スニーカーブームの終焉とアメカジ野郎の終焉(後編)

 「スニーカーブーム」の終焉について、前回は人々の自立した選択による「スニーカーの一般化」と対比しながら、物の価値を自分で判断できずにメーカーの言いなりにスニーカーをひたすら買い続けるアメカジ野郎のしょうもなさを書きましたが、長文になり過ぎたため分割することにしました。今回は、その続きを書いていきます。



 「スニーカーブーム」の終焉について、アメカジ野郎のSNSなどを見るとその反応は類型化していて、「ニワカが去った」「これからは良いスニーカーが安く買える」「転売がなくなって市場が健全化する」と基本的には好意的に受け入れられています。つまり、多様な視点が完全に欠如していて、よりスニーカーへの盲信化が過激になっていると言わざるを得ません。


 

 アメカジ野郎は、スニーカーブームから離れた人々を「もともとスニーカーが好きではないニワカ」だと(根拠もなく)考えていて、見下しを顕わにしているように思えます。



 アメカジ野郎は、ブームが去ってもスニーカーを買い続ける自分たちこそが"本物"であり、ニワカが去って自分たちだけがスニーカーマーケットに残れば、発売日の争奪戦も、高価な転売も、不必要なコラボも全て無くなり、欲しい人が欲しい価格でいつでも欲しいスニーカーが買える、健全で平和な楽園スニーカーランドが完成すると思っているようですが、それは本当でしょうか?


 

 私の考えですが、私はスニーカーブームから離れた人が決してバカだとは思えません。むしろ、重度のアメカジ野郎の何倍も賢明であると考えます。



 そもそも、スニーカーには何万円も払って買うほどの価値はなかったのです。コスパ的な意味ではなく、ほんの数年前と今現在のスニーカーの価値を比べただけでもはっきりとそのことがわかります。



 例として、ナイキダンクの白黒、通称「パンダダンク」は2年前まで発売するたびに即完売、リセール価格も高価でした。一見廃れそうにもないシンプルなデザインで、ファッションとしても転売商材としても大変な人気でした。



 しかし、ある日を境にその人気はぱったりと消えてしまいます。今ではパンダダンクは公式サイトでも常にセールにかかり、アウトレットモールにも山積み、フリマサイトでは数千円でも買い手がつきません。ここで、先ほど「これからは良いスニーカーが安く買える」と言っていたアメカジ野郎はどう動くでしょうか?安くなったパンダダンクを歓迎し、リスペクトし、今こそ履いていますでしょうか?



 そんなことはありません。アメカジ野郎は余って安売りされるパンダダンクを誰よりも馬鹿にしています。「安売りで買うのは恥ずかしい」「みんな履いていて嫌だ」「中学生が通学に履いている」と見下しの対象となっています。今現在、この世で最もパンダダンクを馬鹿にしているのはアメカジ野郎なのです。そして、どの理由も他者の視線ばかり気にした自分不在のものばかりです。




 よく言われる都市伝説(あえてこの言い方をします。以下のようなアメカジ野郎が喜びそうな美談はたいてい大嘘なので、信憑性にはご注意ください。)として、「80年代、ナイキのジョーダン1やダンクは安売りされていて、それをスケーターがこぞって買い求め、スケートシューズとして利用した」というものがあります。価値が無いとされ安売りされるバッシュから、自分たちのライフスタイルに合わせた価値を見出したスケーターの柔軟性や慧眼を表したエピソードです。アメカジ野郎はその美談を全員知っているはずですが、現実に目の前で安売りされているダンクを見てもバカにするだけで誰も手に取りません。



 では、アメカジ野郎は何をしているのか?というと、未だにハイブランドとのコラボスニーカーや復刻スニーカーの争奪戦を形成し、「ニワカ」の退場によって無限に増えたはずの選択肢の中からも、結局は人が群がる特定のモノにしか興味を示していないのです。他にいくらでも「買える」「良い」スニーカーが山積みになっているにも関わらず、です。むしろ、何でもかんでも争奪戦が起きていた頃よりアメカジ野郎目線の「恥ずかしいスニーカー」は増え、リスペクトの対象となるスニーカーは減り続けているのです。



 そうして、アメカジ野郎だけが残ったスニーカーマーケットには、アメカジ野郎が好みそうな主張の強い下品なスニーカーの争奪戦が小規模に起こり、それ以外は在庫過多となりセールが状態化するようになりながらも、メーカーは常に新商品を出してアメカジ野郎にアピールする他ないため商品を乱発し、在庫は安売りされてブランド価値が毀損され続けるという健全とは言い難い状態が慢性化しているのです。



 結局のところ、アメカジ野郎は数年前の、自分たちも、ニワカも、転売ヤーも入り乱れてのスニーカーの争奪戦が楽しかったのです。価格が高騰し、みんなが欲しがるスニーカーを履けば、いや持っているだけで、自分の価値も上がっているように信じ込めてしまっていたのです。



しかし、その価値に全く根拠がなく、1年も持たずに価値が暴落し二度と上がる見込みが無い状態を見て、その虚構に気付きスニーカーブームから離れた人は決して馬鹿ではありません。非常に賢明です。



 自分の中の熱狂を、どんな形であれ冷静に見つめ、「本当はスニーカーには価値がないんじゃないか?」「スニーカーに執着する意味はないのではないか?」「他のことにも目を向けよう」とクリティカルに物事を考え、自分の行動を変えられる人は賢明です。自分以外のスニーカーブームの当事者を「ニワカ」と見下し、そいつらさえいなくなれば全てが上手くいくと信じ込み、何もかもを他人のせいにするアメカジ野郎にも見習ってほしいものです。



