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ボタンの見本帳を見つけた話

「見本帳」に弱い。
たくさんの種類が一冊や一枚にまとめられた、その形式にどうしようもなく心惹かれる。標本や蒐集棚、コレクションファイルなどにも同様に魅力を感じずにはいられない。おそらくその流派として、単語帳や鍵束、〇〇全集などにもやや気をそそられる。誰かが何かの意思や目的をもって集められた集合体が好きなのだと思う

見本帳はフランス語だとéchantillonという。
私が年間100日以上も足を運んでいる、フランスの蚤の市でも時々見かけるアイテムで、アトリエの残存品や職人さんの道具の一部としてガラクタの中にひっそりと隠れている。それはたぶん多くの人には無用の品なのだろうが、私にとっては宝物。脳内にアドレナリンが駆け巡るのを悟られないようにポーカーフェイスで価格交渉をするのが常である。たいがいは手が届かないほど高価ではない。

先日このようなボタンの見本ボードに出会った。
深紅の布張りの厚紙に所狭しと留めつけられた、一つ一つ種類の違うアンティークボタン。アンティークと言ってみたが、それぞれのボタンは年代も様々で100年以上経過した正真正銘のアンティークボタンもあれば、経年50年程度のヴィンテージボタンもある。素材もメタルやガラス、貝や樹脂など様々で、フェミニンなドレスの装飾であっただろう物から無骨な狩猟ジャケットについていたハンティングボタンまで多様性に富んでいる。

最初にそれを蚤の市の片隅で見つけたとき、見本帳を見つけたときはいつもそうであるように一目で購入することを決めた。第一印象の心のはずみと大まかな状態を見ただけで即座に決心していた。
好きなものを見つけた喜びと共に自宅に持ち帰りしげしげと眺める、そのひと時もまた喜びの続きだ。時にそれが想像以上に素晴らしいアイテムで、自分の掘り出しものを見つける能力に酔いしれることもある。しかしその一方思ったほどのことはなく、その場でもっとよく検証してから買えばよかったと後悔することも、なくはない。

今回、このボタンの見本帳に限って言えば完全に前者で、見れば見るほど胸がときめいた。見ず知らずのどこかの誰かが集めたボタンたち。おそらく彼女(もしくは彼)のコレクションの中からさらに選抜されたボタンたちの集合体。もしかしたらその配置にも何かしらのこだわりがあるのかもしれない。もし自分がボタンの見本板を作るのであれば、素材を統一するんじゃないか…もしくは色をそろえて集めるのではないか…など、空想も広がる。

見知らぬ誰かの蒐集は、彼女(もしくは彼)の持つ世界を妄想させてくれるとともに、自分の中に広がる世界観を見つめなおすきっかけにもなる。そこには共感もあれば時に違和感も感じるが、結局のところ正解など存在しない。

ただボタンの並びに注目し思いを馳せるのみ、それがとても良い。
これもまた、蚤の市の楽しみ方の一つ。


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