでしまったのか。きっと、今回のコロナの影響で、人と気軽に飲みに行ったりお茶し足り、直接会って話すことが難しくなった。全てのコミュニケーションはSNSやオンラインに取って替えられた。もちろんそれでも人とつながることができるが、リアルでのコミュニケーションとオンラインでのコミュニケーションはやっぱり違う。今回のコロナ禍の自粛の影響で、これまで人と会ってお酒を飲んだり、何気ない会話をすることで紛らわしてきたその気持ちを紛らわせる手段がなくなったんじゃないかなと思う。

それが積もりに積もって、7月18日、衝動的に行為に及んでしまったのではないかと思う。多くの人が触れていたように、きっと自分の選択を誰よりも後悔しているのは彼自身ではないかと思う。

4.彼の死を通じて気づいたこと、そして私の使命

多分、数年前までの私も三浦春馬さんと同じような心理状態にあったけれども、幸いなことに私は、ここ数年で自分なりのコミュニティを複数持つことができた。
・3年前から始めたシェアハウスライフのおかげで、コロナ禍でも一人にならずにすんだ。
・2年前から始めた人生をデザインする朝活メンバーでの振り返り会をコロナ禍でもオンラインで開催することで、人とのつながりを感じることができた。
・朝活メンバーと毎日朝に20分ほど瞑想の時間を持つことで、自分の心を落ち着かせることができた。
・他の誰にも言えないようなダークな自分をさらけ出せる人がいる。何もジャッジせずにただただ受け止めてくれる人がいる。

私は三浦春馬さんほどのプロフェッショナルな要素は何も持ち合わせていないし、ストイックさもない。かなり多くの時間を無駄に過ごしている。いまだに、自分のことは好きになれないし、自分で自分のことは認められない。だけれども、自分らしくいられるコミュニティや何でも話せる人がいるおかげで、以前は頻繁に頭をよぎっていた「死」を考えることもほとんどなくなり、比較的平和に生きている。

昔の私は、ホームで電車を待っている時に「今ここから飛び込んだら死ぬのかな」とよく考えていた。もちろん一度も飛び込まなかったから今こうしてここでNoteを書いている。

未だに「努力が足りない」「もっと頑張らねば」「自分はできる」と思うことが多いけれども、一方で、だらだらと過ごす割合も増えてきている。まだまだ課題はたくさんあるけれども、私の心理状態は、以前よりだいぶマシになったと思う。

きっと、数日前までの彼と、少し前の私自身が被ったんじゃないか。だからすごく気になって頭から離れなかったんだろうと思う。

もし私が彼と面識があれば、彼の話を聞いて救うことができたのか、それは全く分からない。けれども、気づいたことがある。

同じようなことで苦しむ人に気づくことができる力があるのではないか。その人の気持ちに寄り添って『頑張ることも大切だけれども、逃げたり諦めしたっていい。それでもあなたの価値は下がらないよ』そういう言葉をかけられるんじゃないかなと思う。

同じような境遇にある人の心に寄り添い、ありのままのその人を受け入れること。これは「私が持って生まれた使命の一つ」なのかもしれない。ふとそう思った。

過去には戻れないので、彼が生き返ることはもうない。今の私たちができることはただ一つ。彼の死を自分自身の気づきや行動のきっかけにすること。誰でもいい、身近な人でもいいしはるか彼方にいる人でもいい。誰でもいいから心の支えになること。ありのままのその人を受け入れて暖かく優しく包み込むこと。

最後になりましたが、三浦春馬さんのご冥福をお祈り申し上げます。

みなさんは、世界を震撼させたこの出来事を通じて何を感じ、どう次の行動に繋げますか。