見出し画像

8年にもわたるオランウータンのおっぱい?

体重数グラムのネズミから,数トンのクジラまで,その名が示すとおり,哺乳類はおっぱいを与えてコドモを育てる動物です.短いものでは数日 (一部のアザラシなど) から,長いものでは6年以上 (オランウータンやヒト) と,おっぱいを与える期間もさまざまです.

この,哺乳類におけるおっぱいの多様性のなかでもかなり極端なほうに位置するのが,ヒトに近縁な大型類人猿である,オランウータンです.授乳期間はコドモを産む間隔と密接に相関していますが,オランウータンの出産間隔は7−8年と霊長類のなかでももっとも長く,行動観察から推定される授乳期間も5−6年以上とされています.

今回紹介するのは,組織学と地球化学の手法を用いて,野生オランウータンが何歳まで乳を吸っているかを「正確に」調べた研究です*1.


おっぱい研究の問題

これまで,授乳期間は,動物の行動観察によって推定されていましたが,これにはいくつか問題がありました.

●観察では,コドモが母親の乳首に吸いついているのはわかりますが,本当に乳が出ているかは不明です.不安や恐怖を感じたコドモが,乳を飲むためではなく,精神的な安らぎを求めるため,母親の乳首をくわえている状況は,多くの霊長類でよく見られます*2.

●観察者の見えない夜間やねぐら (ネスト) のなかで授乳が起こっていても,それを検知できません.

このような問題のため,哺乳類のコドモが何歳まで実際に乳を摂取しているかは,実は正確にはわからないというのが現状でした.


組織学と地球化学の手法

そのようなおり,2013年に新たな手法が提案されます*3.この手法では,薄くスライスした歯のバリウム濃度を測定することで,年齢変化にともなう乳の摂取量の変化を推定します (図1).

図1. スライスした歯の分析と年齢のあてはめ


まず,歯は幼少期から連続的に成長していき,成長しきったあとはそのままずっとそこにあって変化しないため,コドモの頃の食性のシグナルを成長線のなかにずっと保っています.歯を100 μmくらいの薄片にすることで,光学顕微鏡によってこの成長線が観察でき,歯のどの部分が生後何日目に形成されたかがかなり正確にわかります.

次に,バリウムは,カルシウムと化学的な性質が似ているため,乳にも多く含まれています.母親の骨に蓄えられたカルシウムやバリウムが,授乳期間中に乳を通じてコドモに移行し,歯の成長線に記録されるのです.

薄くスライスした歯について,地球化学の手法でバリウム濃度 (実際にはカルシウム濃度に対するバリウム濃度の比) をスキャンするように測定します.そしてその結果に,組織学的な手法で成長線を数えて得られた,対応する日齢をあてはめます.これによって,乳の摂取量のマーカーであるバリウム濃度が日齢によって変化していくパターンがわかります.このパターンから,授乳期間や,離乳が終わったときが何歳なのかが推定できるという原理です.


野生オランウータンの授乳と離乳

Smith博士らは,野生由来のオランウータンのコドモ4個体の永久歯をこの手法で分析し,離乳の年齢を明らかにしました*1.

まず,生後1年間はバリウム濃度がずっと増加しますが,1年から1年半でバリウム濃度は低下します.この結果は,コドモオランウータンにとっては,生後1年間は乳 (バリウム濃度が高くて吸収されやすい) が主な栄養源だが,1年目以降はほかの食物 (バリウム濃度が低くて吸収されにくい) もそれなりに食べるようになってくる,ということを意味します.

興味深いのはその後で,生後1歳半から8歳程度まで,バリウム濃度は周期的な増減を示しました.バリウム濃度の増減はすくなくとも8歳くらいまで続いており,分析されたなかでもっとも年上だった8.8歳のコドモでは,死亡の数ヶ月前にもバリウム濃度の増加が見られました.

素直に解釈するならば,バリウム濃度が増加しているのは,乳をたくさん摂取している時期ということになります.今回調べられた4個体はいずれも,すくなくとも8歳くらいまで,摂取量が増減しながらも,おっぱいを飲みつづけていたという解釈となります.

アフリカのチンパンジーやゴリラと異なり,オランウータンは,主食である果実が全体的に非常に少なく,また果実量の変動も激しい東南アジアの森に暮らしています.こうした森では,食物がほとんど得られない時期が周期的に訪れます.採食スキルが未発達のコドモにとって,こうした食物欠乏の時期は特に危険で,果実が得られない代わりに母親の乳をたくさん飲んでしのいでいるのではないか,というのがSmith博士たちの結論です.



結果の解釈が難しい

ただし,以下2点の理由から,この結論には注意が必要であると私は思います.

●実はバリウム濃度は,ストレスによっても増加します.栄養の欠乏や病気によって個体がストレスを受けると,骨の再吸収が起こり,骨に貯蔵されていたカルシウムやバリウムが血中に放出されます.放出されたバリウムは歯の成長線に取り込まれて,バリウム濃度の一時的な増加として記録されます*4.このため,周期的な食物欠乏の時期に乳を飲んでバリウム濃度が増加するという解釈も,周期的な食物欠乏の時期に栄養ストレスを受けてバリウム濃度が増加するという解釈も,どちらも成り立ってしまいます.

●Smith博士たちの今回の研究*1では,オトナの時期のバリウム濃度の変化が調べられていません.今回対象となったなかで最高齢だったのは8.8歳で死亡した個体です.しかし,本当は,もっと長く生きた個体を対象に,独り立ちした後の10歳や12歳時点でもバリウム濃度の増減が見られるかを調べる必要があるでしょう.もし,そうした年齢の個体でも,バリウム濃度の増減が見られるならば,周期的なバリウム濃度の増加は,乳の摂取ではなく,栄養ストレスによってもたらされた可能性が大きいでしょう.(専門的な言葉で言うと,ネガティブコントロールが取れていない,ということになります).

バリウム濃度を測定して離乳パターンを推定する研究は比較的新しい手法で,詳細なメカニズムの把握や,より正確な解釈は,まだ今後の課題として残されています.今回紹介した論文では,将来いろいろ応用がきく研究の可能性が示されました.しかし,慎重な態度をとるならば,オランウータンの離乳の終わりが本当に8歳以上なのかは,現時点ではまだ断言はできない,ということになるでしょうか.

(執筆者: ぬかづき)


*1 Smith TM, Austin C, Hinde K, Vogel ER, Arora M. 2017. Cyclical nursing patterns in wild orangutans. Sci Adv 3:e1601517.

なお,この研究はナショナル・ジオグラフィックの記事でもとりあげられています.
オランウータンは8歳でも授乳、霊長類最長と判明


*2 以前ぬかづきがニホンザルを観察していたとき,1歳児が母親の乳首をくわえたまますやすやと眠りはじめて,結局1時間以上乳首に吸いついたままだったのを見たことがあります.はじめの数分は口が動いていたため,乳を飲んでいたのでしょうけれど,眠りはじめてからはもちろん,乳は飲んでいなかったでしょう.


*3 Austin C, Smith TM, Bradman A, Hinde K, Joannes-Boyau R, Bishop D, Hare DJ, Doble P, Eskenazi B, Arora M. 2013. Barium distributions in teeth reveal early-life dietary transitions in primates. Nature 498:216–220.


*4 Austin C, Smith TM, Farahani RM, Hinde K, Carter EA, Lee J, Lay PA, Kennedy BJ, Sarrafpour B, Wright RJ, Wright RO, Arora M. 2016. Uncovering system-specific stress signatures in primate teeth with multimodal imaging. Sci Rep 6:18802.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?