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逃げるは恥だが役に立つ

最近動画配信サービスで、
数年ぶりにこのドラマ(以下、逃げ恥)を見返している。

ちなみに私について、初回放送時はモラトリアム只中の大学生、
現在は限界を迎え社会より離脱中の(社会人)であります。

主人公・みくりは妄想・思考の癖が強くて、
加えて心理学専攻だったこともあり分析屋。
非常に近しいものを感じるなーと思って当時も楽しく見てました。

が、今、社会を経験ししかも絶賛挫折中の今、
共感値が高まったり、別の見方をして感慨深さを感じたりしている。

逃げ恥って「自己肯定感」が一つのテーマだと思っているんだけど、
私自身社会人になって、自分の中で一番変わったと思っているのは、
その「自己肯定感」への認識。

大学時は「周りは多分自信家と思ってるだろうけど実際私高くはないんだよなー」くらいの自覚の上で
平匡さんのその低さとか、それを分析するみくりちゃんを見てた。

⇨現在、

「私もとてつもなく低かった、というか毛ほどもない、ネガティブ思考回路いちいち分かるし経験ある超分かる共感が止まんねえ怖い、、、」

これって大学の頃が間違っていたというよりかは、
当時まではありがたいことに「自分は自分を好きじゃなくても、認めてくれる人や受容してくれる人に囲まれてしかいなかった」から
真に自己肯定感について考えられてなかったんだろうなと、今だから思う。

学生の頃とは違って、
評価が可視化されにくかったりそもそも人との距離感が遠かったりして
他者からの関心や感心が向けられなくなったことで、
「これまでは周りのおかげで気にならなかっただけで私って自分を認めていないどころか能無しとすら思ってる」って自覚してしまった社会人の悲劇。

そして「自己肯定感」の他に、タイトルが、
「逃げるは恥だが役に立つ」の全てが、刺さる。

ある日、ぷちっとぶちっと、
もう仕事無理かも行けないかもってなって現在休職の身なのですが。

本当はそのずっと前から限界きてること自覚してたけど
「休んでどうする、一般道から外れてまで、不甲斐なくないか私」
とか現状を脱することにビビり倒していて、
まあ自覚してるってことは客観的に見れてるってことでつまり
まだ余裕あるってことだろうなどと謎無理を自分に強いてたあの頃……。

実際に休んで、心身を取り戻しつつある今だし結果論なんだけど、
誰かにずるいと後ろ指をさされていたとしても、休む決断は正解だった。
逃げるは確かに恥には感じたけど、役に立った!!!

とまあ、2点について述べただけなのにこんなに長いびっくり。

ゆりちゃんとか風見さんを見てても思うことあるし
まだまだ語るところありすぎる逃げ恥ですねえ。

さあて私も家事代行のお仕事始めようかしら〜あはは〜

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