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薄青のグラス。(3)

 「ちょっと〜!起きて〜!」
 「ん……」
 身体を揺すられめ目を覚ました。ほぼ同時にアラームが鳴り響き、俺はまだ開ききらない目で必死にそれを止めた。好きだったはずの曲なのに、変に血圧が上がる。
 「あう……」
 時計を見ると、出発予定の30分前。
 「やべ…」
 「もう、用意遅いんやからはよして!朝ごはんのパン置いてるから!」
 「お、おう…」
 俺は眠い目をこじ開けるように、上がった血圧の勢いのままに急いで準備をした。
 

 
 「ついた〜!なな、はよいこ?」
 「うぉーし、遊ぶぞ〜」
 俺は運転で凝り固まった首を伸ばしながら、保乃に続く。

 「あ、あのクマかわいい!写真撮って!」
 遊園地の着ぐるみに抱きつく保乃。
 「死ぬって!!」
 ジェットコースターに振り回され、絶叫する保乃。
 「うぇ…ちょっと酔った…」
 コーヒーカップを回しすぎて酔った保乃。
 「えいっ」
 「え…」
 ボールを投げて的を崩すゲームを、バレーのスパイクで吹き飛ばす保乃。これには俺も流石に言葉を失った。


 「あ、あのチュロス食べたい!」
 今度は保乃が屋台を指差して、俺の袖を引いた。
 「お、食べよ食べよ」
 保乃は今日を全力で楽しんでくれているようで、俺は嬉しかったと同時に、少し安心した。俺は屋台でチュロスをふたつ買って、保乃に渡した。保乃は目をキラキラさせて、俺の手ごとチュロスを受け取った。

 ふと、ポケットでスマホが震えた。なんとなく嫌な予感がした。
 「うわ…」
 携帯に表示される上司の名前。嫌な予感がいっそう濃くなる。
 「悪い…ちょっと電話」
 「あ、うん」
 俺は保乃に声をかけてから電話に出た。
 「はい、お疲れ様です」
 『ああお疲れ、休みのところすまんな。』
 「いえ…」
 汗ばんだ肌が、嫌に暑く感じる。
 『悪いんだが、取引先がお前のプロジェクトの説明をどうしても明日受けたいってことでな…その準備が緊急で必要なんだが、今から来れるか?』
 嫌な予感が的中した。
 「あー……いや…今日は……」
 『木崎と下田は今向かってくれてる。すぐ代わりの休みは取らせてやるから』
 「……分かりました…」
 『助かる。じゃあ、なるべくでいいから早く頼む』

 「おわっは?」
 チュロスを頬張る保乃が俺に聞く。
 「……うん」
 全身に嫌な感じが広がって、足先が重く感じる。
 「どしたん?」
 「いや…その…」
 「…?」
 「今から…仕事行かなきゃいけなくなった」
 「え…?」
 俺は頷くしかできなかった。
 「今から…?ほんまに…?」
 「ごめん…」
 保乃は目を開いて驚いていたが、その奥底にある大きな落胆がどうしても見えてしまう。
 「これ、タクシー乗ってもいいし、なんか食べても、好きに使ってくれていいから」
 財布から2万円を出して、保乃に渡す。
 「え…ちょっと待っ…」
 「ほんとごめん」
 俺は金を保乃に押し付けると、逃げるように踵を返した。
 
 車に乗り込んですぐ、携帯に着信が入る。鳴り止んでもまたすぐに携帯は震えた。相手は見なくても分かった。罪悪感、苛立ち、焦りがごちゃ混ぜで、頭が裂けそうな心地がした。俺は鳴り止まない携帯を隣のシートに放り投げ、車を飛ばした。






 「…っはあっ……は……ぁ…」
 何回も電話をかけたけど、彼は出てくれなかった。ため息を吐こうにも、うまく息が吐けない。私は立っているのがやっとだった。とりあえず落ち着こうと、私は屋台の前に並んだベンチに倒れ込むように座った。

 『彼は私より仕事を優先した。』
 彼はそんな人じゃないと分かっていても、頭の中でそう叫ぶ声が響いて止まない。いや、彼はそんな人じゃない、と勝手に思い込んでいるだけなのかもしれない。思い出してみれば、彼はここ最近ずっとそうだ。私より仕事だった。

 腕を組んで笑い合うカップルが、チュロスを食べさせあって歩いていく。握りしめた2万円に、ぼたぼたと涙が落ちた。

 彼が仕事漬けなのを、人は私のためだと言うだろう。そんなことは分かってる。だから、これは私のわがままだと、ずっと自分を抑えてきた。でも、もうヒビまみれのコップは一杯になっていた。その縁が遂に欠けて、気持ちが一気に流れ出してしまった。
 
 テーブルに伏せた額に、人が歩く振動が響く。賑やかに流れ続ける音楽に、笑い声が聞こえてくる。私はこの場所にも、取り残されてしまったような気がした。

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