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"THE HOLLOW MEN"の事。

これが最初じゃない気がするけど、メジャー・レーベルについて考えてみる。以前ならば、皆が目指すところだった気がするし、何と言っても、マネジメントからマーケティングまでやってくれるのだから、アーティストは創作に専念出来る。でも、インターネットが普及して、Arctic Monkeysをはじめとして、音楽配信やSNSを通じて、あっという間に火が付くバンドだっている。メジャー・レーベルも大小関係や買収問題で、かなり絞られてきてしまった。音楽業界が衰退した理由のひとつに、1980年代あたりのメジャー・レーベルの横暴があるのではないかと思う。バンドの売り方はさておき、サウンドそのものを弄ったり、ルックスも変えさせてパブリック・イメージを壊してしまったりと、やりたい放題だった。ビジネスだから仕方が無いけど、あの時代にメジャーに入って間もなく消えてしまったバンドの何と多いことか。挙げていけばキリが無いけど、メジャーにダメにされてしまいながら、一時的にではあるけど、一矢報いたバンドがいた。その名前は、The Hollow Menと言いました。フランスやアメリカにも同じ名前のバンドがあるみたいですが、こちらはUKのバンドです。

[Late Flowering Lust] (1985)

The Hollow Menは、英国イングランドはリーズ出身のバンドでした。初期のメンバーは、ヴォーカリストのDavid Ashmooresと、地元リーズのバンドSalvationで活動していたギタリストのChoqueの二人。Salvationと言えば、Sisters Of Mercyや The Missionのメンバーがプロデュースしたゴシック系のバンドとして一部で知られていますね。デュオとして活動を始めた彼らは、地元のセッション・ベーシストと共に小さなライヴ・ハウスで活動を始めます。1985年の事でした。リーズの隣町のブラッドフォードで活動していたバンド Fever HutとThe Passmore Sistersのヴォーカリスト/ベーシストのHoward Taylorが、元のバンドとの掛け持ちという条件で加入して3人組バンドとしてThe Hollow Menがスタートしています。バンド名は、アメリカ生まれのイギリスの詩人、T.S.エリオットの詩集『うつろな人々(The Hollow Men)』から取られました。 間もなく自身のレーベル Evensongを立ち上げ、結成と同じ年にデビュー・シングル"Late Flowering Lust"をリリースしています。デビューで既に、同時期のネオ・サイケデリック・バンドと比較しても決して劣らない、ドラマティックでロマンティックで奥行きのある流れるような哀愁のノイズ&アコースティック・ギター・サウンド、ビートの基本線はしっかり支えながら自由に紡ぐ個性的なベース・ラインという、ローカル・バンドとはいえキャリアのあるミュージシャンによる卓越した演奏と、内省的ながらエモーショナルで、愁いとエキセントリックさを併せ持ったヴォーカルが混然一体となったクオリティの高いサウンドが繰り広げられる好盤です。このシングルのタイトル及びタイトル・トラックは、イギリスの著名な詩人、サー・ジョン・ベッチェマンの同名の詩で、イギリスのTV映画にもなった"Late-Flowering Lust"に曲をつけたものです。このシングルをプロデュースしたTony Bonnerは、この後もバンドを支え続けます。

[Tales Of The Riverbank] (1986)

1986年には、デビュー・アルバム”Tales Of The Riverbank”を、音楽ジャーナリストのDave Hendersonがロンドンに設立したインディ・レーベル Dead Man's Curveからリリースしています。このレーベルのディストリビューションは、あのRed Rhinoが行っていました。先のシングル収録曲のタイトル曲以外を収録しています。哀愁一辺倒に思えたサウンドがヴァラエティに富んだものとなり、シンセ・ドラムやサンプリングやキーボード、弦楽器などをフィーチャーしたカラフルなサウンドになっています。ヴァイオリン&ヴィオラで元SalvationのCarolyn Harleyが参加しています。タイトルのTales Of The Riverbankは、イギリスでも放映されていたカナダの子供向けTV番組のタイトルで、クレジットはされていませんが、その番組からかな?と思わせる子供っぽいサンプリングが使用されています。

[The Man Who Would Be King] (1988)

1987年には、2作目のシングル"Gold And Ivory"を自身のEvensongからリリースしています。いきなりのダークな雰囲気のタイトル曲に驚きますが、相変わらずカラフルでドラマティックなギター・サウンドとフリー・フォームなベース・ライン、奇妙な電子サウンドや映像作品からのサンプリングと思しきノイズ、ハーモニカをフィーチャーしたウエスタン調の曲まで、ヴァラエティに富んだ作品です。今作からエレクトロニクスの使用が目立ちますが、それでもアコースティックなイメージがあるのは、サウンドのトーンに気を使っているからだと思われますね。1988年には、2作目のアルバム”The Man Who Would Be King”をDead Man's Curveからリリースしています。このアルバムは、従来の憂いを孕んだネオ・サイケデック・サウンドとダークで強靭なベース・ラインに加え、カラフルなキーボードやシンセサイザー、ダンサブルなビートやドラマティックな展開という新機軸を見せています。若干、時代に寄せている気がしますが、彼らにとっての意欲作でした。ジャケットは、映画『チキ・チキ・バン・バン』の、ロバート・ヘルプマンが演じたチャイルド・キャッチャーをあしらったセンスの良いものでした。アルバムのクレジットには、"Thanks to Robert Helpmann for our childhood nightmares"と明記されています。 しかし、1988年と言えば、あのRed Rhinoの倒産騒ぎで、多数の貴重な音源が失われた英国インディ暗黒の時代。そして、彼らも契約を失うのでした。

[The Drawing Man] (1989)

