シリーズ「新型コロナ」その37:徹底検証!ダイヤモンド・プリンセス号の停留は正しかったのか?
■そもそもダイヤモンド・プリンセス号とはどんな船か?
各方面の専門家の言によると、ダイヤモンド・プリンセス号の検疫・船内隔離は、成功か否かを問わず、いまだかつてなかった規模の一大プロジェクトだったという。
そもそも、ダイヤモンド・プリンセス号とは、どのような船なのか、以下にまとめてみた。
〇ダイヤモンド・プリンセス号の総トン数は11万5,875トン。ちなみに戦艦大和の総トン数が6万5千トン程度。
〇17階建て、客室数1337室。
〇客室のうちの28%が外に面していない内側の窓のない部屋。
〇レストランは7つあり、24時間営業のものもある。
〇今回のクルーズでは、2666人の乗客。うち1,385人は日本以外の55の国と地域からの乗客。乗員・乗客合わせて3711人(乗員1045人)。
〇複数の人たちが接触する可能性のあるフィットネスや劇場、カジノやバーなどの共用施設があり、船内では乗客たちが多く集まるショーやダンスパーティーなどが開催されていた。
〇乗客の最年長は90歳代で70歳代は約1000人、60歳代は約900人(橋本岳厚生労働副大臣のブログより)。
一言で言うと、ラスベガスあたりにありそうな高級タワーホテルを横にして、コンパクトに圧縮したような建造物だろうか。とにかく楽しい船の旅を満喫してもらうために贅を凝らして造られていて、大がかりな感染症予防などは想定されていないだろう。そこで感染症が発生しようものなら、たちどころに蔓延するだろうことは、容易に想像がつく。
クルーズ船による船旅といえば、ゴージャスな大人の旅であり、まとまった日数の休暇がとれる境遇でなければ参加できないわけだから、当然現役を引退した余裕のある高齢の夫婦が客の中心になるだろう。持病を抱え、常用している薬もある人が多いはずだ。こうした環境で起きる感染症は、重篤化が必至であることも予想がつく。
窓がなく換気の悪い内側の客室、通路も狭く、多くの人で3密状態が長時間続くような施設もあり、イベントも年中催されている、しかも客の多くは高齢者・・・感染管理にはもっとも手ごわい条件ばかりであることがうかがい知れる。
このように巨大な船舶の検疫が行われたのは、歴史上初めてのことだったという。
一方、日本には、そのような人類史上最大の船舶検疫に立ち向かうにふさわしい実績や実力があったのだろうか。
最終的には、感染者712人(うち145人が乗員)、死者13人と報じられている。
■そもそも日本の船舶検疫は国際規約違反?
ダイヤモンド・プリンセス号で船内隔離と検疫が盛んに行われていた2月8日、海事代理士の関家一樹氏は、医療ガバナンス学会に「この隔離と船舶検疫は、現状の国際標準から考えてかなり異常な行為である」とのレポートを発表した。
http://medg.jp/mt/?p=9419
そもそも伝染病の蔓延を防止するための国際的な検疫に関しては、「国際保健規則(IHR)」に規定されており、日本もそれを遵守しなければならないことになっている。
第二次世界大戦後は、国内保健衛生の保護という観点から、各国における検疫基準で行うことと理解されていたが、21世紀に入り、国をまたぐ人の移動が飛躍的に増加したため、むしろ検疫を受ける旅行者の人権保護に重点を置くようシフトしている。
2007年に発効した国際保健規則においては、32条で「参加諸国は旅行者をその尊厳、人権及び基本的自由を尊重して扱い、且つ、かかる措置に伴う不快感や苦痛を最小限に抑えなければならない」として、過剰な検疫に対して警告を発している。
そうした観点からすると、乗客乗員3000人を超える規模の大型船舶をいっぺんに船内隔離して検疫するという措置は国際保健規則32条違反である、と関家氏は主張している。
つまり、対象者の人権や基本的自由を尊重し、不快感や苦痛をなるべく与えないような覚悟と準備がない限り、長期間に及ぶ大規模な隔離および検疫を行ってはいけない、ということだ。
どうやら国際検疫に関する日本の認識は、2007年以前にとどまっていると言わざるを得ないようだ。
クルーズ船で感染症が発生した場合、寄港先の国が自国の防疫のために強権を発動し、乗客乗員を拘束して検疫を行うことはいくらでもできるのだろう。しかしそれにかかる対象者の不快感と苦痛を考えるなら、やるからには何より対象者の人権と基本的自由を尊重しなければならないのは当然だろう。それが「国際保健規則32条」の趣旨のはずだ。
