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[soliloquy] "売れる"こと。と。"本物であるか"と言うこと。

自分自身を含めて、昨今、発信をする(脳内の思考の一部を垂れ流す)場を個々に持てるようになって、ソーシャルメディアにおいては、”フォロワー”や”いいね”などといった形で、その発信へのレスポンス・世間の反応が「可視化」されるようになった。

そのなかで、個人的によく考えるのが、表題である。

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個人的に、Twitterは”オタクメディア”で、Instagramは"ディジタルタトゥー”だと認識している。

Twitterは、140文字(280Byte)テキストによる大喜利の場と化していて、世間が「でゅふふ」となるツイートがバズる。所謂”あるあるネタ”だったり、「それ私(俺)も思ってた~」となったり、「ワロタwww」となるようなものが日の目を浴びる印象。これは私見だが。

Instagramは、日常の"瞬間"を切り取って、世界中の思考や感覚が近い人たちと個人生活のある瞬間を共有して、感覚を分かち合う印象。こちらもあくまで私見だが。


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例えば、とある10,000フォロワー以上のTwitterユーザを覗いてみると、アイコンは何かしらのアニメのキャラクター(しかも著作権違反じゃね?というやつ)で、ツイートの内容も、誰かしらの大喜利ツイートを引用リツイートしているものが散見された。

一方、自分自身の知り合いのアカウントを覗いてみると、カッコいい写真や、純粋なふとしたつぶやきが見られたが、フォロワー数は600強であった。

前者は、どこの馬の骨とも分からない存在かつ、「でゅふふ」なツイートで埋め尽くされており、後者は、オシャレなツイートで溢れている。しかし、フォロワー数が多いのは、圧倒的に前者である。(なお、後者の知り合いは、超絶イケメンで、実際に相当数の人間から慕われるような、素敵な人気者である。この場では紹介は避けるが。笑)

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そして、本題である。

恐らく世間様では、結果的に”数字”で「売れている」か否かが判断されるため、もしフォロワー数で評価するならば、先の例では前者のでゅふふなユーザが売れていることになる。

しかしながら、実際のカッコよさや所謂「モテ要素」や「カリスマ性」は(私見が多分に含まれるが)圧倒的に後者にあるので、後世、世に語り継がれるであろう”ホンモノ”は、後者ということになる。(前者はでゅふふな意味で語り継がれるかもしれない。黒歴史。)

こんなことを考えるとき、ふと脳裏に出現する話と言えば、”画家”の話ではる。


現代にも名をとどろかせるような画家たちは、生きていた当時に売れていたのか、というと、概ねは”売れては”いない。個人的に大好きなSalvador Dalí(サルバドール・ダリ)ですら、パトロンたちの存在がなければ、ろくにご飯も食べられない時期が圧倒的に多い。


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と、ここまで色々書いてみたが、結局自分自身も、この記事もAnToshiという人間の「脳内の思考の一部」を垂れ流しているに過ぎない。

(所謂"ホンモノ"が大衆性とか気にせずにご飯が食べられる幸せな世界でありますよーに。はーと。)

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