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まねばかりなのは何のせい?

ここ数年でしょうか、イノベーションという言葉を良く耳にするようになりました。社会に大きな変化をもたらすような技術やアイディアのことだそうです。本屋さんには「イノベーション」という単語をタイトルに含んだ本が積み上げられています。大学のウェブサイトをみても、「イノベーションを起こす人材を育成する」とかそこかしこに書いてあって、大学の卒業生がみんなイノベーションを起こすと、むしろ社会が混乱して大変なことになるのではないか、などと余計な心配をしてしまいます。

それはともかくとして、日本でイノベーションが語られるとき、大抵は日本でのイノベーションの少なさに対する嘆きとセットのように思います。日本人はまねばっかりだ、だからイノベーションが生まれないんだ、といったような。

イノベーション不足の原因は?

イノベーション不足の原因として、日本人がまねばかりしているからだ、というのはよくみかける意見です。ではなぜまねばかりなのでしょうか?やり玉にあげられていることが多いもののひとつが教育です。日本の教育は暗記を重視した詰め込み偏重型のため、イノベーションを生み出すのに重要な自分で考える機会が学生に与えられていない、というのが大まかな論旨です。それとは別に、まねばかりすることが「日本人の遺伝子に刻み込まれている」という言説を耳にすることもあります。以前のあんそろぽろじすとの記事「気になっちゃう…」でも、mona氏が「日本人のDNAには米食文化が刻み込まれている」という発言を取り上げていますが、この米食文化のところに「まね」が入る感じです。こうした発言が意味しているのは、ある性質(ここでは「まね」すること)が生まれつき備わっているということです。

この二つの仮説の違いは、日本人が、生まれつきまねばかりしているのか、それとも生まれた後にまねばかりするようになったか、というところにあります。ある性質が、生まれつき備わっていることを先天的、生まれたあとで身につけることを後天的とよびます(※1)。人類学で有名な先天的な違いの例のひとつに、耳垢が湿っているか乾いているかというものがあります。この違いは、遺伝子によって先天的に決まっていることがわかっています(さあほじってみましょう)。そうではなくて、教育によって生まれる違いなら、それは後天的な違いだといえるでしょう。たとえば先ほどの耳垢についての知識などは、後天的に身につけたものです。

整理しましょう。日本人のイノベーション不足の原因には、教育が悪い可能性と「DNAに刻み込まれている」可能性があるのでした。前者は後天的、後者は先天的なものが原因だと主張しています。では、ほんとうのところはいったいどちらなのでしょう?

「まね」の文化差実験

実は、こうした疑問に示唆を与えてくれる実験があるのです(※2)。Mesoudi博士と共同研究者たちは、東洋文化と西洋文化によって「まね」する傾向に違いがあるのかを調べるために、イギリスと中国の学生を使って、ある実験を行いました。この実験の被験者には日本人がいないのに、どうして日本人についての洞察が得られるのかと思う方もいるかもしれません。実のところ、創造性を重視する(いわゆる)西洋圏の教育と比較したときに、まねと暗記を重視する教育スタイルは、日本だけでなく東洋文化の特徴だとされているのです(※3)。

さて、まずはどんな実験をしたか説明しましょう。この実験の被験者は、コンピュータ上で作成した矢尻を使って狩りをするゲームをプレイします。このゲームでは、たとえば厚さや幅といった矢尻の特徴を、スライドバーを使って自由に変えることができます。「狩り」ボタンを押すと、どれぐらい獲物がとれたかが得点として表示されます。この狩りの成功率は矢尻の形によって決まっています。被験者は、矢尻の作成と狩りという二つの操作を何度も繰り返し、獲物を獲りやすい矢尻の形を探すことになります。

この実験には、ひとつオプションが用意されています。画面には、他のプレイヤー5人のスコアと「まねする」ボタンが設置されており、選択したプレイヤーの矢尻をコピーすることができます(※4)。つまり、被験者は、自分で作った矢尻を使うか、他人のまねをするかが選べるのです(両方同時に行うことはできません)。