このことは、船舶検疫において、実施する側の検疫技術だけでなく、人間性も問われることを物語っている。
ダイヤモンド・プリンセス号のような大型クルーズ船の検疫というミッションの難しさはここにある。つまり、感染症の蔓延を防ぐためには、高度に科学的・専門的なノウハウのもと、船を厳正に管理された体制下に置かなければならない反面、乗客の尊厳・人権・基本的自由を尊重する、というまったく相反する状況を同時に実現しなければならないことを意味する。
このミッションの複雑さは、医学や疫学の専門家だけではどうにも対処できないことも物語っている。具体的には、法律学、危機管理学、災害心理学、コミュニケーション学、そしてある種のサービス業の専門家の協力も必要であることを意味している。さもなくば、小柳氏の言う「繊細な手つき」といったものは発揮できようがない。
そんなことを、今の日本政府に望めるだろうか? そもそも官僚にはまったく不向きだ。
「やるのであれば、検温や自覚症状の申告をさせた上で、自宅待機を要請すれば十分である」(関家氏談)
実は、関家氏が推奨するこのやり方も、2月3日の時点では検討されたようだが、最終決定は「重症者を除いて、原則全員船内隔離」となった。
私に言わせれば、1月30日にWHOが緊急事態宣言を出し、1月31日に10人の発熱者が船内で確認された時点で、新型コロナであるという前提に立ち、2月1日に那覇港に入港したらすぐに、咳や発熱などの症状を示している乗客を下船させ、医療機関を受診させ、なおかつ船内で3密状態を作り出すようなイベントやパーティーなどを即刻中止させる措置が必要だったのではないかと思う。
それが可能になるためには、主要な港や空港に隣接する病院に、感染症が疑われる患者を受け入れる体制が日頃からできている必要があるし、そうした全国レベルのオペレーションが可能になる専門機関の存在が不可欠であり、有事の際にそうした専門機関に権限が移行する仕組みも必要だ。それこそが本来の「水際対策」のはずなのだ(水際対策の難しさについては後述)。
■船舶検疫を厚労省が指揮することの歪み
「検疫が国土交通省が管轄する港湾に対する厚生労働省の指定ポストなのも、こうした無意味な検疫が実施される原因である。
ともかくこのような前時代的で無意味な船舶検疫と乗客の拘束は一刻も早く止められるべきである。」(関家氏談)
船舶検疫は、国土交通省の管轄なのか、それとも厚生労働省なのか。
こうした日本の行政執行上の歪みを指摘する人がもう一人いる。
感染症学を専門とする医学博士の上昌広氏(※)は、検疫は本来検疫所長の権限下で行われるべきものであることを指摘している。
https://bunshun.jp/articles/-/33856
※上昌広
医学博士。専門は血液・腫瘍内科学、真菌感染症学、メディカルネットワーク論、医療ガバナンス論。特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所理事長。元東京大学医科学研究所特任教授、帝京大学医療情報システム研究センター客員教授。SBIファーマ株式会社社外取締役。SBIバイオテック株式会社社外取締役。
「検疫は検疫法に基づく行為だ。検疫法には以下のように記されている。
<検疫所長は外国で検疫法第2条1号・2号に掲げる感染症が発生し、その病原体が国内に侵入し、国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがあると認めるときには、検疫法第2条1号・2号に掲げる感染症の病原体に感染したおそれのある者を停留し、また、検疫官に感染したおそれのある者を停留させることができる(検疫法第14条1項2号)>
検疫の目的は海外の感染症を日本に流入させるのを防ぐことで、命令を下すのは検疫所長だ。」
「ダイヤモンド・プリンセス号に停留を命じているのは横浜検疫所長だ。現在、その任にあるのは医系技官の北澤潤氏だ。検疫所長は、感染者の人権を制限する絶大な権限を有する。権限は責任を伴う。ところが、北澤氏が停留の必要性について公に説明したことはない。
記者会見に応じるのは加藤勝信厚労大臣や厚労官僚たちだ。日本銀行の政策を財務大臣が説明するようなものだが、このことを問題視する人はいない。」
