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"FINITRIBE"の事。

好きな事をやり続けて、尚且つ楽しく生活出来るという理想的な人生って、相当に難しい。何をやるにしても、他人の思惑が入ってくると、それがストレスになったり、自分で壁を作ってプレッシャーを受けて挫折してしまったりする。音楽家だって、良い作品を作り続けていても、独りよがりな自己満足では中々上手くいかないし、メジャーのレコード会社をはじめとする売り出す側の事情を全て受け入れてしまうと自由は失われ、それを嫌って自分たちでやろうとすると、お金の問題なんかで頓挫して、最終的には活動を終了...というのも少なくは無いだろう。しかし、特にビジネス・マンとして優れた訳ではないんだろうけど、一時的に流されたものの、その後は自分たちの好きな音を鳴らして好きな作品を作って支持され、自分のレーベルを持って、遂には憧れだったバンドと契約して、一緒にツアーして...という、音楽家として一番自由な形で活動した理想のバンドがいた。そのバンドの名は、Finitribeと言いました。

[Curling And Stretching] (1984)

スコットランドはエディンバラで1984年に結成されたFinitribeは、Chris Connelly, John Vick, Andy McGregor, Philip Pinsky, David Miller, Simon McGlynnからなる6人組として活動を開始しています。バンド名は「薔薇十字団」の言語で魚を表すという「フィニー族」から取られました。結成当初はポストパンク系のギターを中心としたバンドだったみたいですが、バンド編成のロック・サウンドに可能性を感じなかった彼らは、華麗な転身でサウンドを一気にアップグレードします。結成後、間もなく自身のレーベルであるFiniflexを立ち上げ、デビュー・シングル”Curling And Stretching”をリリースしています。このシングルは、ギターは鳴っていますが、ユニークなベース・ラインが先導し、イントロ~ヴァース~コーラスのロックのパターンを逸脱したユニークなものでした。翌1985年には、自主シングルを1枚リリースしただけで、John Peelのラジオセッションに招かれて演奏しています。この時の模様は、Finiflexからカセットでリリースされています。常に彼らの作品を絶賛していたJohn Peelのラジオ・ショーには、計3回出演しています。この後、彼らはサンプラーと奇妙な楽器を手に入れ、電子音楽の実験を始めます。1986年にシングル”Let The Tribe Grow”を、Pink Industryなどが在籍したグラスゴーのインディ・レーベル Cathexis Rcordingsからリリースしています。硬質で単調なデジタル・ビートと、不穏で不器用なサンプリング・ノイズ、クールで不愛想なヴォーカルと拙いコーラスからなる、少し歪でスカスカなサウンドながら、何故か惹かれる曲"De Testimony"を含むこのシングルで注目されます。このビートは、彼らが敬愛するCanのハンマー・ビートをルーツとするのだろうか。ただ、どちらかというとインダストリアル系に向くダークなサウンド志向が強かったのでした。

[I Want More] (1987)

先のシングルのインダストリアルっぽさがマッチしたのか、1987年にシカゴのレーベル Wax Trax!と契約しています。Wax Trax!と言えば、当時はMinistry~Revolting CocksやベルギーのFront 242などを擁してインダストリアル系を猛プッシュしていたレーベルで、後にインダストリアル王国を築き、シーンの最重要な存在となります。契約してすぐに、Canの"I Want More"のカヴァーをタイトル・トラックにしたシングル"I Want More"と、過去のシングル曲"De Testimony"をダークなインダストリアル・サウンドにリメイクしたシングル"Make It Internal (Detestimony Revisited)"をリリースしています。彼らの身上である硬質で単調なビートをベースとしながら、凶暴さを増したエモーショナルなヴォーカルと、ヘヴィなサンプリング・ノイズによる、ダークなインダストリアル系のサウンドとなっています。ミュージック・ビデオがMTVでオンエアされ、ラジオやクラブでもヒットしました。その後、過酷なイギリス・ツアーを経て、Chris Connelly, Simon McGlynn, Thomas McGregorの3人が脱退してしまいます。バンドを離れてアメリカに残ることを希望したChris Connellyは、後のインタビューで「Fini Tribeは最高のバンドだった」と語っていますので友好的な別れだったと思われます。彼は、Ministry, Revolting Cockをはじめとした多数のプロジェクトやソロ名義で活動し、シカゴ・インダストリアル・シーンに欠かせない存在になっていきます。バンドは、Wax Trax!との契約を終了し、残った3人のメンバーは故郷イギリスへ戻っていきます。

