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「神様」という概念との付き合い方2《読むスピ系解毒剤》

さらにさらに補足です。(うまくまとめられなかったとも言う)
説明不足かなと感じたところや前提条件として書き忘れた感のあるものを羅列します。以下をさらっとご確認ください。

すべては一つの感覚 を意識の根底に持っておくことが超大事

これは別記事で説明しないとと思いつつ、もう他に言ってる人が大量にいるからいいのかな…とおざなりにしてましたが超大事です。仕事をさぼってでもこれを書くぐらい大事です。この感覚がないとマジで何の意味もないぐらいアレです。最強です。
(ワンネスとも言うのかもしれませんが何か気に食わない)

すべてを一つにまとめよう、ひとくくりにしよう…というものではなく、あらゆるものはバラバラに見えるけれど繋がっている、ひとつから始まって拡大してきた、連動している、響きあっている、という感覚や、わたしもあなたも、わたしにすぎない、という感覚(捉え方)です。

これを持ちながら諸々を読んでください。

ただ、ここは環境(社会)が酷すぎるので、常にこれを強く意識するのは(他の人や生き物・地球自体などの苦痛にも同調し傷ついたり、しんどくなり)心が折れやすいので(繊細な人は/ある程度引きずられないようになるまで)控えた方がいいですが、意識の根底に置いておくということは非常に重要です。忘れてはいけない大前提という感じです。普通すぎたのであまり書いてませんが、重要です。

ちなみにこれがあると「最強」というのは、うまく(流れに乗って)生きる上で最強に役に立つということですが、(敵対するモノの)「牙が届かなくなる」という意味も含みます。私は私に噛みつけませんし、対立する必要もなくなりますからね。…と、私はそこまでの境地には至っていませんが、いざというときに吹っ切れたらこれは最強に使えるであろう、ということだけは何となく感じています。

次。

意識(捉え方、視点、感情)にはグラデーション(バリエーション)があり、それらは実は同時に存在している。

ここでの意識は、考えていること、物事を見る視点、抱いている感情などを指します。グラデーションは濃淡のことですが、暗いところから明るいところまである、という感じです。または色々な思いを種類の差異として捉え、バリエーションとも言えますし、波動の高低…とも言い換えられます。

どの人も、最低野郎な意識や状態(マイナス感情・波動が低い想いなど)から崇高な意識や状態(オールオッケーな感覚・全てを見渡すところからの視点・波動が高いともいう)まで、を同時に持ち、同時に存在している…ということです。

私たちは常にそれのうちのどこか1つに焦点を合わせているだけです。

1つの魂をタワーマンション、意識の焦点を、中にいる住人(基本1人しかいない)と思ってください。マンションの最下層は、意識の最底辺・闇的なところです。物件によってはゾンビがいたり、猛獣がいたり、何が起きるか分からないドロドロ暗黒空間なことが多く、ここに長居すると不安と恐怖と疑心暗鬼と何やかやで病みます。
最上階は安全で完全無欠な超高級(かどうかは人によりますが)快適ラグジュアリー空間で、見晴らしがよく、居るだけで充足感がある空間です。ここに居ると外でゾンビが大量に押し寄せ火炎瓶を投げ雄たけびをあげていたとしても、わちゃわちゃしているのが微笑ましいだけで恐怖を感じることはありません。

気分がアゲアゲのときはありとあらゆるものに感謝しまくることができ、呼吸ができることに喜びむせび泣き、一見不幸なことがあっても、それにすら感謝して意義を見出し、学び取ることができたりしますが、そういう時は最上階付近にいる(意識のグラデーションの良い感じの方に焦点が合っている)のです。逆に、嬉しいはずのことがあっても世の中が灰色に見えているときは、焦点が最下層付近に落ちている、ということ(ってだけ)です。

人は、どんなことがあっても喜ぶことができ、また悲しむことができます。
誕生日にショートケーキを貰って滅茶苦茶喜ぶのも、嘆くのも自由です。
(やったーケーキだー!うれしー!)と思うことも、(クソ、1歳老けてしまったことが目の前のケーキのせいで現実味を帯びて迫ってくる…つかまたショートケーキかよ…なんでこれ勝手に定番にされてんのかな…飽きた…太るし食べたくないし砂糖身体に悪いし…大体毎年誕生日になったらケーキを買えとか誰が決めたんだよ…ケーキ屋の陰謀じゃん…)と思うのも自由です。

また、どんなことがあっても、それをよしとしている自分が(実は)いる、ということでもあります。
何かがあったとして、それを起こしているのも(外側に見える/自分以外だと認識している)自分、許容しているのも(無意識の)自分、苦しんでいるのも(下層の)自分で、(上層の)自分は実はとても楽しんでいたりする…のです。ハァ?と思いますが…。

私は昔、「私の人生を管理しているカミサマがいるとしたら、ドSかドMだな……どうすれば辛いかよくわかってらっしゃるようですが巧妙すぎて笑える……いや笑えない……」と思って生きてきましたが、最近では、闇鍋的な人生を楽しみたいという自分がいただけなんだろう、と思うようになってきました。あまり受け入れたくないけれど実際そうなんだろうなという。仮説、です。

