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実験は研究室じゃない、スーパーで行われているんだ!

今日は、身近な出来事が科学研究の対象になることを紹介しましょう。スーパーマーケットでのレジ待ちは、みなさんの日常の一部だと思います。待ち時間を少なくするためには、各レジの待機人数を把握し、レジ打ちの店員さんのスキルを評価し、周囲のお客さんとの駆け引きに勝つ、という一連の判断を一瞬のうちに行わなければなりません。そんな殺伐としたレジ待ちのときに、順番を譲ってもらうと、春風が吹いたような、もしくは地獄に蜘蛛の糸がたらされたような、そんな気分になりますよね。実は、このレジ待ちが、人類学研究の材料になるのです。

協力行動

レジの順番を譲ることに始まり、道に迷っている人を案内してあげたり、さらには通勤時に線路に落ちた人を助けたりと、見返りがないにも関わらず他人を助ける行動が、社会の中でたびたび観察されます。見返りがないどころか、レジ待ちでは譲った分自分の待ち時間が増えるわけですし、線路に落ちた人を引っ張り上げることは自分の身を危険にさらすことになりますから、むしろ損をしています。こうした「自分が損するにも関わらず人の利益になる」行動は、人類学や他の様々な分野で「協力行動」とよばれています。そして、なぜ人間は協力するのか、どのようなときに人間は協力行動をとりやすいだろうか、といった研究が古くからなされているのです(※1)。

「どのようなときに人間は協力行動をとりやすいか」という問いの答えとして、実にさまざまな仮説が提示されています。ここでは、今回のテーマに関係のあるものだけ紹介することにしましょう。簡単に言ってしまうと、(1)自分が被る損に比べて相手が受ける利益が大きいとき、(2)相手が協力的に行動する「良い人」である可能性が高いとき、人間は相手が赤の他人であったとしても協力行動を行いやすい、ということが、主に数学やコンピュータを使った理論研究と、実際の人間を対象とした実験室での行動実験から示唆されています(※2)。

実験はスーパーで行われているんだ!

この協力行動を、我々の日常生活を題材として調べた実験があるのです(※3)。「実験」という言葉を使うと、大学の研究室の中にコンピュータがずらっと並び、電極を頭に付けた人が寝台に横たわっている様子を想像するかもしれません。しかし、この実験が行われたのは、そんな研究室の中ではありません。ドイツのスーパーです。

この論文では、実験の仕掛け人は「confederate(共謀者)」と呼ばれています。ですので、ここでもこの「共謀者」という言葉を使うことにしましょう。共謀者は22歳の男性で、サクラとしてスーパーのレジ待ちの列に並びます(※4)。実験の対象になる人(被験者)は、共謀者の前に並んでいる人です。被験者はここで実験が行われていることを知らされていません。ここで調べるのは、被験者が順番を譲って共謀者を先に行かせてくれるかどうかです(※5)。

著者たちは、この順番を譲るという行為が「協力」だと考えています。先ほどの協力行動の定義を思い出してみましょう。協力を行うのは、共謀者の前に並んでいる被験者です。被験者は、追加の待ち時間という損を被ることで、共謀者に待ち時間の短縮という利益を与えることができます。

著者たちが注目したことがふたつあります。ひとつめは、前に並んでいる人のショッピングカート内の商品の数です。共謀者は、並んでいる間、前に並んでいる人のショッピングカートの中の商品を数えます。前述したように「(1)自分が被る損に比べて相手が受ける利益が大きい」とき、協力行動を行いやすくなるのでした。被験者のショッピングカート内の商品数が多いほど、順番を譲ったときに相手(共謀者)が得られる利益(節約できる時間)が大きくなります。したがって、被験者のショッピングカート内の商品の数が多いほど、被験者は順番を譲ってくれやすくなることが予想されます。

ふたつめの注目ポイントは、共謀者が持っている商品の種類です。共謀者は、ひとつの商品しか持っていません。しかし、実験のうち半分のケースでは購入する商品は水ですが、もう半分のケースではビールを買います。著者たちは、水を持っている人のほうが「良い人」(人助けをしやすい人)だと思われやすいのではないか、と考えました。もしこれが正しければ、「(2)相手が良い人(人助けしやすい人)である可能性が高いとき」から、共謀者が水を持っているときのほうが、ビールを持っているときよりも順番を譲ってもらいやすいことが予想されます。

読者への挑戦?

ちょっといたずら心をくすぐられる実験ではないですか?結果を知る前に、自分でも予想してみて下さい。何%の人が先に行かせてくれると思いますか?被験者のショッピングカート内の商品数によって、先に行かせてくれる確率は変わるでしょうか?さらに、共謀者が持っている商品によって、被験者の行動は変わると思いますか?

さて、おまちかねの結果です。まず、被験者のうち38%が、共謀者に先に行くようにいいました。被験者のショッピングカート内の商品数が多いほど、順番を譲ってくれる確率は上がりました。最後に、共謀者が水を持っているほうが、順番を譲ってもらえる確率が高くなりました。つまり、これまでの実験室での研究と整合的な結果がえられたのです。みなさんの予想とくらべてどうだったでしょうか?

まとめ

この研究のユニークなところとして、まずは科学研究がスーパーマーケットという、実験という言葉と馴染みが薄いように思われる場所で生み出されたということがあると思います。もうひとつ重要なことは、人類学の研究が、決して我々の日常生活と乖離したものではなく、むしろ密接に結びついているのだということを教えてくれるところです。この研究を知ってしまうと、あなたはもう昨日までと同じ気持ちでレジに並ぶことはできないでしょう。そこで観察を始めることは、もう研究の第一歩を踏み出したことになるのです。ようこそ、人類学の世界へ。

(執筆者:tiancun)

※1 協力行動の研究は、人類学だけでなく、生物学、経済学や社会学といった様々な領域にまたがって行われています。興味のある方への入門書として

大槻久(2014)『協力と罰の生物学』岩波書店

をおすすめ致します。

※2 本文中で、人間が協力行動を行いやすいのは「(2)相手が良い人(人助けしやすい人)である可能性が高いとき」と書きました。これは、間接互恵性とよばれるメカニズムです。間接互恵性の例として、評判を介した協力があります。協力した人の評判が上がり、評判が良い人は今度は他の人から協力してもらいやすくなる、ということです。相手と血縁関係になく、しかも再び出会う可能性が低い状況であっても人間は協力行動を行いますが、間接互恵性はそうした協力行動でも説明できるメカニズムとして研究が行われています。実験研究によって人間が実際にこうしたルールを使って協力するかどうか決めていることが報告されています。さらに、理論研究によって、間接互恵性によって協力的な社会が実現可能であることも示唆されています。※1で紹介した『協力と罰の生物学』にもこの間接互恵性の話は紹介されています。

著者らは、類似のメカニズムがスーパーマーケットでの実験でも働いているのではないかと推測しています。この記事でとりあげたメカニズム(1)と(2)や、その他の研究についての研究史、より数学的な側面を紹介している教科書として

Martin A. Nowak著、竹内康博・佐藤一憲・巌佐庸・中岡慎治監訳(2008)『進化のダイナミクス』共立出版

中丸麻友子(2011)『進化するシステム』ミネルヴァ書房

があります。

※3 Lange, F., Eggert, F., 2015. Selective cooperation in the supermarket field experimental evidence for indirect reciprocity. Hum. Nat. 26, 392-400.

※4 レジに並ぶとき、共謀者は水かビールのボトルを一本持っています。この商品はきちんとお金を払って購入します。

※5 共謀者のほうから先に行かせてくれと言い出すことはありません。 

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