52ヘルツのくじらたちを読んで、性について考える
はじめに、【ネタバレ注意】です。
まだ読んでいなくて、ご自分で読み進めていくつもりの方はこの先読まないでください。
話題作、52ヘルツのくじらたちを読了。
親から子供への虐待は、たとえ作り話でも悲しいしやり場のない怒りがこみ上げる。
物語の中では二人とも救いの手を差し伸べてくれる人がいたことに、読んでいるこちらも救われた。
更にもうひとつデリケートなジャンルだと思ったのが、トランスジェンダーのアンさんの存在。
実はこちらの方が私の中では考えさせられる事が多く、モヤモヤしてしまったので、モヤモヤの正体を探りながら文字にして書いてみる。
ずっと男性だと思って読んできたアンさんがまさかの女性だったという衝撃、これがこの小説で1番の転換部分だったと思う。
アンさんのことを男だと思っているうちは、読んでいてとても苛立った。キナコに思いを打ち明けられずに今の関係をのんびり続けようとしておいて、彼氏が出来た途端に態度が変わり付け回すなんて。ストーカーじゃないか。ちゃんと告白しなかったアンさんが悪いよ!と。
けれど読み進めていくうちにアンさんは実は女性だったことがわかり、好きだという気持ちも告白できず、精神的に追い詰められて自殺してしまった。
辛い……辛いけど。
ここで、男ならシャンとせぇ!という気持ちから、そういう事情だったんだ…辛かったね、死ぬほど辛かったんだね…という気持ちに揺れてしまった私のこの感情が、読み終わってからもなんだかスルーできなくなってしまって、一度どこかに吐き出したくなったのでした。
すごく悪意をもった変わり方としては、主人公の彼氏の主税。男なら恋敵として鬱陶しがっていたのに、トランスジェンダーとわかった途端ものすごく見下した態度になった。
良くも悪くも、アンさんが女性だとわかったらやはり見方が少し変わってしまったのである。
トランスジェンダーというものへの理解が足りないからだ!といえばそこまでだが、そこで見方が変わった人が多かったから、この本は話題作になったのではないかとも思う。
自殺するくらいならせめて打ち明けられなかったの?とか、トランスジェンダーだということは言わなくても、主税(主人公の彼氏)に婚約者がいるよってことは先に教えても良かったんじゃ?と最初は思った。
けれどアンさんの中では、キナコが本当に大切で、彼女に嫌われることは死ぬより辛いことだったんだろうし、打ち明けることで今までの関係ではなくなってしまうかもしれないという深い深い葛藤は、やはり当人以外には見えない所にあるものだ。
やはりアンさんも自分の声を人に届けられない52ヘルツのクジラだったのだ。
性の多様性が認められる時代と世間的には言われているけど、認めるってなんだろう?
多くの人にとってそれはテレビなどでオカマタレントが大いに活躍して、ニュースで同性婚が取り上げられ、男の子がメイクしてるのを「そういう時代だから」と言えるくらいのものではないだろうか。
もっとフォーカスを当てて、当事者や身近にそのような人がいたら、本当に理解を示せるのか?と考えさせられた。
え、アンさん女の子だったの?
それでどうして自殺しなきゃならなかったの?
告白すれば良かったのに。バカだね。
と、ストレートに思える程にはまだ性の多様性というものについて私の脳は柔軟じゃなかったのだ。
自分の娘が恋人を作るくらいの年になれば、もっと恋愛の在り方も様々になると思う。
むしろ産まれた時から「そういう時代」を生きる娘たちのほうが、理解をするのではなくそれが普通だと思っていくのだろう。
アンさんのお母さんだって娘をすごく愛していた。けれど時代の流れに考え方がついていかなかった故に、アンさんは声を届けられないクジラになってしまった。
私自身も、時代の境目を跨ぐ親として、大切な人の声を受け止められる存在でいたい。
ということを、考えるきっかけになる本でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?