語るわよ!!!(お笑い魔境)

最初はねこっちも有料記事の予定だったの、でもね、なんかすごいたくさんの人に読んで貰いたくて、だからここを開いてくれた以上読んでみて

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3649!!!ヨロシク!!!(聖センタリーヌ~!)

読みはセント センタリーヌ ね だからなに?は禁止玉子

みんなm-1っていつから見てた?最初が2001 19年も前なのね

アタシは初年度だけリアルタイムで見た記憶がないの、それ以降は見てるはず、色々おぼろげな記憶ではあるんだけど確かに

京介(地元フレンズ)と くいちゃん(同じく地元フレンズ「ちなみにくいちゃんの本名は水鶏口←これで くいなぐち って読むイカれ名字なの」)

そのくいちゃんが全然普段お笑いとかで笑わないのに笑い飯さんの『顔機関車トーマス』というフレーズでめっちゃ笑ったっていう話をしたのを覚えてる

ラサール石井さんがそのネタの後半確か爪のくだりがあって『ネタが二分しちゃってるなぁ』みたいなこと言ってたのも記憶があって 大人になってからもDVDとか借りたことないしネタ以外のところがどこかに上がってたりってのも考えづらいしきっと小6か中1の時見てるのよね

あー、でもYouTubeとかにも昔はたくさん落ちてたかしら
あんま見てたって大きい声では言えないけど😜

それ以降もきっと見てるはず

特に印象に残ってるのは個人的に2006年だったかしら、ライセンスさんが敗者復活だった年 この年は高校2年生なんだけど さがぽん っていう女の子のおうちにお泊まり会っていう今思えばなんで?どういう成り行き~!?!?
っていう陽キャイベに参加しててもう一人の友達トクさん(この子も女の子)というもうラノベの主人公じゃん!アタシ!

ってな感じの年だったんだけど

その後22歳の秋まで純潔を守ったアタシにとっては当時、まったく無粋な考えはなく、さがぽんとトクさんとさがぽんの弟とパパとママの6人でリビングで楽しくM-1見たのよね

さがぽんパパが『ライセンスの方がおもしろかったけどなぁ』って言ってたのとかすごい覚えてる

まぁとにかくM-1の日は家で見るのが絶対に当たり前くらいには特別なものだったわね

なんせ山口家はアタシが27歳になるまでテレビを録画するという文化も機材もなかったからリアルタイムで見逃したら死 だったから

そんなこんなでそんな偶発陽キャイベ以外は授業が終わったらだらだら家に帰ってスカパーでプロ野球見るかYouTubeで爆笑問題はじめ漫才動画を見るしかしてないアタシが高3の夏にM-1のホームページに載ってた『M-1甲子園』っていうサイトを見つけちゃうわけ

えっ!?高校生の漫才の大会がある!?そんなことある!?!?

『出た過ぎる…』と思ってすぐに特進クラスの友達の掛ちゃん(唯一こういうことに乗っかってくれそうだった友達)に頼み込んで出場を決めるの、これがアタシの人生を決める最初の一手ね

実際応募したあとM-1甲子園から封筒が届いたと思ったら大阪の大日予選の封筒が届いて高校生なりに頑張って問い合わせして送り直して貰ったり、送り直して貰ったあとの封筒が母親に見つかって『受験の前にどういうつもり!?』とバカしかられたりはあるんだけど…笑

ちなみに余談なんだけど受験の前にどういうつもり!?なんて言う割には予備校には通わせて貰えなくて、一応なんちゃって進学校だったんだけどクラスメイト45人中塾に通ってなかったのはアタシとなぜか競輪選手を目指してた子の二人だけなのよね

中3の時ケータイ持ってなかったのもクラスでアタシだけだった、な~んかそういう家なのよね

戻るわよ!

当日付け焼き刃で誰かの真似っこみたいなネタつくって劇場に行くの

M-1甲子園って吉本主催なんだけどイオンが協賛だったの

だから基本的には各地域のイオンの特設会場みたいなとこで行われるんだけど東京予選(アタシが高3の年で東京予選はなくなるわ)だけは皆さんお馴染みの シアターブラッツだったのね

