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おともだちパンチ

 人類学を学びながら武道をしていて、面白いことに気が付きました。ヒトというのは、非常に珍しい「殴る」動物だということです。

 ニホンザルやチンパンジーは握る力や噛みつく力が強く、闘争の中では引っ掻いたり噛みついたりすることが多いのではないでしょうか。たしかに、ヒトでも癇癪を起こした子供が他の子供を引っ掻いたり噛みついたりすることはあります。しかし、大人のケンカではそのような話を聞いたことはありません。酔っぱらいやYouTubeで見ることのできるケンカの動画で見る限りでも、殴る場合が多いように感じます。

 実はこの「殴る」という攻撃手段は大変に弱いものです。僕が中学生の頃は、教師の常套句には「生徒を殴ったほうの手も痛いんだ!」なんてものもありました。手首を痛めることが多く、手の骨を脱臼するなんて話も聞きますし、悪くすれば指を骨折してしまうことさえあります。ボクサーや空手家でもなければ、パンチなんてするべきじゃありません。

 これはご存じの方も多いと思いますが、ヒトの頭蓋骨の前面は側面に比べて強くできています。そのほか眼球もしっかり骨に守られていますので、軽くぶつけても大事に至らない場合が多いでしょう。人は殴られるようなことに対する防御が発達しています。例えばボールが顔に飛んできた時は自然に避けようとしますし、それによって実際避けれなくても衝撃が緩和できます。

 一方、体毛と皮膚のたるみが少ないヒトの皮膚は引っ掻き傷がつきやすく、眼球は小さなキズでも障害をきたします。噛み傷も膿んだり残ったりしてしまいますよね。(他人に噛まれる機会などまずありませんが。)

弱いものが生き残る?

 引っ掻くという攻撃は大変有効なはずですが、なぜ殴ったり殴られたりすることを闘争の手段としているのでしょうか。殴られることに対応していなかった祖先種の中では、殴るという攻撃が有効であったために進化し、その後に殴られることに適応して進化し、現状のようにパンチが「弱い攻撃手段」になってしまった......と考えることも出来ます。

 しかし、もしかしたら、順番が逆なのかもしれません。

 もうヒトはめったに引っ掻いたりしないだけでなく、同時に私達の爪はこんなにも短く剥がれやすくなってしまいました。筋力は出力が弱く、多くのヒトはリンゴを握りつぶすことができません。犬歯もチンパンジー等と比べて大変貧弱です。こうしてみると、むしろケンカに弱いものが生き残っている......と考えることもできます。

 高度なコミュニケーション能力を持つ霊長目では、弱いサル同士がチームを組んで強いサルに立ち向かうことができます。たとえ一番強いサルでも、相手が2個体・3個体と増えてしまえば、負けてしまうこともありえます。チームを組めるサルの中では、身体的に強いことが有効に働かない可能性もあります。むしろ槍玉に上がるくらいならば埋没しているほうがいいこともあるかもしれません。

 ある研究では(※1)チームを組んで戦うことがある霊長目は、オスの犬歯の大きさが縮小していることが示唆されています。一般に霊長目ではメスの犬歯はオスに比べて小さいですが、メスはオスよりも仲間同士チームを組む傾向が強いことが知られています。霊長目では同種に威嚇するときに犬歯の大きさを相手に見せつけますが、こういった威嚇の重要性が薄れた結果ではないかと考えられます。(弱いものが生き残りやすかったのか、歯が小さいほうが無駄が少なく有利だったのか、あるいは他の理由で有利だったのか、偶然なのかの証明はできませんが......)

 タイトルの「おともだちパンチ」というのは、夜は短し歩けよ乙女(作者:森見登美彦)という小説のヒロイン(黒髪の乙女)のパンチです。本来は親指で四本の指をロックすることで鉄拳が完成しますが、親指を包み込むように握ることで、力のこもらないパンチになります。こんなパンチでは憎しみが乗りませんから、暴力の連鎖を未然に防ぐことができるのです!これで心置きなくセクハラ野郎をぶんなぐれますね(?)

 人間こそ連合関係を持つ種ですから、示唆に富んだ話であると思います。「あえて弱くなった仮説」はあくまでひとつの可能性にすぎません。しかしながら、ヒトという(道具も使える、蹴ることも引っ掻くことも噛み付くこともこともできる)動物が、あえて「弱い攻撃手段」を発達させたということは大変興味深いと思いませんか。

※1 J. Michael Plavcan, Carel P. van Schaik, Peter M. Kappeler. Journal of Human Evolution (1995) 28, 245-276. Competition, coalitions and canine size in primates.

(執筆者:アンソロピエロ)

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