検疫所や保健所といった、極めて専門性の高い組織が、厚労省のように、薬の許認可から感染症対策まで広範なテーマを扱う上位組織の影響を強く受けると、感染管理に関して必ずしも正しい知見を持っているとは限らない上位組織の命令や方針に、下位組織が振り回されてしまう危険性がある。
国際ジャーナリストの木村正人氏も、厚生労働省が感染管理の指揮を執ることを問題視している。
https://president.jp/articles/-/33106
「最大の問題はやはり安倍晋三首相→加藤勝信厚労相→厚労省官僚・医系技官という指揮命令系統の中に感染症のプロが全く入っていないことだろう。」
結局のところ、この大規模な船内隔離と検疫に携わった主要なメンバーたち(船医、厚労大臣・副大臣、厚労官僚、検疫官、乗船したDMAT・DPATの医師たちなど)の中で、感染管理に関する専門家はただの一人もいなかったのである。本来の責任者であるはずの横浜検疫所長はただの一度も顔を出さず、かろうじて関わった専門家たち(日本環境感染学会や国立感染症研究所の疫学チームなど)は、誰一人最後まで職務を全うすることなく途中下船してしまっている。
専門家中の専門家、プロ中のプロであるはずの岩田健太郎教授にいたっては、たった2時間の乗船で、心ならずも現場から追い出されてしまう、という事態まで発生している。
「日本最大の問題は組織から岩田教授のような職人気質の専門家を排除してしまうことだ。」(木村氏談)
■そもそも水際対策はどれほど難しいか?
グローバルファンド〔世界エイズ・結核・マラリア対策基金〕戦略投資効果局長の國井修氏(※)は、そもそも船舶検疫がどれほど困難なオペレーションかを解説している。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/03/post-92597.php
※國井修
ジュネーブ在住。元長崎大学熱帯医学研究所教授。これまで国立国際医療センターや国連児童基金〔ユニセフ〕などを通じて感染症対策の実践・研究・人材育成に従事してきた。近著に『世界最強組織のつくり方──感染症と闘うグローバルファンドの挑戦』〔ちくま新書〕
「さまざまなデータが示す通り、水際対策には意識を高めるなどの効果はあるものの、海外から日本への感染症侵入を防ぐことはほぼ不可能だ。世界のどこかで感染症が流行した場合、日本に来るか来ないか、いかに水際で防ぐかよりも、日本に侵入することを前提に準備と対策を進めなければならない。
今回、船舶の特殊性と感染症の威力を知っている海上自衛隊の専門家や船医と話していて、われわれが共通に感じたことは、大型クルーズ船で1人の乗客が新型コロナウイルスに感染していたことを知った時点で、誰もが「負け戦」を覚悟したことだ。」
船舶内での感染症は、「たった1例発生しただけで、身震いするほどの恐怖を感じるものだ」と國井氏は言う。
「船は特異な閉鎖環境であるだけでなく、陸上施設にはあり得ない特殊な面、例えば、艦内を循環する空気、上水・下水、豪華客船とはいえ乗務員の活動・生活エリアは狭く入り組んだ環境、居住区においても人と人の距離が近い、などの特徴がある。感染管理において多くの阻害因子があるのだ。
さらに、24時間常に誰かが動いていなければ成り立たず、船長は絶大な権限を持ち、乗客と乗務員との関係性が難しいなど、オペレーションも一筋縄ではいかない。特に、汚染水処理のために定期的に港外に出なければならないため、その間の乗客へのサポートが途切れないよう医療支援拠点を船内につくるなどの措置も必要となった。」
船舶検疫とは、感染管理に関する高度な知識と経験が要求されるだけでなく、船舶という極めて特殊な環境に関しても熟知している必要があり、船長や船会社としっかり調整を取ったうえで、なおかつ乗客に不快感や苦痛を与えず、しっかり尊厳を守るだけの人間力も要求される。こんなことが、単一の専門家集団に実現可能だろうか? このことも、複数の異なる専門性を有した人間で検疫チームを組まなければならないことを物語っている。
確かに、定期的に移動が必要となるという、船舶特有の事情を考慮するなら、船内に医療支援拠点を設置する必要があったのだろう。しかし、それがグリーンゾーンとレッドゾーンを混交させたり、様々な理由で二次感染を招く結果になりはしなかったか?
