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耳の奥の子供時代

私たちが生きているあいだは,私たちの骨もまた生きています.つまり,細胞くらいの細かなスケールで見ると,古い骨が分解されては,そのスペースに新たな骨がつくられて,常に交換がおこっています.この交換のことをターンオーバーと言います.柔らかい組織や器官 (内蔵や皮膚など) に比べて骨のターンオーバーは特にゆっくりですが,それでも,10〜20年のうちに構成要素がすっかり入れ替わってしまうくらいのスピードです.

しかし骨にも個性 (?) があります.肋骨 (アバラ骨) のようなスカスカした骨はターンオーバーが早いのに対し,大腿骨 (フトモモの骨) のようなミッチリ詰まった骨ではターンオーバーが遅くなります.また,なかにはまったくターンオーバーしない骨も存在します.


側頭骨の錐体

このターンオーバーしない骨が,今回とりあげる側頭骨の錐体という部分です (図1).側頭骨がどこにあるかというと,耳の内側です.耳かきをする耳の穴の周りとその奥が,側頭骨錐体の内側ということになります ※1.側頭骨の錐体は胎齢18週くらいから骨として硬くなりはじめ,生後2年目くらいには成長が止まって,それ以降はもはやターンオーバーしなくなります ※2.

図1. 側頭骨と,その内側の拡大図.


化学分析による食べ物の推定

私たちの体は食べたものからつくられるので,体を化学的に分析してみれば,逆に,何を食べたのかを推定できます ※3.典型的な骨は10〜20年でターンオーバーするので,そういう骨を分析すれば,最近10〜20年間の食べ物を推定できます.この原理を利用して,遺跡から出てきた大人の骨を分析して,亡くなる前の10〜20年間の食べ物を推定する研究が,1970年代から行なわれてきました.


子供時代の食べ物

さてここからが本題です.では,2歳の頃からターンオーバーしない側頭骨の錐体を分析したら!?……そうです,母親のおなかのなかにいた頃から子供のときまでの食べ物の情報が,復元されてくるはずです.デンマークの研究者たちがそうしたことを思いついて,実際に古い人骨で試してみました ※4.

この研究者たちは,デンマークの中世の遺跡から発掘された大人や子供の人骨58体を対象に,側頭骨の錐体や他の骨を化学分析して,それぞれがいつの食べ物を反映しているかを復元しました.その結果,耳の奥の骨には,まだおっぱいを飲んでいた赤んぼうのころの食べ物の情報が残されていたことががわかりました ※5.

つまり,遺跡から発掘された人骨について,側頭骨の錐体を化学分析すれば,その人がたとえお年寄りであっても,2歳くらいまでの食べ物の情報がわかるわけです.耳の奥には子供時代の記録が今もこれから先も残っている……なんだか詩的に聞こえます.

(執筆者: ぬかづき)


※1 有名どころで言うと,側頭骨の内部には,耳小骨 (ツチ,キヌタ,アブミ) がおさまっています.

※2 以下の論文などがあります.

Frisch T, Sørensen MS, Overgaard S, Bretlau P. 2000. Estimation of volume referent bone turnover in the otic capsule after sequential point labeling. Ann Otol Rhinol Laryngol 109:33–39.

Jeffery N, Spoor F. 2004. Prenatal growth and development of the modern human labyrinth. J Anat 204:71–92.

※3 同位体分析という手法を使います.これに関してはまた後日あらためて記事にまとめたいと思います.

※4 Jørkov MLS, Heinemeier J, Lynnerup N. 2009. The petrous bone: a new sampling site for identifying early dietary patterns in stable isotopic studies. Am J Phys Anthropol 138:199–209.

※5 同一個体の永久歯との比較によって「答え合わせ」がされています.側頭骨錐体と同じように歯もターンオーバーしないので,成長後・死亡後も,子供の頃の食べ物の記録が残っています.歯がそうした性質を持っていることは,昔から数多くの先行研究によって確かめられていました.


これまでのあんそろぽじすとの記事は以下からご覧ください。
https://note.mu/anthropologist/m/mf200d5ddbbe8?view=list

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