この頃、前作のアルバムにサポート参加したドラマーのJonny Craggと、Fever HutとThe Passmore SistersでHoward TaylorのバンドメイトだったベーシストのBrian E. Robertsが正式に加入し、5人組バンドとなります。1989年には、ラインナップが完成してから初のシングル"The Drawing Man"を地元リーズのインディ・レーベル Blind Eye Recordsからリリースします。この曲は、アルバム”The Man Who Would Be King”収録曲のリメイクで、よりヴィヴィッドにダンサブルになったロック・サウンドに、彼らの決意を感じさせました。このシングルのジャケットは、映画『白鯨』のエイハブ船長(グレゴリー・ペック)をあしらったものでした。前作同様、センスのいいジャケットで、詩、小説、演劇、映画、テレビなどの多方面の芸術の影響を多分に受けている事を再確認できます。バンドはSuedeやThe Stone Rosesなどとライヴ・ツアーを行いました。彼らのライヴ・ステージは非常にユニークなもので、子供向けTV番組や演劇やファンタジーの世界に影響を受けた舞台装置による装飾がなされたもので、好評を博しました。この雰囲気は、PV "White Train"で見ることが出来ます。

[Cresta] (1990)

1989年には自身のレーベルEven Songを再始動させます。その矢先に、メジャーのArista BMGからレーベルごと引き受けるという破格のオファーが届いて契約し、アルバム”The Man Who Would Be King”に収録されていたアコースティック・ギターを中心としたジャングリーな楽曲をダンサブルにリミックスしたヴァージョンをシングル"White Train"としてリリースしました。プロモーション・ビデオも作られ、そのポップ・スター然としたルックスの変化にはビックリしましたが、イギリスの音楽雑誌では、Carter USMやThe Charlanatsなどと並び、明日のスターとして紹介されました。翌1990年にはArista BMG / Even Songとしてメジャー第1弾アルバム”Cresta”がリリースされました。今作から、彼らをデビューから支えてきたTony Bonnerに代わって、Erasure,   Neneh Cherry, The Cureなどを手掛けたMark Saundersがプロデュースを担当しています。メジャー・レーベルの意向か、本人たちの意思かは分かりませんが、ロックとアシッド・ハウスをミックスしたサウンドは、モロにマンチェスターを意識したダンサブルなサウンドでした。時代に乗っかるならば、それはそれでいいのですが、過去の彼らの優れた作品を知っている身には...。もちろん、彼らの身上であったエレクトロニックでもアコースティックを感じさせるナチュラルな楽曲は含まれ、悪くない作品であることは確かなんですけどね。このアルバムは、Arista BMGが期待するセールスを上げられなかったため、何とかしたいAristaは、アルバムからのシングル・カット"The Moons A Balloon"をリリースしますが売れず、そのまま契約は消滅したのではないかと思われました。

[The Rolling Sea / November Comes] (1990)

そして、バンドは再び自由な活動を行えるようになりました。自身のレーベルEven Song単体で、シングル"The Rolling Sea / November Comes"を1990年にリリースしています。カップリングこそアルバム"Cresta"収録曲の別ヴァージョンでしたが、アルバム未収録の表題曲”Thanks To The Rolling Sea”は、エレクトリックでクール、静謐感とナチュラルさを感じるサウンドと、ゆったりとした珠玉のメロディが展開されるスローな超名曲で、彼らの復活を予感させる大名曲です。こんな名曲をこっそりと自分のレーベルから出すなんて、やるねえ。ジャケもセンスの良さが戻っていますし。次のシングル"Pink Panther"は、アルバム”Cresta”収録曲"Pantera Rosa"を別名の曲に焼き直していて、こちらも中々良いのです。翌1991年、Arista BMGがシングル"November Comes"として、先のシングル"The Rolling Sea / November Comes"にアルバム・ヴァージョンを追加してリリースするという、あまりにも暴挙と言えるシングルを発売。まだ契約残ってたんですね。このシングルは不買を決め込んだ思い出があります。Arista BMGは、まだライヴ・アルバム”Live (Recorded At Moles Club • Bath, England - February 20, 1991)”のリリースを画策しますが、結局のところ、リリースには至っていません。

[Twisted] (1994)

こんな状況に嫌気が差したのか、バンドは1991年に解散しました。バンド解散後、David Ashmooreはグラフィック・デザイナーとして働く傍ら、Storm Chorus, The FLK, Band of Cloudといったバンドで活動。ChoqueはDavidと共にThe FLKでの活動を経て、Black Star Linerを結成します。Brian E. RobertsとHoward TaylorはFever Hutで活動し、Jonny CraggはSpacehogのメンバーとなります。The Hollow Menの未発表曲やデモ音源やライヴ音源は、1994年にコンピレーション・アルバム"Twisted"としてNovember Recordsからリリースされました。"Thanks To The Rolling Sea"のプロト・タイプと思しき曲や、ノイジーなギターが暴れまくる曲など、バンドが解散しなかったらこうだったかもな...という中々の好内容となっています。

今まで、何度もメジャー・レーベルへの苦言を書いている気がしますが、メジャーと契約した事によって、幅広く知られる事になるし、世界中に届く事だってあるし、悪いことばかりではないでしょう。ただ、1980年代のメジャー・レーベルの売ることに対する貪欲さによって、サウンドを傲慢に修正させてしまったり、誤ったイメージを作り上げられたりして、結果的に不幸な末路を歩んだバンドは少なくない。メジャー体質の犠牲になるバンドが少なくなる事を祈ります。今回は、メジャー契約の狭間にリリースされ、難を逃れたかに見えた紛れもない名曲を

"Thanks To The Rolling Sea" / The Hollow Men

#忘れられちゃったっぽい名曲


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