特に、無症状や軽症の感染者が多い反面、急激に症状が悪化する(特に高齢者や基礎疾患を持つ人に顕著)という新型コロナウイルスの特徴を考えるなら、オペレーションの拠点を本当に船内に置くべきなのかは再考の余地がありそうだ。
乗客や乗員と直接接触する(レッドゾーンに入る)最前線の専門家ではなく、本来はグリーンゾーンでのみ作業する後方支援部隊であるはずの事務方からも感染者が出てしまったことからも、問題の難しさがうかがえる。
戦場なら、戦闘の最前線近くに指令本部を設置するほどリスキーなことはない。
船内のゾーニングが不手際だったという事情は、国全体のその後の感染管理にも反映されていると感じる。「ゾーニング」を拡大解釈するなら、「陽性者と陰性者をいかに社会的に分けるか」という感染管理の基礎になってくるだろう。本来、充分な検査で陽性者をあぶり出せているなら、陰性者に充分な社会活動をしてもらうこともできるわけだから、過剰な「自粛」も必要なかったはずだ。しかし、PCR検査の件数がボトルネックとなって、政府はそうした方策がとれなかったのだ。
対策本部を船の外に置くことには、もうひとつ重要な意味がある。それは船内だとどうしても通信網が脆弱で、すぐにパンクしてしまう、ということだ。こうした緊急事態には、意思疎通がもっとも重要な要件になってくる。
作戦本部と実働部隊は、空港の管制塔と飛行機の関係、あるいは指揮者とオーケストラのような関係でなければならないはずだ。管制官が飛行機に乗り込むことなど、本来あってはならない。指揮者がタクトの代わりに楽器を握っているようでは、全体の統制など取れない。
いずれにしろ、ウイルスに人間の都合を押しつけようとしても意味はない。むしろウイルスの動き方に合わせて、こちらの体制や作戦を臨機応変に組み立て直す必要がある。
■タテ糸とヨコ糸がうまく絡み合ってこその連係
船舶内で感染症の流行があった場合、本来なら早急に全員を下船させることがいちばんの得策であることを國井氏も認めつつ、実際にはそのオペレーションは生易しいものではない、とも指摘している。
その理由は・・・。
〇日本の港に入港するまでは、船籍国(船長と船会社)の意向を尊重しなければならない。
〇乗客・乗務員の数が数百人規模であればともかく、3000人以上となると、下船させても、その先の収容施設(病院やホテル、国や公共の施設など)を確保するのが困難。
〇施設が確保できても、搬送するために必要な数のバスもチャーターできない。そもそもバス自体が3密状態で、二次感染のリスクがある。
〇法制度上、一度下船させると、検疫のためにどこかに強制的に停留させることはできない。3000人以上の行動を追跡することも難しい。
國井氏は、船舶検疫に限らず、「さまざまな緊急事態で多様な組織・機関・セクターを巻き込むオペレーションに参画したが、専門知識や技術を持っていることと、それを実際にオペレーションに落としていくことは別の話だと痛感した」という。
そうした経験から、「危機管理や緊急対策の成功の10%は戦略(知識や専門技術を含む)、90%はオペレーション(ロジスティクスや調整も含む)に懸かっている」という。
「一般に、タテの指揮命令系統が明確でない、機関や組織間のヨコの連携がうまくいかない、統制が取れない、というのは危機管理では致命傷となる。」
「誰がどのような役割と権限を持ち、どのような命令・指揮で動くのか、また誰と誰がどのような連携や協力を必要とし、どのような統制を必要としていくのか、できるだけ単純明快に可視化することだ。」
戦略や理念において正しくても、実際のオペレーションにおいてトラブルが発生するのは、同じ戦略や理念を共有しながらも、動き方はそれぞれの専門分野や役割で異なる、という事情によるだろう。
タクトの動きに合わせればズレないと思えるからこそ、様々な楽器の寄せ集めであるオーケストラはひとつになれる。
こうした連携プレーは、一朝一夕にできるものではない。日頃から意識的にチームワークが作れているかどうかにかかってくる。そのためにも、「日本CDC」のような組織の結成が望まれる。
■ばらばらだった指揮命令系統
災害派遣精神医療チーム(DPAT)のリーダーとして乗船し、乗客たちのメンタルケアに従事した群馬県・赤城病院の関口秀文院長はこう語っている。
https://bungeishunju.com/n/n28f83dea06f3
「体制構築のために、まず、ほかの医療チームとのコミュニケーションが大切です。乗客に向けて船内に張り紙を掲示するにしても、船会社の許可を得たのか、他医療チームはどう見ているのかといった様々なことを調整しなければいけません。そのために全体ミーティングで体制構築の提案をしたり、船医さんや厚労省、DMATなどと意思疎通を密にすることが重要でした。いろんなチームが乗客のために動いている中で、自分たちの正義だけを通そうとするとうまくいかないのが災害医療の現場です。」
この発言が物語っているのは、ダイヤモンド・プリンセス号の船内には、厚労省関係者、DMAT、DPAT、日本環境感染学会、国立感染症研究所など、あまりにもばらばらな組織のチームが乗り込んでいて、現場は「管制塔なき空港」あるいは「指揮者なきオーケストラ」状態だった、ということだ。まさに「タテの指揮命令系統が明確でない、機関や組織間のヨコの連携がうまくいかない、統制が取れない」状態で、そこから何とか調整しつつ、全体としてまとまりをつけようと奮闘している姿がうかがえる。その間、肝心な乗客・乗員のケアにエネルギーを割けたのだろうか? 乗客・乗員の人権や基本的自由など守りようがなかったのではないか?
