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表現の自由について想うこと

こんばんは、ライアンです。

最近twitterなどで話題になっている表現の自由についてちょっと思っていることを述べたいと思うので、少しお時間いただけたらと思います。

最初に結論から言えば
誰かの表現が悪意で作られていない場合はそれに対して、自分の反感を理由にし、大義を持ち出して批判することは抑えるべき

だと思っています。

以前話題になった「宇崎ちゃんは遊びたい」と赤十字社の献血コラボ。
ある弁護士の方のツイートが発端で、炎上が始まったように認識しています。

曰く、環境セクハラであると。

一度そこは置いておくとしても、僕個人としてはこの方が
「私は嫌い。だから社会的にもあり得ない」

というロジックで発言されたように見えることが大変気になります。

別に赤十字の方も、作者の方も”悪意”などみじんも持っていなかったと思います。
むしろ、献血に来てくれる人を増やして救える命を増やしたい。
任された仕事を自分らしく全うしたい。

と言った思いで行動されていたと思います。

それに対して、感情だけを根拠に批判するのはいいものとは思えないです。

・・・

ただ、こうして僕がする表明も批判としてとらえることができると思います。

だからこそ、悪意の有無が鍵になるのではないかと思うのです。


・・・いつもより自分の意見を多めに書くとなんだか筆のノリが悪い感じがします。
「こんなこと自分に書く資格があるのだろうか。発信するにあたって知るべきことは全て知っているのだろうか」不安がよぎります。

こうしてみると、強気な発言をポンポンできる人は逆に才能だよなぁ。
別のところで活かせばいいのになぁと思う次第です。

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