社会運動の語り方

安保法制反対運動をめぐってたくさんの言葉が生まれている。追いきれないほどである。

顕著な傾向は次のような点にあるのではないだろうか。

(1)現在の運動の可能性を高く評価すればするほど、過去の運動とその歴史を単純化、過小評価してしまう。60年代〜70年代の暴力イメージが強固なものとなる。

(2)現在の運動の中心に設定されているSEALDs(的なもの)――これ自体があるまとまりをもって論じられがちだが、丁寧にみていけば、多様であるし、さまざまな志向性が混じり合っているとも思う。あたりまえといえばあたりまえだけれど――とその他の運動や実践の数々とのあいだに線引きを意図的に行ない、両者のあいだに非対称な価値判断をしてしまう(たとえば、前者は現実的、祝祭的、非暴力的、生産的なのに対して、後者は革命志向、暴力的、「おまかせ民主主義」等々)。

たとえば、この数年の五野井郁夫さんの語りに顕著だと思う。

今回のデモは、政治を語ることが、若い子の間でタブーでは無くなった。民主主義の手段の一つとしてデモや抗議行動、集会が当たり前のものになったことは大きい。しかも、デモによって院内の野党勢力に手を携えさせていることも特徴だ。過去の60年安保や学生運動は労働組合が中心で、暴力的に国会内になだれ込むこともあった。今回のデモはそれと大きく異なっており、非暴力が徹底されている。(朝日新聞2015年9月19日「安保法案反対デモが問うたもの、残したもの 2氏に聞く 五野井郁夫・高千穂大准教(国際政治学)の話」

以上の傾向は、とくに、国会前で多くの逮捕者が出たことを受け、この弾圧をめぐって顕著になっている。言葉が発せられれば発せられるほど、(1)(2)の傾向をおびた言葉や言説が反復されているように思う。

こんなときこそ、歴史に学べ、である。運動のなかで「暴力と非暴力」、「排除」、「普通であること」などをめぐって、どんなことが語られてきたか。たとえば、道場親信『占領と平和――〈戦後〉という経験』(青土社、2005年)は歴史に学ぶための格好のテキストだ。一読――するには分厚いので、せめて第II部第6章の「3「ポスト冷戦」期における問題情況」を読むこと――をおすすめしたい。

以下は同書からの引用である。引用箇所はイラク反戦運動の際の議論の整理と考察がされているところだ。私たちはますます忘れやすい生き物になっているのではないだろうか。たった10年前に発せられた言葉を忘れ、活用できていないように思う。

===以下、引用===

「「フツー」であることを求める過剰な強迫観念は、「反戦」内部に選別と排除をもたらす危険性を秘めている。こうした問題をときに「世代」の問題へと還元して理解しようとする論者もいるが、しかし、「運動」性や批判性をめぐるこうした「ずれ」は、「世代」論によっては理解も克服もすることはできないだろう。こうした問題が、「世代」間の相違としてあらわれていることは、七〇−八〇年代の運動経験が断絶していることによって、新たに運動圏に参加した「世代」と以前の活動家との間の「世代」の相違のように見えているということが大きいといえるが、しかし実際には批判性や敵対性、「運動」性を重視する立場と、これを嫌う立場とが「世代」横断的に分岐している(もちろんそれはごく大ざっぱな分布にすぎない)というのが現実であり、これを「世代」の新旧の問題に還元することは誤りであるし、「運動」の新旧の問題に還元することも誤りである。」(p634)

「これ[イラク人質事件をめぐる自己責任論の大合唱]は、日本社会に蔓延した「運動」性の排除がポピュリズムの形であらわれたものであり、「左翼」であろうがなかろうが「過激派」「反日分子」とされて排除の力が働くということにつき、「運動」内部にも警告的意味を与えたものと考えるべきであろう。」(p636)

「つまり、「非暴力」即「敵対性」の消去、という理解が一般化してしまっている点が問題であり、むしろ「非暴力」は「敵対性」を可視化するところに意義がある、というのである。」(p641)

「[従来の平和運動の]「暗いイメージが流布されている」ことを過剰に実体視し、個々人の問題関心や動機に注目することなくもっぱら“大衆工作”という作為ーー運動のことばでいえば「マヌーバー」――に心を砕くという転倒が生じているように思われる。また、この論法でいえば、人々が「引いてしまう」のは、あたかも運動内でそのような言説を展開する者がいるせいであるかのような転倒まで引き起こすように思われる。「イメージ」そのものを何とかするのではなく、「イメージ」はそのままにしておいた上で、この「イメージ」に囚われた大衆を獲得するためには、まずはその「イメージ」に同調しなければならない、これが彼[小林正弥]のいう「二段階の方法」であろう。それは東一邦のいう「排除」のポピュリズムを支える心性をそのままにしておいて、これにアプローチしようというのである。当然、「運動」内部では甘やかされたポピュリズムに対する歯止めは用意されていない。「排除」が発動されたときどうするのだろうか。「イメージ」に抵抗する少数者は排除され、多数者が擁護されるのであろうか。ここには水平な「対話」が根本的に欠落しており、認識の発達段階を審査する超越的な「学知」が特権的に君臨している。」(p647-8)

「「対話」において必要なことは、「古い」とか「新しい」とかいった運動の「イメージ」に振り回されて運動参加者を区分けしたり「段階」に位置づけたりすることではなく、実際にからだを動かしてみた経験や、動機や思いをことばや表現にしていく方法を、自らの経験に即して率直に語り合うことであろう。そうしていけば、「古い」と思っていた運動の中に、自分とものすごく近いものを発見することもあるし、異なる時代の経験に共感することもできる。一枚岩的な「古い運動」が存在するわけではないことを発見することは、それほど難しいことではない。」(p648)

「自分の固定的なイメージに固執することは、対話者への敬意に欠ける態度であるといわなければならないし、「対話」の原則としては、それぞれが行なっている議論の文脈を正確に踏まえる努力が不可欠である。批判のことばもそのプロセスを経てはじめて相手に届くだろう。「古い運動」のイメージのみに依拠して架空の運動勢力を描いておき、それと切り離したところに「フツーの人々」なるイメージを置く、という空想上の二元的図式を描くことは、やがて自分を「フツー」だと思う人々からの激しい迫害によって復讐されるかもしれない(「自己責任」騒動を想起せよ)。さまざまな自発的媒介者の登場を待ちうるような、人々のコミュニケーション能力に信頼を置いた開かれた場が必要だ。
 戦後の運動史を調べていて痛感するのは、「戦後」それ自体が大きく誤解されている、ということである。近年の国家主義強化、人権の空洞化、軍事化という形で進んでいる「戦後」に対するバックラッシュ[…]は、この「戦後」の諸経験の切り縮め、生きられた「戦後」の矮小な再解釈によって進められていることも無視することができない。それゆえ必要なことは、この「戦後」像、「戦後」経験の矮小化と対応したバックラッシュを支える意識そのものに対して、冷静な視点と可能な対話の方法を考えていくことである。それはこの意識に対して迎合することではない。現に生きられた経験の中から、現実の閉塞を破る「歴史」を作り出し、それを経験者とともに分かち合っていく作業が不可欠なのである。」(p649)

===以上で引用おわり===