たとえば、大規模火災の現場に入る消防士が、普段はまったく一緒に活動したことのない寄せ集めのチームだったらどうなるかを考えていただきたい。チームの連係をとるために「調整」している間に、火はどんどん燃え拡がる。
本来は体制がしっかり構築できているチームが介入すべきところだ。
この「あたふた」ぶり、肝心な部分が後手後手に回りかねない状態は、その後の日本の新型コロナ対策の成り行きを先取りしていないだろうか。中央行政と地方行政が延々と「調整」に追われ、挙句の果てに不協和音を奏でる姿や、交付金支給の手際の悪さなどに反映されていないだろうか。
感染症の拡大防止対策は一刻を争う。3密空間に大勢の人を隔離してのオペレーションならなおのことだ。船長や船会社の顔色をうかがっている余裕はない。船長や船会社が感染管理の専門家ならいざしらず、そうでない以上、感染管理の専門家集団に一時的にでも指揮権が移らない限り、大型船舶の検疫・船内隔離などできようはずもない。もちろんそのためには、CDCのような専門機関あっての話だ。日本にはそれがない。今回それが致命的だったことは、誰にも否定できないだろう。
それでも國井氏は、ダイヤモンド・プリンセス号に日本政府(厚労省)が介入した一定の効果はあった、と評価している。
「少なくとも私が途上国で経験した「コントロールに失敗したアウトブレイク」の様相ではなく、この過酷な環境でよく頑張ったと言える。」
「ただし、乗客の感染拡大には効果を示しながら、昼夜を問わず乗客を支えてきた乗務員、命懸けで乗客の命を守ろうとした検疫官や医療従事者、政府関係者などが感染したのは残念だ。」
※「チームのメンバーが感染してしまうことは、絶対に避けなければならない」と主張しているのは、感染管理の専門家である岩田健太郎・神戸大学教授だが、岩田氏の主張にかんしては、稿を改めて詳しく紹介したい。
■そもそも水際対策に意味はない?
