見出し画像

シリーズ「新型コロナ」その42:若者はなぜ出歩き続けるのか?

画像1

■若年層の社会的不適応行動

さて、昨年に続くこの二度目の緊急事態宣言は功を奏するだろうか?
今回は「人との接触最低でも7割減、極力8割減」といった具体的で強めな要請は省かれている。しかも「夜8時までなら、外出・飲食OKか?」といった印象さえ持たれかねない曖昧なメッセージの出し方で、あわてて担当大臣が言い直すような場面もあった。
宣言解除の目安として、たとえば「東京の感染者が一日500人を下回る」といった条件が謳われているが、専門家の分析では、その程度の減少では、またすぐ第四波が来てしまうという。相変わらず政府と専門家は一枚岩ではない。
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/statement/51647.html

そんな中、今国会で特措法の改正が審議されるようだが、要請に従わない者(あるいは店舗)に対する罰則も盛り込まれていると聞く。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021011800298&g=pol

この法改正、特に若年層が「むやみに出歩かないでください」の要請になかなか応じず、それが結果的に感染者の急増につながっている、という悪循環を断ち切ることができるだろうか?
若年層はなぜ、現状を理解していないわけでもないはずなのに、社会的不適応行動をとるのだろう。彼ら・彼女らのその動機や原因を考えてみるなら、これはどう考えても政治や法律の問題ではなく、感染症学の問題ですらない。どちらかと言うと、心理学、臨床教育学、コミュニケーション学といった分野の問題だ。

ここでは、この問題を純粋に心理学的な問題ととらえた場合、何が起きていて、どのように対処すればいいかを考えてみよう。
まずは、心理学に関するザックリとしたお勉強から。

■心理学の2つの異なった流れ

20世紀の心理学を概観すると、そこにはまったく異なる大きな2つの流れが見えてくる。1つは、B・F・スキナーの行動主義心理学に始まり、後に経験主義や実証主義へと発展した流れだ。もう1つは、フロイトの精神分析に始まり、ロジャース、パールズ、マズローらに受け継がれたヒューマニスティック(人間性)心理学の流れだ。
行動主義・経験主義・実証主義は、実験によって収集されたデータの統計的な分析結果を理論的基盤とし、「人間に特定の刺激を与えれば、期待される行動をとる」という、ともすると「人間機械論」的な方向に傾きかける理念を提唱している。
一方、人間性心理学は、あくまで臨床経験を理論的基盤とし、「人は、特定の刺激に必ず特定の反応を返すとは限らず、むしろ個人の内的な動機や精神のダイナミズム(力動過程)によって行動が引き起こされる」としている。
長い間、両者は相容れない考え方だったが、エドワード・L・デシなど、実験データを基盤にしながらも人間の内面にフォーカスをあてた理念を打ち出す研究者も現れ、経験主義心理学者の中にも人間性心理学へと歩み寄る者が出てきている。
この2つの心理学派の、人間に対するアプローチの違いを如実に示すエピソードをご紹介しよう。

<臨床ケース>
〇患者:S子さん(20歳)
彼女が11歳のときに母親が恋人を作って家出。以来父親と二人だけの生活を強いられるが、学校では頑張ってよい成績を上げ、トップクラスの大学の看護学科に入学。
そこから食べ物に対して奇妙な行動をとるようになる。彼女はすでにやせ細っていたにもかかわらず、たとえば、ピザからチーズだけこそげ取って食べたり、ドレッシングなしでサラダを食べたりなど。友人に勧められ、摂食障害の専門クリニックへ。
〇診断:神経性食不振症

<クリニックでの治療プログラム>
○治療目標:「行動変容法」を通して患者の食習慣を変化させる。
○治療方法:食事の目標量を決め、食べたものをすべて記録させ、一定カロリーの摂取を義務づけ、進行表を用いて体重増加をモニターする。

※S子さんは、この治療計画への同意を示す契約書に署名させられ、生活の改善がみられない場合は、さらに厳しいプログラムが用意されると言い渡された。

〇プログラムに対する患者の反応:
S子さんは、治療中、目標体重に届いたことはただの一度もなかった。クリニックでの検査の日、彼女は体重を重く見せかけるため、大量の水を飲んでいたことが後に判明した。

◆精神力動的アプローチへの変換◆
治療者が交代し、まったく違うアプローチが用いられた。新しい治療者は、患者が示す特定の不適応行動(きちんとした食事を摂らない)にはあまり重きをおかず、患者の話に注意深く耳を傾け、彼女の視点から世界を見ようとし、彼女の内面で何が起こっているのかに集中した(たとえば、彼女がピザからチーズだけをこそげ取ったとき、何を考え、どう感じていたのか、など)。
その結果、彼女の方から自分の感覚について、次のような話を持ち出してきた。
○彼女はすでにガリガリに痩せていたにもかかわらず、まだ自分は醜く太っていると思い込んでいる。
○こうした異様な自己認識は、自分が無能だとか、批判されているとか、審査されていると感じるときにだけ現れる。

やがて彼女は、自分の傷つきやすさを、母親に捨てられ、父親から必要以上に統制されてきたという出来事と結びつけて考えられるようになり、もうそれほど厳しく自分の身体を統制しなければならないとは思わなくなった。

■今こそ人間性心理学にもとづくコミュニケーションを!

この感動的なエピソードで明らかなことは、クリニックでの治療プログラムは行動主義(経験主義)的なアプローチであり、精神力動的アプローチは人間性心理学の立場である、ということだ。
そして、行動主義的なアプローチでは、患者は自分が摂食障害であるということに意識を向け、それを克服しようとするどころか、いかに検査を免れるかに心血を注いでしまう結果になるということだ。
逆に、いかなる押しつけや統制(目標の義務づけ、監視、罰則など)もせずに、ただ相手の立場や感覚にフォーカスを合わせることによって、患者は自ら心を開き、自分で原因に気づくようになるのである。

さて、このエピソードは、外出自粛要請になかなか応じない若年層の精神力動過程にどのような内的動機があるのかを突き止めない限り、いくら行動変容を呼びかけても、あるいは法改正して罰則を設けても、事態は一向に改善されないことを物語っている。外出自粛要請に応じない理由や原因は、おそらく人それぞれ少しずつ異なる。それを考慮せずに、いくらルールを厳しくしようが、罰則を設けようが、その「網の目」をくぐって、自らの力動過程を継続させようとするだけの話だ。彼ら・彼女らは、何が起きていて何が要請されているか(特定の外的な刺激)を重々承知したうえで、「わかっちゃいるけど、止められない」のである。
それに対し、政治家も感染症の専門家も、「なるべく出歩かないでください」をただ連呼するだけで、挙句の果てには「罰則」でもって強制的に行動を変容させようという手段しかなくなってしまう。
そこで、人間性心理学にもとづく心理学者やカウンセラーやコミュニケーション学の専門家などの出番ということだろう。「危機時におけるコミュニケーションのお手本」と国際的に高く評価されたニュージーランドのアーダーン首相の大学での専攻は、まさにコミュニケーション学だった。
日本の政治家にも、感染症学の専門家にも、「若年層の気持ちに寄り添って、丁寧なコミュニケーションをはかる」といった芸当は望めないし、おそらくそういった発想すらないだろう。もしあるなら、とっくの昔にそういった分野の専門家を分科会なり諮問委員会なりのメンバーとして召致しているはずだ。
この二度目の緊急事態宣言を迎えても、コロナの早期収束にはなかなか希望が持てない。


無料公開中の記事も、有料化するに足るだけの質と独自性を有していると自負しています。あなたのサポートをお待ちしています。