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サルになった皇妃

 高崎山で生まれたニホンザルが,英国王女にちなみ「シャーロット」と名づけられたことは記憶に新しい.王女の名がサルにつけられた,ということで日本国内では物議をかもした.しかし,歴史をひも解いてみれば,貴人の名にちなんだサルが他にもいるのだ.それもなかなか,容赦のない名づけっぷりなのである.今回はこの「サルになった皇妃」について紹介したい.

金の毛並みをもつサルは

 読者諸氏は,キンシコウというサルをご存知だろうか.漢字では金糸猴と表記され,孫悟空のモデルとも言われている.

 ここで,Massey大学によるキンシコウの動画を見てみよう.

https://www.youtube.com/watch?v=ltAlMQUNumQ

 キンシコウはその名の通り長い金色の毛をもつ美しいサルであり,中国の高標高地に生息する.ヒトを除く霊長類の中で最も長い冬を経験するとのことで,長い毛をもつことで体温を逃さないようにするのだろう.動画を見ると,幼い子供はまだ毛が短いようだ.かれらは,夏は高標高地域で葉を食べて暮らし,冬は低標高地域に降りてきて地衣類(菌類のなかま)を食べる.ところでこのキンシコウ,学名をRhinopithecus roxellanaという.Rhinopithecus というのは「シシバナザル属」を示すが,映像を見てみると確かに,鼻が上を向いている.では,roxellanaとは何を意味するのだろうか? 実はこのサルの学名,シシバナだったといわれるオスマン帝国の皇妃ロクセラーナ(参考:16世紀の画家マツィオ・パガーニによる作品)にちなんでつけられたのである!

 さて,ロクセラーナとはどんな人だったのだろうか.

異国の奴隷から皇妃へ

 16世紀はじめに即位したスレイマン一世の資質は,同時期の他国の帝王をはるかに引き離していた。かれの半世紀にわたる治世の間に,オスマン帝国の繁栄は頂点に達し,その領土はアジア,アフリカ,ヨーロッパの三大陸に渡って最大限に拡大した.かれはハンガリー,ロードス島,イラクなどヨーロッパや中東へ遠征し,次々と領土を拡張していったのである.

 ロクセラーナは元々東欧の民であり,タタール人が東欧を掠奪した際にかどわかされて奴隷にされ,宮廷に売られたという経緯がある.彼女は音楽に長けていたことからスレイマン一世の寵を得た.当時の王宮ではハレムが形成され,一人の皇帝と何人もの女性が関係を結ぶのが通例だった.しかしスレイマン一世はこれを破り,ロクセラーナを奴隷の身分から解放して,ただ一人の妻として迎えたのである.ロクセラーナはハレムで巧妙に立ち回り,自分を脅かすものを処分していった.同時にスレイマン一世との間に六人もの子供をもうけ,そのうち一人を次期皇帝に据えたのである.

 ロクセラーナがしたたかで欲望に忠実な女性だったのか,或いは,日本の大奥のように陰謀や裏切りの渦巻くハレムで生きのびるため,やむなくこうした行動をとってきたのかは分からないが,きっと彼女は聡明な女性だったことだろう.とはいえ流石のロクセラーナも,自分の名前がこんなところに残るとは思いもよらなかっただろう.

(執筆者:James)

 参考文献

 サルの百科,杉山幸丸,データハウス,1996年

 トルコの歴史,三橋富治男,近藤出版社,1990年



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