厚労省に国際規約を遵守する覚悟があったかどうかはさておき、少なくともこの人類最大の困難なミッションを遂行するにふさわしいノウハウがあったのだろうか。
感染症学を専門とする医学博士の上昌広氏(※)は、飛行機にしろ船にしろ、感染症の上陸を水際で食い止めるのは困難であるにもかかわらず、日本の検疫の方法は明治以来変わっておらず、西欧とは格段の経験の差がある、と述べている。さらに、すでに国内に感染者がいる場合、水際対策は意味がない、とさえ言う。
※上昌広
医学博士。専門は血液・腫瘍内科学、真菌感染症学、メディカルネットワーク論、医療ガバナンス論。特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所理事長。元東京大学医科学研究所特任教授、帝京大学医療情報システム研究センター客員教授。SBIファーマ株式会社社外取締役。SBIバイオテック株式会社社外取締役。
「このことは2009年の新型インフルエンザの流行で実証されている。この時、厚労省は4月29日から検疫を開始した。メキシコからの流入を警戒したため、検疫の最前線に立ったのは成田空港だった。
成田空港では、5月末までの空港検疫で8人の感染を確認した。ところが、これは氷山の一角だった。
我々の研究グループは、東京大学医科学研究所の井元清哉教授たちと協力し、その14倍にあたる113人の感染を見落とし、入国を許したという研究結果を発表した。
飛行機だろうが、船舶だろうが、潜伏期がある以上、状況は同じだ。大航海時代なら兎も角、現代の検疫には限界がある。」
空港に検疫のために長時間乗客を留め置くことは物理的に難しい。乗客全員をPCR検査するならいざ知らず、検温と問診程度なら、潜伏期にある無症状の感染者は検疫フリーパスということになる。それを食い止めるすべは、今のところない。こうした事情は、船舶でも変わらないというわけだ。特に新型コロナのように潜伏期間が長く、無症状ケースも多いウイルスの場合は、なおのこと感染者を見逃す確率が高くなる。
「クルーズ船は西欧で発達した文化だ。これまでにも麻疹、レジオネラ菌、赤痢、髄膜炎菌、さらにノロウイルスなどの集団感染を繰り返し経験し、試行錯誤を繰り返してきた。特にイタリアからは複数の医学論文が発表されている。経験の蓄積において日本とは格段の差がある。」
「そして経験に乏しい日本は、従来と同じ方法で検疫を強行してしまった。その結果が、歴史に残る集団船内感染だ。」
総括すると、日本の災害対策の実力は、途上国よりはマシだが、先進国のレベルではない、といったところか。
さらに上氏は、「水際対策に意味があるのは、国内で感染が広まっていない場合に限られる」としている。
「もし、すでに国内で流行していたら、水際対策は意味がない。」
「2月4日、タイ保健省は、1月下旬に日本を旅行した夫婦が新型コロナウイルスに感染していたと報告した。日本滞在中に体調が悪くなったらしい。この夫婦の存在から日本国内で新型コロナウイルスが流行していることが懸念される。極めて重要な情報だが、日本ではほとんど報じられなかった。」
国内にいる旅行者が感染しているとは、自由にどこへでも移動してクラスターを発生させる可能性を示唆している。
「国立感染症研究所感染症情報センターの研究者たちは、2008年に鉄道を介した新型インフルエンザの拡散をシミュレーションしている。
首都圏の鉄道に1人の新型インフルエンザ感染者が乗れば、5日目に700人、10日目には12万人に拡大すると予想している。こうなると水際対策など何の意味もない。」
国立感染症研究所は、国の直轄機関だから、このシミュレーションの結果は、政府も当然知っていたはずだ。それを承知のうえで政府は、あくまで水際対策を重視していたわけだし、クルーズ船での経過観察期間を終えた乗客たちを横浜駅で自由解散させ、公共交通機関を使って帰宅させたのである。
「厚労省も流石に検疫に意味のないことはわかっているようだ。厚労省関係者は「中国に対して渡航・入国禁止等の厳しい措置をとれない政府、与党に対する批判から目をそらす役割で隔離や消毒をパフォーマンスしているようにも思われます」という。これではクルーズ船内で感染した人たちは堪らない。」
国内に感染症が侵入しようとしたときに、拡大防止対策に限界があり、対策に慣れてもいない日本は、どうしても水際で食い止めようと考えるが、食い止めきれないことも知っている。ましてや、すでに水際作戦をくぐり抜けて感染症が侵入している可能性が高いなら、いつまでも水際にこだわっている場合ではなく、国内での拡大防止対策を強化しなければならないのは当然だろう。ところが、いざやろうとする検疫は、単なる対外向けパフォーマンスだったのか?
このような事情を聞くと、福島第一原発の事故のとき、自衛隊がヘリで上空から水をまいた「パフォーマンス」を思い出してしまう。
安倍首相が打ち出した「1家庭あたり布マスク2枚」という方策も、この手のパフォーマンスか?