この実験の重要なところは、イギリス出身でイギリスの大学に通う学生、香港出身で香港の大学に通う学生、中国出身でイギリスの大学に通う学生(この1〜2年のうちにイギリスにやってきた人)、中国の大学に通う中国人学生、の4タイプの被験者を集めたことです。著者らは、前述した矢尻作成実験での「まね」の頻度がこのグループによってどう異なるかを調べました。もし、まねする傾向が先天的に決まっているのならば、中国人学生は今どこの大学に通っているかに関わらず、同程度のまねの頻度を示すはずです。逆に、まねに重きをおくのが東洋文化の教育の特徴であり、後天的な影響が強いという仮説のもとでは、イギリス人学生と(西洋化されている)香港の学生のまね頻度が同程度だと予測されます。

さて、結果はどうなったでしょうか?中国の大学に通う中国人学生は、他の3グループと比較して、二倍ほど高頻度でまねをしていました。また、他の3グループ間に差はみられませんでした。いいかえれば、まねの頻度は、被験者が現在東洋文化に属しているか西洋文化に属しているかに大きく影響されていました。

まとめ

こうした結果が示唆するのは、まねを多用するという課題解決のスタイルは、先天的に決まっているものではなく、それぞれの文化に影響されて後天的に獲得した可能性が高そうだということです。日本のイノベーション不足がほんとうに教育だけによって決まっているのなら、西洋式の教育を導入することで、イノベーションがどんどん生まれるようになるかもしれません。ほんとうに教育だけで決まっているなら、ですが……。

ところが、ウェブ上で、日本はまねばかりしている国ではない、という記事を見つけました(※5)。この記事では、日本で発明されたイノベーションの例を挙げたり(ウォークマンからカラオケまで)、ノーベル賞受賞者が多いことを紹介したり、アメリカ人の75%が日本を創造的だと考えている、という調査結果(※6)を引用したりしています。さて、ほんとうのところ、日本はイノベーションが多い国なのか、それとも少ない国なのか、どっちなのでしょう?どうやら、まずはそこを考えてみる必要がありそうです。

(執筆者:tiancun)

※1 ここでは、とりあげた仮説に合わせて問題を単純化して、先天的か後天的か、という区別をしました。しかし実際のところ、こうした単純な二分法では、現実をうまくとらえることはできないことがわかっています。この種のいわゆる「氏か育ちか」問題は、今では行動遺伝学という分野で主として扱われており、遺伝と環境の影響の相対的な強さや相互作用について、幅広い成果を生み出しています。この話題についてもっと詳しく知りたい方に、以下の本をおすすめします。

安藤寿康 (2012) 『遺伝子の不都合な真実』筑摩書房

※2 Mesoudi, A., Chang, L., Murray, K., Lu, H. J., 2015. Higher frequency of social learning in China than in the West shows cultural variation in the dynamics of cultural evolution. Proc. R. Soc. B, 282, 20142209.

※3 Tweed, R. G., Lehman, D. R., 2002. Learning considered within a cultural context: Confucian and Socratic approaches. Am. Psychol., 57, 89–99.

※4 被験者間の条件を一定にするために、著者らは、被験者グループとは別に、自分で矢尻を改良するしかない条件(他人のまねができない条件)でこのゲームをプレイしたプレイヤーをまねの対象(候補)として使っています。同じグループ(イギリス出身でイギリスの大学に通う学生、香港出身で香港の大学に通う学生、など)のどの被験者の場合も、表示される5人は同じです。ただし、被験者の画面に表示されるまねの対象は、被験者と同じグループに所属しています。つまり、イギリス人学生の実験中にまね候補として表示されるのは、同じイギリス人学生の結果で、香港の学生の実験中に表示されるのは香港の学生の結果……という具合です。

※5 Smith, N., 2015. Japan isn't just a knockoff nation. Bloomberg view

http://www.bloombergview.com/articles/2015-05-05/japan-doesn-t-just-imitate-other-nation-s-inventions

※6 Pew Research Center, 2015. Americans, Japanese: mutual respect 70 years after the end of WWII.

http://www.pewglobal.org/2015/04/07/americans-japanese-mutual-respect-70-years-after-the-end-of-wwii/

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