幼きヒロイズムと理不尽

 小学二年生の頃の出来事である。行間休みの20分間、僕は仲の良い同級生と共に、二人でボールを蹴り合っていた。校舎と校舎に挟まれた空間で、その日は何故か人通りも一切なく(これは別に伏線でも何でもない)、まだ幼い僕達は「ラッキーやね!」などと喜びつつ遊んでいたのだ。素直に校庭で遊んでおけば良かったものを、まったくおバカな連中である。

 さて、この二人が遊び始めて10分くらい経った頃、同級生の蹴ったボール(僕じゃない。この時のシーンこそ明確に覚えている)が昇降口にある窓ガラスに直撃し、大きな音と共にガラスが割れてしまった。二人して顔面蒼白になり、その後の処理について考え始め……結局、悪ガキの僕達は、目撃者がいなさそうな事を確認した後、現場をそのままに逃走したのである。今にして思えば、当然の事ながら、あの場で大人しく先生を呼んでおくべきだったのだが……。まだ幼かった。幼いなりに、怒られたくないという気持ちだけは一人前だったので、悪知恵を働かせてしまった。二人でシラを切り通せば何とかなると本気で思っていたのだ。許してくれ。ごめんなさい。

 そして、何食わぬ顔で次の授業を受け始めようとした所、教室に入ってきた担任教師(女性。フルネームまで覚えている)が開口一番に言った。「このクラスに、さっきの休み時間、出入口の窓ガラスを割った人がいます」と。幼い僕は焦りに焦り、目撃者がいたのか、もしかして弁償させられるのか(当然である)、親に何て言えばいいのか、怒られたくないなぁ、などという思考の数々が脳内のメリーゴーラウンドを超高速で回転していた。そんな中、僕は脇汗ビッショリのままポーカーフェイスを保ち(どうせそれすらも出来てなくてバレバレだったと思うけど)、沈黙を保っていた。

 しかし、クラスの全員が沈黙する中、自分(と、もう一人)のためだけに時間が浪費されていくのが耐え切れなくなった僕は、どうせもうバレているのだから黙っていても仕方がないと判断して、立ち上がった。「僕がやりました」とだけ、震えた声で呟く。僕なりに、ありったけの勇気を振り絞って放った一言だった。担任は一度だけ頷くと、落ち着いた優しい声で「来なさい」と言って僕を手招きした。その瞬間、あらゆる重圧から解放されたような気がした。何だその優しい声は?もしかすると怒られなくて済むのか?そう思った。それと同時に、怒られるとしても、それは僕だけでいい、全ての罪を僕が背負おう……と考え、まるで世界を救ったヒーローになったかのような気分でいた。

 教壇にいる担任、その目の前に僕が立つと、担任は教壇から下りて「あかしょん♤君が 自 分 で 割ったの?」と言った。ああ、全てバレている、共犯者(というか僕以外の実行犯)がいる事すらも──。やはり、目撃者がいたのだ(当然である)。しかし、僕は自ら友達を売る程のクズではなかったので(この時はヒロイックな気分に浸ってたしね)、数秒だけ沈黙を保った後、僕が「そうです」と答えようとした瞬間──共犯者の同級生、即ち本当の犯人が立ち上がったのだ。「僕が割りました。あかしょん♤君は一緒に遊んでいただけです」という言葉と共に……。良心の呵責に耐え切れなくなったのだろう。僕は心の底から驚いた。こんな青春ドラマみたいな出来事が起こるとは。人生まだまだ捨てたモンじゃないな、と幼いながらに思った。

 担任は「……分かりました。君も前に来なさい」と言い、同級生もそれに従った。二人並んで間抜け面を晒し、クラスメート達は、真顔でその間抜けな二人を見つめる担任の一挙手一投足に注目していた事だろう。そして「あなたが割ったのね」と同級生に向かって確認すると、同級生は「はい」と答えた。それまでヒロイックな気分に浸っていた僕は、少しだけホッとしていた。同級生が罪を肩代わりしてくれたからである。全ての罪を背負わずに済んだ……。しかも、僕は巻き込まれただけ。本当は悪くないのだ。いや、黙って逃走したのは悪かったと思うし、後悔しているけども。どっちかと言うと悪いのは同級生の方だ。遊び場所を決めていたのも彼だったし。などと考えていた。とんだヒロイズムがあったものだ。

 そして次の瞬間、担任は油断し切った僕の左頬に、強烈なビンタを叩き込んだのである。

 パァン、という乾いた音が、教室中どころか学校中に響いたような気すらした。

 当時は流石に周囲の反応を窺う余裕はなかったが、隣に立つ同級生も、クラスメート達も、呆気に取られていたと思う。何故、実行犯でない僕が叩かれたのか?同級生は体罰を受ける事なく、その場では口頭で注意を受けただけだった。何故、実行犯である同級生は叩かれなかったのか?真相は分からない。ジンジンと痛む頬を意識して、思わず両目に涙が滲んだ事が忘れられない。

 実行犯でもないのに先に名乗り出て、友人の分も罪を背負おうとしたのが気に食わなかったのだろうか。単純に、叩く方を間違えてしまったのだろうか。しかし、それなら同級生も叩かれて然るべきだろう。そう考えると前者の説が濃厚だが、担任の連絡先を知らないので、今となっては確かめようもない。いや、油断し切った僕の顔が気に入らなかったのか?その可能性もある……。

 とにかく、この出来事を機に、幼いあかしょん♤少年とその同級生は、ちゃんと校庭で遊ぶようになったのであった。ちなみに親にはこってり絞られ(叩かれる事はなかったが)、ガラス代も弁償してもらった。迷惑かけたね……ごめんよ。幼い僕を許してくれ。

 終わり。

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