[Noise, Lust & Fun] (1988)

1988年には、自分たちのレーベル Finiflexを再開し、Philip Pinsky , David Miller, John Vickの3人組として再スタートしています。地元エディンバラのディストリビューターであるFast Fowardが流通を、レコーディングにはJessi HopkinsやWilf Plumといった地元エディンバラのミュージシャンや、女性ヴォーカリストのRosanne Erskineや Annie 'Anxiety' Bandezがサポートし、デビュー・アルバム"Noise, Lust & Fun"をリリースしています。アメリカ時代のダークな部分はすっかり薄れ、音数は絞りながらもダンサブルでクール、大胆なサンプリング・ノイズをフィーチャーした独特なサウンドへと生まれ変わりました。初期からそういった傾向はありましたが、彼らは楽曲をリミックスして生まれ変わらせる手法に可能性を感じていた様で、このアルバムからは"Zulus"や"Elect-rolux"、初期の曲"De Testimony"といったリミックスされたシングルをFiniflexから次々とリリースし、クラブでヒットし、インディ・チャートでも好アクションを記録しています。

[Grossing 10K] (1990)

1989年には、新たにロンドンのレーベルOne Little Indian Recordsと契約します。One Little Indianは、元々はFlux及びFlux of Pink Indiansの作品をリリースするために開始し、後にThe Sugarcubes, Kitchens of Distiction, The Shamenなどを輩出したレーベル。1989年に同レーベルから初のシングル"Animal Farm"をリリースしています。 童謡の"Old McDonald"のサンプリングを使用し、ジャケットにはマクドナルドのロゴを使用し、大量消費社会に反対するスタンスを明らかにした内容で、バンドのグッズでもマクドナルドのロゴを無断使用して4文字熟語で揶揄しました。その結果、マクドナルドから訴訟を起こされています。この事から、彼らは菜食主義者だと言われていますが、実際にはそうではなくて、あくまでも大量消費社会へのアンチを表明しただけだと語っています。彼らを気に入っていたJohn Peelの擁護を受けた事もあり、結果的に彼らの知名度を上げることになりました。同じ年にOne Little Indianから2作目のアルバム”Grossing 10K”をリリースしています。荒っぽいハンマー・ビート、自由に飛び交う奇妙で印象的な電子音やユニークなサンプリング・コラージュ、ダークで歪んだヴォイス、トータルに感じる不穏な空気感や、熱情を抑え込んだ様なクールでダウンテンポ中心のサウンドは、他に類を見ない独特なモノでした。この完成度の高いアルバム収録曲を、更に大胆にリミックスしたシングル"Monster In The House"もリリースされています。

[An Unexpected Groovy Treat] (1992)

1991年からは、多数のシングルをリリースしています。彼らのサウンドに共鳴したリミキサーが集まり、シングル"101"は、Andy Weatherallと808 StateのGraham Masseyが、次の"Ace Love Deuce"では、Steve OsborneとJustin Robertsonが、次の"Forevergreen"では、 Justin Robertsonと、Killing JokeのYouthがリミックスしています。めくるめくデジタル・ノイズの嵐と混沌としたダンス・ミュージックは、UKのインディ・チャートと、ダンス・フロアでもヒットしました。これらの曲を収録したアルバム ”An Unexpected Groovy Treat”は1992年にリリースされています。当然の流れでダンサブルな傾向を強めたこのアルバムは、各方面で絶賛されています。この作品の成功により、Finiflexレーベルが再開されています。今回の復活はFinitribeだけのものではなく、他のアーティストのリリースも目的としていました。Fini Tribeのメンバーの別ユニット Peter Perfect Meets Justin Robertson, The Pitstop Boysや、Ege Bam Yasi,  State Of Flux, Phunky Torsoといったグループ、彼らが敬愛するSparksなどの作品をリリースしています。後にSparksとはジョイント・ツアーを行うなど、長らく交流が続いている様です。1993年には、Finiflexのコンピレーション・アルバム"And Away They Go"をリリース、批評家から絶賛されています。

