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なぜ創造することが大事なのか


「創造」することの重要性ーー
なんとなく理解はしているが、なぜ重要なのだろうか。

ここで強く言いたいのは、進化の過程で
「AI技術の発達により、それに寄っていく人間が増えていく」
これが危険すぎるということである。

ようするに「感情」をすり減らしていることにつながる。

私は「創造は対話から生まれる」と思っている。
自分の意見を発信し、他者の意見を収集し、創作する(隙間を埋める)
それにより共感や反発を得ることが、思考を生む作業すなわち創造につながると信じている。

ここでは動物、人間、AIを対比して考察する。

動物と人間の言語表現の違い


動物の言語性質

動物は言語性質を持つが、そのほとんどが人間の3歳児並である。
音や意味の対応は可能だが、言語の組み合わせは不可能である。

動物の言語性質のなかで歌文法というものがあるが、これは求愛行動にだけ活用され、意味の伝達ではない。

動物の未来予測に関しては一部あるとされているが、これも不確かである。

よって、動物は言語の意味を組み合わせて無限の表現はできないと言える。

上記のことを端的に示すと、

言語の音や意味に対しての対応は可能だが、組み合わせは不可能
歌は求愛行動に活用される
⬇️
非常に正直な表現である

人間の言語性質

対して人間の言語性質は非常に複雑であると言える。
「分離性」「文法」「生産性」「超越性」すべてを兼ね備えているといえるだろう。

よって組み合わせにより、いかようにも活用できる。
歌も作れれば、求愛行動もでき、未来予測も可能である。

言語を組み合わせることによる最大のメリットは、

「無限のメッセージを作り出すことが可能である」ということだ。

ただ、最大のデメリットも存在する。

人間はしばしば表情と発話の矛盾が生じることがある。

これによりわかることは、「発話の組み合わせにより、高度な嘘がつける」ということだ。

上記のことを端的に表すと、

言語の音や意味に対して無限の組み合わせが可能である
⬇️
正直と虚偽が同在する表現である

AI技術の言語性質

動物の言語表現が非常に正直なものであるとともに、人間の言語表現は正直と虚偽が同在するということがわかった。
どちらにせよ、情動表現が可能であるということもわかる。

ではAI技術の言語性質はどうか?

AI技術に関しては言語情報のみで、情動情報はないと言える。
感情をインストールする技術が発達してきているのにこんなことを言うのはなぜか?

単純に、AIは死なないからである。

死なない、生殖しない物体に真の情動を組み込むのは不可能と考える。

一生死なない=無感情=種の保存が不可能となる。

AI技術の発達による弊害は確かにある

ここで少し焦点を進化に当てていきたい。

動物➡︎人間➡︎AI

を言語に関して対比してみる。

動物・・・音や意味の対応は可能だが、組み合わせは不可能
⬇️
無限の意味を表現したい
⬇️
人間・・・無限のメッセージを作り出すことが可能
⬇️
事の効率化をしたい
⬇️
A I・・・言語情報のみで情動情報なし

動物が無限の意味を表現するため人間へ進化したとして、人間が事の効率化をはかるためAI技術を作っているとすると、ここで大事なものが置き去りになっているのが明らかとなる。

前述で述べたように、人間は無限のメッセージを作り出すことが可能であるが、その特色として「正直と虚偽の同在」がある。

「正直と虚偽の同在」により生じる問題は言うまでもなく、
発話の編集によりいくらでも虚偽ができるということだ。

虚偽が多い=AIと同等(言語に情動が含まれない)

という方程式が成立してしまうのだ。

そう考えると現代の人間は、自分でできることの怠慢により、自ら自滅への道を歩んでいると言えよう。

単純に「幸せ」から遠ざかる作業に多くの時間を費やしており、その技術に熱狂しているのが現代人である。
長い年月で考えると、退化を示す技術に熱狂しているのである。

人間が言語でできる最大の進化が「創造」である

言語に関して言うと、組み合わせで全ての感情を表現するために人間に進化を遂げたとするのであれば、私たち人間がすべきことは、「感情表現」であると言えよう。

ただこの「感情」が動くことは、人が人を介して味わうものであり、
また記憶にも大きく結びつくのが人を介して感じた情動なのである。
言ってしまえば人間には情動のみが蓄積されていく。

知識は一定期間を過ぎたら忘れるのに対し、情動は確かに記憶に刻まれる。

では情動を動かすものは何か?

創作・表現(愛情・怒り・悲しみ、それら全ての情動伝染)

これは人間の進化のために必要なものであるとともに、人間のみが生み出し、蓄積できる産物と言える。

創造性のある人間とそうでない人間はいるのか

これはいないと断言しておく。
技術の進歩により、また見せられる情報の多さにより考えることが少なくなった弊害がここにある。

人間は誰もが同じように創造性や芸術性を兼ね備えている。
言語の組み合わせで無限にそれを表現できることが証明しているように。

気をつけなければいけないのは、

技術、知識に寄っていく(これに頼りすぎる)=AIに近い人間が増えていくことだ。

これは自ら退化を選んでいるとしか言いようがない。
人間の技術進歩により、コミュニケーション形態がネットに変化したことが、
希望の道と自滅の道を同時に産んだと言える。

ではその狭間にいる私たちにできることは何か。
人間は誰もが同じように創造性や芸術性を兼ね備えているのに対し、
それを発揮する環境が極端に少ないのが現代社会である。

創造性のない人間はいない。
ただ、考えていないだけなのだ。

考えなくても簡単にそれっぽい正解が手に入る世界では、考える必要がなくなる=AIと同等レベルに頭脳が退化する。

創造は対話から生まれる

技術や知識の進歩により失われたものは確かにある。
単純にAI技術すごい!などと感激してしまうが、それにより失われたものも確かにあるのは事実である。

ではそれを取り戻すためにどうしたらいいのか。

ようするに「感情」を取り戻すためにどうしたらいいのか。
考えること、対話すること、その環境を整えること。
無駄を厭わないこと。

知識や優越感をひけらかすのではなく、心を動かす何かを生み出すことに対し、時間を使った方が人間としてはるかに有意義なのではなかろうか。

自身の怠慢により退化を選んできた大人たちが次世代に残せるものを考えると、楽な道を選び続けてきた大人たちがまず「正直」になることが先決である。


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