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言葉としてのアウトプット

映画、ライブ、本、ドラマ。
今回りにはたくさんのコンテンツが見放題で転がっていて、
それを自分で選び取って観る時代になった。

選んだコンテンツがすごく良かったとき、
自分の中で見る前には感じ得なかった
感情がわーっと沸き起こって、
すごい、これはすごいぞ、と思う。

そしてこの感情を誰かに伝えられたらいいな。
わかってもらえたらいいな。
そう強く思うのだけど、
いつもうまく伝えられない。

感じたことを人に伝えるってすごく難しい。

なんかすごい。と思う。
でもそのすごいがどのようにすごいと思ったのか、
自分が何を思ったのか表現するのが難しい。
だからすごい、というざっくりした曖昧な表現でまとめてしまう。

他にも、可愛いとか、素敵とか、好きとか、安易に総称する。
もっと自分が感じた深い感情があるはずなのに。
それを表現することを怠っている。

口コミや評価をできる人というのはすごいと思う。
自分のものさしだけど、周りから何を言われようと、
ちゃんとものさしがある。
それを語って公開することも勇気だ。

もし本をたくさん読んでいれば、
知識がたくさんあったなら、
インプットに対して、
自分の引き出しからこれだと思うものを取り出して
そっと比べてみたり、
これと同じ引き出しにそっとしまったり、できるのかもしれない。

私が持っている引き出しはたぶんすごく小さい。
しまうスペースも小さい。
だからきっと簡単に終わらせてしまうのだ。
せっかく引き出しに入れられそうなものを、
ちゃんと消化することなく、
なんか良かったなあ、という気持ちで引き出しに入れずに流してしまうから
良かったと思ったものでも、すぐ忘れてしまうし、
その一時しか自分のプラスにならないことが多い。

努力をしたい。
ちゃんと自分の言葉で伝えられるように。
コンテンツがごろごろ転がるこの時代、
いつでも観たいものにアクセスできる。
一つ一つを大切にしまっておく必要はもしかしたらないのかもしれない。
でも少し努力をして、ちゃんと言葉にしておけば
自分の中に刻まれるだろう。
少なくとも感じたものをひかえておけばまた見ることができる。
そのときの気持ちを蘇らせることができる。
また同じものを観たときに前みたときとは違う感情が生まれるかもしれない。
その比較を楽しむのだってきっと楽しい。

このnoteも感情のアウトプット。
自分を少し底上げしてくれますように。
そしていつか大きな書斎の本棚みたいになって
自分のお気に入りの部屋を作れますように。

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