 また、アメカジ野郎はメーカーの与える情報を自分の人生よりも優先しますから、どれだけ価値が暴落してもスニーカーに定価程度の価値はあるだろう、と信じてもいます。そこも彼らには認めたくない落とし穴で、現実にはスニーカーに定価ぶんの価値があるかはよく検討が必要なはずです。



 個別のメーカーやモデルへの批判は差し控えますが、誰もが「履き心地がよい」と言う靴ほど疑うべきです。自分で考えることが苦手で、知識を押し付けられることが大好きなアメカジ野郎ほど、「雲の上を歩いているようだ」と言う真偽不明の言葉を雛鳥のように丸呑みにして信じてしまい、何万円も出して買ったスニーカーに強いバイアスをかけて「この靴は何よりも履き心地が良い(はずだ)、この靴を選んだ自分は素晴らしい(はずだ)。」と自分に言い聞かせるように呟いているのです。「値段ほどの価値はなかったな」と言える強い人間になりたいものです。 



 みなさんの周りに、スニーカーブームの終焉を喜んでいるアメカジ野郎はいませんでしょうか?もしそんなヤツがいたら無視することが最善ではありますが、彼らを取り巻く状況がこのように余りにも同情を禁じ得ない虚しさに満ち満ちていることは知っておいてもよいかもしれません。どんなスニーカーを履いていても、それだけで幸せになることなど絶対にありません。むしろ、何足も何足もスニーカーを買うことを隠しもしない人間は自分の価値観が狂っていることにも気付かず、それを他者と擦り合わせる努力もしない独りよがりのアメカジ野郎なのです。



 しかし、残念ながら彼らは自分たちこそ「センス」があると信じ切っていますし、自分が選ぶものに間違いがあるわけがないと信じています。だから、他人を責めるのです。ブームで自分が欲しいスニーカーが買えないのはどっかにいるニワカのせい、高かったスニーカーが値崩れしたのはメーカーのせい、そして、ダサい靴を履いている奴はバカにしていい、そんな価値観を持っているから、他人も自分を責めるんじゃないか、バカにしてくるんじゃないか、と怯えているのです。彼らは自分自身の加害性に自家中毒を起こしているのです。だから人生がつまらないのです。



 前回のまとめとも繋がりますが、アメカジ野郎がお洋服に向けるエネルギー、端的に言えばメーカーや販売店に注いだ金と時間と興味と愛着は、本来アメカジ野郎本人に向けられるべきものだったのです。それを奪われもっとよこせと脅迫されても、アメカジ野郎は全くその搾取の構造に気付きません。




 アメカジ野郎は、かけがえのない自分自身に使うべきリソースを全てアメカジのお勉強や購入に充て、パンパンのクローゼットと硬直した価値観と引き換えに素っ裸の自分自身を愛する気持ちすら無くしてしまっています。




 お洋服より自分自身を注目してあげた時間が、ほんの少しでもあったでしょうか?見てもいないものを愛せることはとても難しいのです、だから、アメカジ野郎は自分を愛せず画面の中のアメカジしか愛せないのです。




 そして、自分を愛して成長させようという人として最も大切なことがすっぽ抜けたまま、ただの線維の塊に自分自身よりも大きな価値を見出してしまい、アメカジと出逢った日から足踏みしっぱなしで成長していない空っぽの自分をトルソーにしてアメカジを取っ替え引っ替え貼り付けているのです。何千件もオファーがあるスニーカーがどれほど価値があろうが、宇宙の歴史でただのひとつしか生まれていない自分自身の価値のほうが比べようもないほど高いはずです。しかし、その自分自身がスニーカーの奴隷となることの不均衡にいつまでも無自覚であることが虚しいのです。




 スニーカーの知識を溜め込むことも、スニーカーを探し回ることも、それを買う金を用意することもたしかに面倒が多いものですから、それに、「耐えられた自分」が偉く見えるかもしれませんが、そんなことはありません。自分自身を見つめてケアする習慣を持つ人の方が偉いに決まっています。そもそも、不必要なスニーカーに何万円も出してとても履ききれない数を買い続けることは軽蔑されるべき行動なはずです。そのことに気付いた人から順に「スニーカーブーム」の無意味さを理解し、離れていっているのです。決して彼らはニワカでも転売屋でもありません。。「スニーカーを買うことに意味はない」という自分の心の声に従って自らの行動を変えられるという点だけでも、凝り固まった価値観を変えられず、スニーカーを買い続けるアメカジ野郎と比べようもなく賢いのです。



 

 あれだけたくさん買ったスニーカーは彼らに何をしてくれましたか?合皮の安くて汚れてもいいスニーカーが連れて行ってくれる場所へ、レアな高額スニーカーは連れて行ってくれましたか?




 「スニーカーを買う」ことが楽しかった時代をとうに通り越し、「スニーカーを買わない」ことが怖くて仕方ないフェーズで死にかけているアメカジ野郎には、すでにスニーカーの購入が彼らにとっては自傷行為になっていることだけでも理解してもらいたいものです。彼らのことが心配なのです。そして、スニーカーブームの終焉に乗っかってスニーカー集めをやめることはちっとも恥ずかしくないことなんだよ、と教えてあげたいです。




 スニーカーブームは終わりますが、搾取の構造が無くなるわけではありません。むしろ、ブームが沈静化することで見えにくくなることすら懸念されます。一人でも多くのアメカジ野郎が洗脳から解き放たれ、自分自身のために人生を注ぎ込めるように、私はアメカジを糾弾します。そして、彼らの幸せをネガっています。




 今回もお読みいただきありがとうございます。



 



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