驚いた、当たり前なんだけど高校生がいっぱいいてみんな漫才の大会に出ようとしてる子たちで……こんなわんさかいるのか!って

正直こんなものの存在を知ってる人さえそんなにいないでしょ!?って思ってたから、しかもね、なんか風格ある子とかも当然いて、なんならもうコミュニティができてんのよ

『えっ?知り合いとかいるなんてことありえんの?』って

結果ネタはなんとか可もなく不可もなくできて良かったんだけどちょっと別の面で次元の違いを感じちゃったわよね……

だってさ、その子達、聞いたら当時既に下北空間リバティとかなかのTWLとか借りてお笑いライブやったり、よそのライブとかでたりしてんだもん

今で言うゲレロンステージみたいなのにすでにでてたりしてるんだもん

本当にカルチャーショックだったわ、当時のアタシは本当に気絶するくらいビックリだった、高校生がお笑いやってるなんて、毛頭になかったから

そんなんでそのコミュニティはみんな正直ちょっといきってて肩身は狭かったんだけど掛ちゃんがコミュおばけだったおかげで関係ができるのよね、この出会いはかなり大きかったわ

ちなみに当時のその日の予選 覚えてるだけでもブラックリストっていう名前で現マテンロウのお二人がでてたり

今でも仲の良いゴッホ向井ブルー ジャガモンド とかもそこで出会ってのちのち当時界隈で神だったクロンモロンさんや アタシの聖誕祭に去年でてくれた加藤パーチクとか その流れでマセキの寺田寛明とか ホリプロコムのスペシャルワンの二人とか岡田を追え!のなかよしビクトリーズの岡ちゃんとかと知り合っていくの

芸歴関係なくここら辺はお互いタメ口でいまだに仲良くしてるわね

掛ちゃんは受験でやれなくなっちゃったから次は地元の友達(後の山本ズバーン)とそういう子らのライブにいれて貰ったり大学に入って落研に入って大学お笑いをかじりながらK-PROさんの学生ライブにではじめていくのよね、当時は大学お笑いも今ほど盛んじゃなかったからK-PROさんの学生ライブにでてる方がちょっとカッコがついた時代

ただアタシも最初はプロになるなんて思ってなくて先生になろうと思って教職をとってたの

結局このアマチュアという立場ながら東京のライブシーンというものがあまりに近いものになってしまい魅力から離れられなくなってプロになるためにお笑いの学校に3年生の秋に入学するのよね~ 早いわね~もう10年たつのよね…

そこからの話はまた別の時……ね!

今の相棒の小太り短髪メガネ坊やとはこの時期に実はほんのり出会ってるの

でも当時はまだお互い今こんなことになってるなんて、想像もしてないわね フフ

今ちょうど15年オーバーないしはラストくらいの先輩たちってちょうどM-1が始まった頃にお笑いをはじめてる人たちよね

アタシたちはちょうど子供から思春期~青年期にかけて見て憧れた世代

どちらがM-1世代かって言われたら、どうかしら?憧れからって意味ではアタシたちくらいが実はM-1世代なんじゃないかって思ったりもするわ

ライブシーンが高校生の時に身近なものだと知って、大学生のときは毎年大井競馬場に敗者復活戦を見に行ったわ

アタシたちの一回りふた回り上の世代の人たちってやっぱり『ダウンタウン』『とんねるず』になりたくてビッグになって一花咲かせてやる!ってそういうことだったんだけど

アタシたちの世代というか世代でかつそういうライブシーンが身近になった子達ってもうそこはそこ!!テレビのスターはそれ!

って感じでもう憧れのスタートが『m-1の準決勝に行ってる人たち』
だったのよね

『囲碁将棋おもしろすぎるぅ~!!!!』『磁石か流れ星は流石に今年は決勝いってくり~!!!!』『敗者復活のステージ立ってみてぇ~!!!!』

だったの

いやせめて決勝いってみてぇだろ テレビの売れっ子になりてぇ!だろ

って思うでしょ?

違うのよ、本当にM-1の準決にいる芸人がこの世で一番かっこいいって思ってたの

むしろ今この歳になってダウンタウンさんとんねるずさん
くりぃむしちゅーさんネプさんさまぁ~ずさんなどなどなどの世代の方たち、諸先輩方に大敬意、神々しさを持てるようになったというか

やっぱり漫才師

アタシたちがちょうどデビューしてちょっとして世の中にちらほらYouTuberとかが現れてきて、芸人からそっちにシフトする人たちがでてきて当時は

YouTuberって……!!!笑

だったけどあっという間にもうその人たちが認められて大成功して、ビジネス勘とかそういうリスペクトは大いにあるしそれはそれでカッコいいんだけど

有名になって人気者になってお金持ちになりたい!

とはやっぱり、ちょっと違うのよね

学生の時憧れていたこの世界じゃないと、意味ないのよ

まだ到底肩は並べられないけど

現実的なところあともう少し勝てれば 高校生の時、大学生の時、一番かっこいいと思ってた人たちに自分がなれる

そう思うとやっぱり

しびれちゃうわよね

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