これは、あらゆることをリアルに(没入して)味わってみたいからこそ、こういう厄介な仕組みになっているのだと思います。(苦しんでみたい存在が実は苦しみたかったんだよなと思いながら苦しんだら矛盾してるというか、喜び(悦び?;)になってしまうので…)

この仕組みを逆手にとれば、もうこれ以上渦中に居たくない、というところから能動的に意識の焦点を合わせる階層を切り替え、脱出できるので、
持っておくと有用な考え方です。
(今自分はこんな状況下だけど、どうしてこんなことになっているんだ?何を味わいたいと思ってるんだ?この状況や感情を味わうことで何を得ようとしてる…?と、逆に辿る(頭ではなく魂に聞く感覚で)ことで、自分でやっていることなので答えがわかり、あー…、と納得すると、その後は「没入」できなくなるので、結果として、嫌な状況から脱出できるってことです。
まぁ…「客観視」の一言で説明できるんですけど;)

併せて、
・(究極的には)善悪はない 
ということ も留意しておくとよいと思います。
前にも書きましたが(思考を偏らせすぎないために)重要なので;

私たちは、何でも選べるし、してもいいのです。
ただし、出したものが返ってくるので、結果を受け止める必要はあります。あなたが何かを与える場合、与えるのはもう一人のあなたなので、あなたがそれをいずれ受け取るのは自然な流れ、というだけのことで、罰則でも何でもありません。

この世界で生きるということは、あなたの命を表現し、世界を好きなように創造するということです。表現したものが増えていき、巡り巡ってまたあなたの元へ遊びに来るのです。であれば、いずれ受け取りたいものを、生み出して、育てましょう、ってことです。ただそれだけです。

私は私が好きなものを増やすべく地道に謎作業をしているわけですが、私が嫌いなものを好きでそれを増やすべく頑張っている人もいるのだと思います。それは別に「悪いこと」ではありません。真逆のことだったら対立はするかもしれませんが、対立も「悪いこと」ではありません。まぁ私は調和重視の世界の方が好きなんですが…。でも楽しく戦うのは嫌いじゃないです。

「神様」とされている(されてきた)ものを「隣人」扱いする話について補足

「神様」と人間は「対等」だと言いましたが、それは、簡単にカモにならず下僕になり下がらず権威に振り回されないようにという意図で言ったことで、それぞれ在り方の違う同等の存在として互いに敬意をもって接することは必要です。
というか、出したものが返ってくるのですから、よほどヤバい場所(呪いのスポットとして有名とか)でない限り、とりあえず失礼のないように、普通に振舞えばいいと思いますし、挨拶もすればいいと思います。神社は、直接の知り合いではない有名人の家だとでも思えばいいでしょう。
問題を起こしたい人以外は、わざわざ有名人の家に押しかけて気分を害するようなことをしたり、悪口を言ったりしません。また、別にファンでなくても通りがかったり訪問する機会があれば、有名人と親しみを込めて接することはできます。
そうすれば、相手もそうします。 
私はたとえ祀られている存在がどんなモノであろうと、(対等なんだから)「軽んじていい」「見下していい」「玩具扱いしていい」「使役していい」とは言ってません。
したければすればいいですが……そうすれば、いずれ相手も、そうします。

それは相手が〇〇だから…という問題ではなく、あなたがそうだから、なのです。
たとえばキツネに化かされるといっても、ちょっとしたイタズラやほっこりする内容から、肝が冷えるようなものまで、内容に差異があるのは、あなたがどういう人間かの現れということであり、キツネのせいじゃねぇよ、ということです。
また、どういう人間か、というのは、その時点での人間性だけでなく、どういう「人生プランを持っている」人間か、が関係してくるときもあります。(ホラー映画を見たいと思って生きている人か、そんなもん絶対見たくねぇよと思って生きている人か…)
だからまぁ、いいとか悪いとかではなく、あなたがそうであるから、それを選んでいるから、そうなっている…という……。

(なんで世の中の「神様」ズや詐欺師どもは「あんなことしてるくせに」「ああならない」のか、というカラクリですが、信者のせい(信者が助けている)もあります。「自分が悪いんだ(原罪とかカルマとか?の教え)」とか「神様は絶対なんだ」とかいう意識を植え込まれているせいで、「そう思っているからそうなる」が発動しているということです。
ガッツリ教育されて支配&搾取されている上に、返さなくてもいい借金まで背負わされている…。まるで日本経済と日本人のようですね。

なんかおかしいんだけど?ちょっと違うんじゃない?と思って声をあげる人が増えると徐々に変わっていくのではと思います。 

世界が変わるのではなく、いる世界が変わっていく、という感じで。

意識にグラデーションがあると言いましたが、世界にもあると思っています。並行世界とか多次元宇宙とか…。

詳しくないので深くは言えませんが、無数にあると思うので、意識の焦点を向ける場所を、より自分の居心地がいいところにしていくことで、よりよい未来を選び取って進んでいくことができるのでは…と思います)

やや中途半端ですが補足なのでここまでにします。

それではまた。

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