日本は、新型コロナの拡大防止対策のとば口で、大型クルーズ船の大規模検疫という過酷なミッションに遭遇し、それに気を取られるあまり、国内の感染管理体制が後手後手に回ってしまったのかもしれない。こうした事情は、東京オリンピック・パラリンピックの成り行きに気を取られて、国内感染管理体制が後手後手に回ってしまったという事情に受け継がれた感がある。
■官僚主義が人権を踏みにじる
では、厚労省は船を検疫する代わりに、何をすべきだったのだろう。
「それは中国への渡航歴や濃厚接触に関わらず、希望者すべてにウイルス検査を受ける機会を提供することだ。
安倍政権は国立感染症研究所で検査体制が整備されるのを待つと表明している。
国立感染症研究所は厚生労働省が所管する研究所だ。本務は研究であり、大量の臨床サンプルを処理することではない。」
研究を本務とする国立感染症研究所には、そもそも大量の検体を検査するキャパシティはない。ならばなぜ、安倍政権は検査を民間に委託するのを渋り続けていたのか。
「私は厚労省と国立感染症研究所の内輪の都合が優先されていると考えている。
今回の新型コロナウイルスの流行では、検査だけでなく、治療薬やワクチンの開発も国立感染症研究所が担当するそうだ。巨額の税金が研究開発費として投じられるだろう。
なぜ、安倍政権は、民間に競争させず、国立の研究機関に独占的に業務を委託したか、「国民の命より、官僚の都合を優先した」と言われても仕方ないのではないか。
私は、新型コロナウイルス対策の迷走の責任は厚生労働省にあると考えている。多くの官僚は真面目に業務に励んでいる。ただ、その方向性が間違っており、利権も絡む。」
まとめよう。
今回の船舶検疫ミッションは、あまりにも厳しい条件が重なっていた。
〇まず、相手は大型クルーズ船という、密集していて換気が悪く、そのうえ高齢者が多いという感染管理には最も困難な環境だった。
〇日本政府は、水際で食い止められるという過信(あるいは都合)のもと、乏しい経験の中、旧態依然とした方法で対処した。
〇そもそも日本には、CDCのような感染管理の専門機関がなく、組織体制すらできていなかった。
〇年中一緒にプレーしていて、チームワークが出来上がっているチームならいざ知らず、寄せ集め、間に合わせの複合組織がチームを組んでいたため、指揮命令系統が曖昧で、「調整」に追われていた。
〇利権や政治的思惑も絡み、本来充分な能力を持たない機関が検査をしなければならないなど、脆弱で窮屈で融通のきかない状況を打破できなかった。
〇不十分な説明、情報の隠蔽体質、はっきりしない責任の所在、高圧的な態度、自分たちの実績だけを並べ立て、先の見通しを述べない・・・こうした官僚主義が、制限を受ける側に不安を与え、「自分たちは放置され、無視されている」という感覚を与えた。
人類史上もっとも困難なミッションに、経験の乏しい寄せ集めの素人集団が、身動きのとれない物理的・政治的阻害要因の中、さしたる戦略も覚悟もないまま挑んであたふたし、案の定ぐだぐだに終わった。これが私の正直な感想だ。
こんな調子で、乗客の尊厳と人権と基本的自由など守れる道理がない。一言で言うなら、官僚主義がはびこっているのだ。官僚主義がはびこっている以上、感染症に限らず、水害にしろ、地震にしろ、原発事故にしろ、巨大災害が発生したとき、国民の尊厳や人権や基本的自由は侵害され続け、不快感と苦痛を味合わされ続けるだろう。
そもそも、船舶(特に大型クルーズ船)という、感染症が蔓延しやすい特異な環境を考えるなら、乗員は感染管理に関する基礎的な知識や訓練を義務付けられるべきだろうし、それが無理なら感染管理の専門家を必ず一人は乗船させる必要があるだろう。それも無理なら、ひとたび感染症の疑いが発生したなら、船のオペレーション自体が専門機関に権限移譲される仕組みを作っておく必要があるだろう。もちろんこのことは、国全体の感染管理政策にも通じる。
「ダイヤモンド・プリンセス号の検疫は人類が経験したことがない大仕事だ。ところが、厚労省は、十分な情報を収集せず、大した覚悟もないまま停留を指示してしまった。今回の泥沼の事態は当然の帰結だ。今後、このような悲劇を繰り返さないためには、騒動が一段落した段階で、冷静に検証する必要がある。」(上氏談)
「喉元過ぎて熱さを忘れる前に、今回の事案をきちんと分析・評価して、この教訓を日本そして世界の将来に役立てなければならない。
また、このような事態に国際法上、誰がどのように対処すべきかを明らかにし、国際社会が一丸となって取り組む仕組みをつくるべきだ。日本のリーダーシップに期待したい。」(國井氏談)
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