[Sheigra] (1995)

前作を最後にOne Little Indianとの契約を終了させた彼らは、Pet Shop Boysのマネジメントで知られるTom Watkinsの助力により、バンドにとっての初のメジャー・レーベルである London / FFRRと契約しています。1994年には、FFRRからのシングル"Brand New"と、"Love Above / Sheigra 5"をリリースし、翌1995年にアルバム"Sheigra"をリリースしました。ノイズを伴ったクリアーなデジタル・ビートが鳴り響き、サンプリングの嵐が巻き起こる革新的なサウンドは、後のビッグ・ビートを予見するものでしたが、The Orbクラスのコマーシャル・サクセスを期待していたメジャー・レーベルが望む様なセールスとはならず、1作で契約を終了しています。この頃、John VickがFiniflexの運営に専念するために脱退し、スコットランド中西部の小さな集落にレコーディング・スタジオを立ち上げて本格的にレーベルとしての活動を始めています。所属アーティストの作品はもちろん、テレビ、ラジオ、IKEAやIrn Bruなどの広告用の音楽などを手掛ける傍ら、自身のユニット Finiflexでも活動しています。

[Sleazy Listing] (1998)

Philip PinskyとDavid Millerの2人組となったFinitribeは、Infectious Recordsと契約して1998年にアルバム"Sleazy Listening"をリリースしています。地元エディンバラで、Katy Morrison, Little Annie, Paul Haigといったメンバーが参加してレコーディングされたこの作品は、鳴り響くユニークなサンプリング・ノイズは健在ですが、非常にクリアーで静謐感のある流麗なサウンドが彼らにとって新機軸と言えるものでした。このアルバムの後に、Infectiousから3枚のシングルをリリースし、大規模なイギリス・ツアーを成功させた後、バンド活動に終止符を打ちました。その後は2001年にドイツの映画「Late Night Shopping」に提供した”Bored”を含む3曲入りのシングルをリリースしたり、盟友Chris Connellyのソロ作品に参加した以外は、表立った活動はしていません。David Millerは、地元エディンバラに立ち上げたレーベル Paradise Palms Recordsを運営しています。2014年には、デビュー・アルバムの25周年記念としてシングル”De Testimony (Size Of Ear 2014 Remixes)”をリリースしています。盟友 Finiflex, Graham Massey, Justin Robertsonや JD Twitch, Robot 84, Tauchsiederがリミックスした全7曲を収録しています。

初期こそ自身のサウンドに迷った事もありましたが、その後は大小のレーベルと上手く付き合いながら、順調に活動したFini Tribe。好き勝手やりながら先進的で自由なサウンドを作り出していった彼らの活動は、アーティストが理想とする、誰にも制限される事なくやりたい事だけをやるというスタンスを貫いたという、理想形の一つではないかと思います。サウンドはもちろん、初期のジャケット・デザインやプロモーション・ビデオに至るまでのチープさは、彼ら自身によるものではないかと思われます。現在は地元エディンバラに戻って、フリーでマイペースな活動を行っているというのもいいですね。またある日突然、シーンに舞い戻ってくるのでは無いかとも思えます。今回は、彼らの代表曲で、何度もセルフ・リメイクされた名曲”De Testimony”のオリジナル・ヴァージョンを。

”De Testimony" / Finitribe

#忘れられちゃったっぽい名曲


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