私と『孤独と不安のレッスン』ー企画を再スタートさせるー

なんて久しぶりの投稿になってしまったのだろう。みんな、元気にしているだろうか。

このプレゼント企画、1年が経ってしまった。表題の通り、少し私の中で方針転換のうえ、再スタートさせる。友人たちにはお付き合いいただく。

最近は全くプレゼントを友人に送ることができなくなっていた。私はもうこの3か月、軽いうつだったと思う。異動・喪中・異動先が解体されてまた新しい部署に変わる。仕事だけでなく、「家庭って何?」とか「自分はなんて考えてこなかったんだろう」「私の厳しさはどこまで続くの」と私生活(内面)も仕事もどちらも圧迫感があり、孤独だった。なのに主治医からは「昔より成長しているじゃーん」と言われるから余計わからなくなった。

この最中も、ずーーーっと「〇〇ちゃんには何あげよう」とか「この企画、いつまでやる?」とか考えてきた。書けない分がストレスで、何もできない自分が嫌だった。

きっかけは鴻上尚史『孤独と不安のレッスン』(大和書房、2020)だった。

私はこの不安の中で「不安になってしまうのは、私の考え方次第。考え方を変えなくちゃ」と格闘した。それ自体もすでに「すべき思考」に捉われていることや「自分を受け入れられない自分がいる」ことも理解してしまうから情けない。さらに言えば、つまづいた原因の石を虫眼鏡とかで分析するようなものだ。前に進みたいのに、なんで石の分析しているんだろう……と結局不安を極めてしまった。不安の対処をしないと夫にも迷惑をかけてしまうと、正直必死だった。

自分にあきれていたところ、『孤独と不安のレッスン』に「つらくてたまらなくなったり、不安でいてもたってもいられなくなったりしたら、誰かに何かをあげることを考えましょう(p.167)」とあった。そこで目が覚めた。

私は確かに、「(自分と相手の)気分が明るくなればいいな」と思って企画を始めた。しかしこの3か月中には「私が好きでプレゼントしているのであって、優しさアピールじゃない!!」とか「迷惑がられているかもな」と考えてしまった。自意識ってめんどくさい。

しかし今度は私に完全に軸を置く。2月から在宅になって、ますます自分の世界に集中してしまい、外に出にくくなった苦しみがあるからこそ、私のために友人に物を送ることにした。

というわけで、今後もMちゃんにはコーヒーに合うものを贈り、Mには春らしいものを贈りたい。母にだって、夫にだって何も贈れていない。やっと息ができるようになった。

ここまで来るのに、すごく時間がかかった。よく考えれば私はまだうつ病寛解・下山中だから要注意だったのに。必死になればなるほど空回りしてつらかった。過去の自分もきっと泣いて喜ぶだろう。少しはこの時期を生きててよかったと楽しみたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?